日本橋学館大学紀要
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11 巻
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  • 勝野 まり子
    原稿種別: 本文
    2012 年 11 巻 p. 3-18
    発行日: 2012/03/01
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル オープンアクセス
    この小論では、D. H. Lawrence の出世作となった、彼の生活体験を基として語られる短編小説"Odour of Chrysanthemums"について、二つのキーワード、"red"と"chrysanthemum"を取り上げて、次の3 点について考察する。(1)それら二つの言葉のリアリズムにおける働きとシンボリズムにおける働き(2)それらの言葉とこの作品のテーマとのかかわり(3)リアリズムがシンボリズムを超えて伝えるところである。この小説では、"red"は、初冬の寒くて薄暗い、無彩色の町に、昼夜燃える炭鉱の火の色、そこに生きる炭坑夫の妻の台所で燃える炎の色、彼女の娘が美しいと魅了されるかまどの火の色、その家族が使用した古いテーブルクロスの色として登場し、"chrysanthemum"は、その町の道端にピンクに咲く花、炭坑夫の妻に折り取られてエプロンに挿まれ、彼女の家に持ち込まれる花であり、彼女の小さな客間に持ち込まれ飾られる花であり、彼女の娘が美しいと感激する花であり、その花瓶を炭坑夫に割られて主人公によって処分される花として登場する。その二つの言葉は、どちらも読者の視覚、嗅覚、肌感覚といった五感に訴えながら、それ自体を、そして、舞台となっている、初冬の英国ノッティンガムにある作者の故郷である炭鉱の町と、そこで生きる人々の姿を読者の目の前に現存するかのように生き生きと描き、この作品のリアリズムの世界を作り上げている。その一方では、"red"と"chrysanthemums"という言葉が一致して象徴するものは、炭坑夫の妻である主人公の「所有欲」、その「所有欲」や自らの考えに囚われた主人公の意のままにならない子等や夫との死んだような家庭生活であり、彼女の夫の落盤事故による「死」であり、彼女の「所有欲」に占められた結婚生活と家庭生活の終焉である。主人公は、夫の「死」に遭遇することによって、それまでの自らの「所有欲」によって生じた誤り、自分を取り巻く生命体、つまり、夫や子やその他もろもろの生命体をありのままに見つめていなかったこと、そして、それら他の生命体を自分の意のままに支配しようとしてきた誤りを悟り、「死」ではなく、自らの新たなる「生」に向かうのである。それぞれの生命体はそれぞれの「生」を営み、他のどんな「生」をも所有できないという彼女の悟り、それがこの短編小説のテーマとなっている。主人公が新たなる「生」に目覚める以前の世界は、"red"と"chrysanthemums"の生むシンボリズムが提示するものである。その世界では、人々は己の考えや所有欲に囚われ死んだような生活を送っているのである。言い換えれば、作者は、人間心理に対する鋭い洞察力と巧みな言葉の使用によって生み出すシンボリズムによって、「死」に向かう世界観を伝えている。そして、それは、この短編小説の主人公Elizabeth のみならず、100 年以上も前にD.H.Lawrence が見た当時の多くの心悩める人々の世界であり、この現在に生きる多くの心悩める人々の世界にも繋がるように思わる。そして、主人公が、新たに求めることになる「生」を営む場は、二つのキーワード"red"と"chrysanthemums"という言葉が生き生きと描写し、彼女を取り巻いてすでに存在していた世界であり、それらの言葉のリアリズムにおける働きが伝えていた世界である。そこでは、それぞれの生命体がそれぞれの「生」を営み、他のどんな「生」をも所有できない世界である。言い換えれば、作者は、彼自身を取り巻く世界に対する優れた観察力と生き生きとした言葉による写実力によって生み出すリアリズムによって、自らの「生」に向かう世界観を伝えているのである。そのようなリアリズムとシンボリズムは、相矛盾することなく、この作品のプロットを運びテーマを提示しながら、作者が自らの周囲に見る両義的な世界を語り、作者と読者の豊かな対話をも生じさせている。さらに、そのリアリズムはシンボリズムを超えて、以前にも増して「死」に向かいがちな現代の読者に、自らを取り巻くあらゆる生命体を見つめ、自らの真の「生」に向かう知恵を伝えているのである。
  • 國弘 保明
    原稿種別: 本文
    2012 年 11 巻 p. 19-28
    発行日: 2012/03/01
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル オープンアクセス
    大学入学以前と以後では生活や学習のスタイルが全く異なり、大学に於ける初年次はそれまでの学校とのギャップに悩む学生が少なくない。また、留学生は入学するまでに学んできた外国語としての日本語で高度な専門科目を受講する必要があり、二重の困難を感じることとなる。実際に留学生を対象としたインタビューでは、専門科目の学習に困難を訴える学生が数多くいた。本稿は上記の訴えを念頭に、日本橋学館大学で開講されている講義のうち、1 年生を対象としている科目に於いて教科書として指定されている書籍の日本語を語彙面から分析した。これにより、入学直後の留学生がどのような日本語に触れているか、その一端を把握し、留学生の学習の手助けを志したいと考えたためである。分析の結果、教科書の理解には、日本語能力試験の旧基準によるところの「旧2 級語彙」の理解が定量的な観点から必要であることがわかった。また、日本語能力試験の旧基準に含まれない「級外語彙」が頻出することもわかった。この級外語彙は日本語教育では扱いにくく、留学生になじみがないものではあるが、傾向として頻出するものとそうでないものがあることもわかった。この頻出する級外語彙こそ重要な専門用語といえるだろう。今後の課題として、頻出する級外語彙を日本語教育の場でいかに扱うか、他分野との連携を視野に入れて考察する必要がある。また、講義中の教員の発話といった異なる場面の日本語の分析や、文型面からの分析も有効であると思われる。
  • 佐藤 康廣
    原稿種別: 本文
    2012 年 11 巻 p. 29-40
    発行日: 2012/03/01
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル オープンアクセス
    開始残高勘定の記入手続は学生に最も理解困難な項目の一つである。その困難性は教師自身が必ずしも開始残高勘定の記入手続の原則を理解していないという事実に起因する。簿記理論は説明と理由により成立している。簿記理論は開始残高勘定が何故そのような記入手続であって、他の記入手続でないのは何故か、についての理由を記述するのである。開始記入は何故二つの記入が必要なのか、何故同額記入なのか、そしてその二つの記入がそれぞれ異なった側に、即ち一つは借方に、もう一つは貸方に記入しなければならないのか。
  • 宮下 智, 和田 良広, 鈴木 正則
    原稿種別: 本文
    2012 年 11 巻 p. 41-51
    発行日: 2012/03/01
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル オープンアクセス
    近年、体幹筋に着目したトレーニング方法が注目されている。体幹筋をLocal muscles とGlobal muscles に分類し、Local muscles の活動性を高めるトレーニングが進められている。体幹の安定性を求める理由は、体幹安定が保証されることで、四肢に素早い正確な動きが期待でき、動作能力が向上すると考えられているからである。本研究は超音波診断装置を用い、腰部に違和感を経験し、腹横筋活動に何らかの影響があると考えられる8 名(年齢29.6±6.5 歳)を対象とし、4 つの運動課題下で、主要体幹筋である外腹斜筋・内腹斜筋・腹横筋、それぞれの筋厚を運動開始時と終了時に測定した。本研究で採用した4 つの運動課題のうち、double redcord training 課題の筋厚変化は、運動開始時には外腹斜筋よりも内腹斜筋の方が厚い傾向、運動終了時には腹横筋よりも内腹斜筋の方が厚くなることが認められた(p<0.05)。しかし個々の筋厚比率をdouble redcord training 運動課題の前後で検討すると、内腹斜筋は運動開始時より運動終了時に筋厚が減少する傾向があり、逆に腹横筋は運動開始時より運動終了時に筋厚が増加することが認められた(p<0.05)。このことからdouble redcord training 運動課題により、腹横筋の筋厚は増加し、内腹斜筋の筋厚は減少するというトレーニング効果を期待できる方法であると言える。他の運動課題では腹横筋の筋厚増加に伴い、内腹斜筋の筋厚も増加する(p<0.05)結果となった。運動により内腹斜筋厚が増加することは、Global muscles の活動量が上がることを示し、体幹トレーニングはLocal muscles の活性化が重要であることを考えると、従来の体幹筋トレーニングは、再検討が必要であると思われる。double redcord training 課題の特徴は、上下肢を共に吊り上げることにより、空中姿勢を保ち運動するのが特徴である。すなわち、不安定な運動環境の中で姿勢の安定性を求める高負荷な課題であると言える。この課題を正確に遂行するには、個々の筋肉は、速いスピードでの筋収縮が要求される上、関与する筋肉同士の協調ある筋収縮が求められる。Local Muscle である腹横筋が有効に働く、効果的な体幹トレーニングという観点から、double redcord training は画期的な体幹筋トレーニング方法であると結論づけた。
  • 安田 比呂志
    原稿種別: 本文
    2012 年 11 巻 p. 43-72
    発行日: 2012/03/01
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル オープンアクセス
    デイヴィッド・ギャリックは、役者・劇作家・劇場経営者としてのその長い生涯において、シェイクスピアの作品を連続して改訂し、上演することで、同時代の人々によって「シェイクスピアの最も偉大で最良のコメンテイター」として賞賛され続けることになる。ところが、彼が上演のために自ら改訂したテキストは、そのテキストに基づく上演がプレイビルや出版物でしばしば「シェイクスピアによって書かれた通り」と宣伝されていたにも関わらず、シェイクスピアの原作とは、時に抜本的に異なるものであった。本論は、シェイクスピアの作品の中でもギャリックが初めて改訂を施し、しかもその後のシェイクスピア作品の特徴を共有している『マクベス』を取り上げ、そのテキストを18 世紀の文脈の中に位置づけながら、特に18 世紀前半までロンドンで唯一上演されていた『マクベス』であるウィリアム・ダヴェナントの改作との比較を行うことで、18 世紀の観客や批評家たちがギャリックのシェイクスピア作品の上演を「シェイクスピアによって書かれた通り」の上演として受容し、称賛していた理由を明らかにする。そのために、本論では、音楽性とスペクタクル性の重視、プロットの問題、そして、彼の演技の特徴という、特に彼の『マクベス』上演に特徴的な3 つの側面について考察する。これらの考察を通して、18 世紀当時のロンドンにおける観客の嗜好や思潮の一端を明らかにすると同時に、ギャリックがどのような方法でテキストに改変を加え、自らの演技を活用することで、観客や批評家たちが「シェイクスピアによって書かれた通り」と認める『マクベス』の上演を実現していたのかを明らかにする。
  • 佐々木 由利子
    原稿種別: 本文
    2012 年 11 巻 p. 73-83
    発行日: 2012/03/01
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル オープンアクセス
    2010 年の夏休み期間中に行われた人間心理学科1 年生向けのグループ体験学習の効果が検討された。主なプログラムは1 日目のKISS-18 というコミュニケーション力を自己評価する心理テストを利用した自分の取り組み課題の意識化と、クレヨン一筆書きグループ描画法と2 日目の大学10 周年記念学生イベントポスター作りによる友人作りと自己理解・他者理解であった。振り返り用紙の記述に見る学生の体験を分析すると、KISS-18 によってかなり具体的な課題を意識しつつ取り組んだ学生もいれば、少し抽象的な意識化にとどまった学生もいた。クレヨン一筆書きグループ描画法では作品にまとまりきれない傾向がみられた。無言で一筆書きという制限により神経を使い、違う考えを持つ他の人とつなげることで思いがけないアイデアが出てきたりして、グループワークを楽しめた学生もいれば、なかなか参加できなくて困難を感じていた学生もいた。2 日目のポスター作りでは作品も統合性が高く、学生らしい楽しいアイデアがみられた。活動に慣れてきて、自分のグループのメンバー、他のグループとのコミュニケーションも取りやすくなった学生もいれば、相変わらずアイデアを出すことや話し合いに困難を覚える学生があった。上級生にグループワーク学習の機会ともなると思いお世話係として付けていて、助かったこともあったが、十分に活用できなかった反省点もあった。
  • 村上 千鶴子
    原稿種別: 本文
    2012 年 11 巻 p. 85-94
    発行日: 2012/03/01
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル オープンアクセス
    統合医療の諸外国における現状と今後の日本での展開に関して、統合医療の意義と導入方策について提案した。ドイツでは、従来補完代替医療が盛んであったが、近年は米国、英国でもガン患者のケアを中心に様々な補完代替医療サービスを提供している。米国やドイツでは、大学医学部に統合医療教育プログラムが開かれ、医師、医療従事者、医学生、一般市民に向けて様々なプログラムが提供されている。日本では、一部のクリニックなどでは統合医療を目指した取り組みがなされているが、アカデミックな場での取り組みは遅れている。そこで日本への統合医療の導入を積極的に進めるため、その意義と方策について検討した。医療は従来トータルに人をみるべきもので、その意味では、統合医療こそが本来あるべき医療の姿であり、充実したプログラムの策定が望まれる。また、統合医療大学の設立とともに、コメディカルの質の向上も必須であり、総合補完代替医療大学の設置も効果的であることが提案された。
  • 柴原 宜幸, 村上 千鶴子, 佐久間 祐子, 寺本 妙子
    原稿種別: 本文
    2012 年 11 巻 p. 95-102
    発行日: 2012/03/01
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル オープンアクセス
  • 宮入 小夜子
    原稿種別: 本文
    2012 年 11 巻 p. 103-110
    発行日: 2012/03/01
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル オープンアクセス
  • 村上 千鶴子, 古橋 幸男
    2012 年 11 巻 p. 111-119
    発行日: 2012年
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル オープンアクセス
  • 瀧川 修吾
    2012 年 11 巻 p. 121-132
    発行日: 2012年
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル オープンアクセス
    『江湖新聞』は、明治前半期のオピニオンリーダー、福地櫻痴が主宰した、幕末維新期のもっとも著名な新聞の一つである。同紙は、実際に多くの文献中で言及され続けてきたにもかかわらず、これを主題とした先行研究は少なく、総じて通説に対する疑問点も多い。そこで、本稿では参考文献を紹介したうえで、『江湖新聞』が創刊された一八六七年頃の政治情勢について解説し、同紙の特徴について詳細に分析をくわえた。そして、櫻痴にまつわる「矛盾」や「変節」の問題について考察をくわえつつ、彼の回想録に依存せずに同紙を研究することの意義について論じた。
  • 三枝 秀子
    2012 年 11 巻 p. 133-146
    発行日: 2012年
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル オープンアクセス
    本稿は唐代における陶淵明受容研究の一環として、中唐の白居易詩に見える「悠然」の語について検討したものである。 この「悠然」の語は、陶淵明の「飲酒二十首」その五の「悠然見南山」の句に見えるものである。この「悠然」には様々な問題がありこれまで多くの研究がなされた。筆者はかつてそれらの論考を整理し、さらに「悠然」について検討を加え、この「悠然」はある種の達観を表現する言葉であると結論を出したことがある。 この「悠然」の語が、陶淵明の影響を受けた中唐の白居易詩において如何に詠まれているのか検討することには二つの意義がある。第一に、陶淵明の「悠然」の語の解釈に対する一つの証左となる。第二に、白居 易における陶淵明の影響・受容について具体的な研究となり得ることである。 白居易詩には計七例の「悠然」が認められ、本稿はそれを一つずつ取り上げ分析した。その結果、白居易の「悠然」の用例の中二例には陶淵明の用法と同じくある種の達観を表現しているものが認められた。さらに「悠然」を用いた詩には、白居易独自の詩の世界が表現されていることについても論じた。
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