日本橋学館大学紀要
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3 巻
選択された号の論文の10件中1~10を表示しています
  • 長澤 泰子, 太田 真紀
    原稿種別: 本文
    2004 年 3 巻 p. 3-13
    発行日: 2004/03/30
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル オープンアクセス
    ことばの教室における教師と子どもの相互交渉を分析した先行研究において,われわれは,つらい経験を原因とする吃音への感情を理解するために,顔の向きや表情あるいは沈黙のような子どもの非言語的表現を受けとめることの重要性を報告した。本研究は臨床における教師のより好ましい行動を明らかにするために,引き続き,別の2人のコミュニケーション分析を行なう。教師と子どもが話し合う相互交渉2セッションをVTRに録画し,子どもと教師の発話,体・顔の向き,表情,視線,その他の行動を指標として分析を行った。教師は40代女性,子どもは吃音のある3年男児だった。2人は子どもの吃音にかかわる経験について話し合った。そのとき,教師はタイトル「どもってもいいんだよね」という吃音に関する教材を用いた。1週目の話し合いにおいて,絵本に関する子どものコメントの後,教師は吃音をからかわれたことがあるかを質問した。このとき,教師は子どもを見ていたが,子どもに体を向けてはいなかった。教師は子どもの返事を確認することなく,いじめに関する新たな質問をした。子どもは教師の質問に答えようとしたが,体や顔を教師に向けずに,今はいじめられていないと繰り返し述べた。2週目の話し合いにおいて,教師と子どもの相互交渉は改善されていた。教師は体と顔を子どもに向けながら話をしていた。子どもは,今はいじめられていないと繰り返すことはなかった。このとき,子どもは体と顔を教師に向けていた。教師は子どものつらさを思いやるような声で,いじめ経験の詳細について確認し,質問していった。知見は以下の通りである。(1)教師が子どもの気持ちを受け止めるとき,子どもは自分の経験や気持ちを語る。(2)教師の気持ちは,体や声の調子などの非言語的行動に表れる。(3)教師の行動は子どもの行動によって影響され,子どもの行動は教師の行動によって影響されている。
  • 古山 英二
    原稿種別: 本文
    2004 年 3 巻 p. 15-26
    発行日: 2004/03/30
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル オープンアクセス
    社会科学の中にあって経済学は最も数量化を意識してきた学問体系の一つであろう。誕生以来経済学は物理学を範として諸概念や分析道具を発達させてきた。経済学者は,他の社会科学に比して数量化が進んでいる自らの学問体系にひそかな誇りすら感じているといってもよいであろう。そうした数量化は経済量の計量単位として価格を用いることにより可能とされてきた。しかし,価格は経済量の計量単位としてどの程度まで有効なのであろうか。経済学のもう一つの伝統は,経済量をフローまたはストックとして捕らえる方法である。価格という計量単位はフローとストックの両方に矛盾なく適応可能なのであろうか。本論はこうした疑問への一つの回答を試みる。
  • 丸山 啓輔
    原稿種別: 本文
    2004 年 3 巻 p. 27-36
    発行日: 2004/03/30
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル オープンアクセス
    筆者は,日本経営学会誌第9号にて統合経済合理性という概念を発表した。統合経済合理性は,環境性,人間性,社会性,経済合理性(以上を4つのサブ原理とする)を統合したかたちでの概念としてとらえたものである。しかし,先の論文では,次の諸点を今後の課題として残した。(1)4つのサブ原理の堀り下げ(2)統合経済合理性の展開 本論文は,上記課題のうち(1)の合理性の堀り下げ,その一考察を試みたものである。本論文の概要は,次のようなものである。1.辞典から見た合理性・・・合理性をどうとらえているか,合理性とはどのような意味合いを持っているのか,について辞典を中心にとらえてみた。2.経営上の合理性の内容・・・ここでは活動的側面からとらえた経営の仕組みおよび経営上における合理性の内容の明確化を試みた。3.統合経済合理性とH.A.サイモンの合理性および前提との関係・・・統合経済合理性は,意思決定をする場合に配慮すべきものととらえているが,H.A.サイモンの客観的合理性,限定合理性,実体的合理性,手続合理性,さらに価値前提および事実前提を吟味し統合経済合理性との関係を明らかにした。
  • 宮入 小夜子
    原稿種別: 本文
    2004 年 3 巻 p. 37-51
    発行日: 2004/03/30
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル オープンアクセス
    1989年,関本・花田によって企業における帰属意識(組織コミットメント)の大掛かりな調査が行われた。本稿の目的は,1989年と2003年の組織コミットメントの変化を調査することであった。本稿の目的は,1989年と2003年の組織コミツトメントの変化を調査することであった。今回の因子分析とクラスター分析の結果は1989年の調査とほぼ同様であり,4種類のコミットメント因子が抽出された。それぞれの特徴から,各因子は(1)残留,(2)積極的意欲,(3)目標・価値・規範,(4)功利的なコミットメントと名づけられるようなものであった。本調査の結果を見ると,最近の人事制度改革や不安定な雇用情勢などの影響を強く反映したものになっていることがうかがえる。2003年には,(1)特に滅私案公的な「伝統型」や「企業依存型」タイプの組織コミットメントは大幅に減っている。(2)功利的コミットメントはほとんどの年齢層で増えているが,特にミドル層で顕著である。(3)「自己主体型」のタイプがミドル層において増えている一方,全ての帰属意識が薄い「希薄型」も同時に増加している。
  • 金山 弘昌
    原稿種別: 本文
    2004 年 3 巻 p. 53-73
    発行日: 2004/03/30
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル オープンアクセス
    1664年,G.L.ベルニーニは,ルイ14世の冬の宮殿,パリのルーヴル宮東翼建設のための最初の計画案を提案した。同案はいくつか特殊な面を示すが,それらは「比類するものふたつとなし」をモットーとする「太陽王」のために前例のない王宮を設計せんとする,ベルニーニの意図を反映したものに他ならない。同案のもっとも特異な要素のひとつが,中央部のいわゆる「ドームなしドラム」である。論者は,このモティーフの着想源と象徴的意味内容について新たな仮説を提示したい。「ドームなしドラム」については,すでに幾つかの仮説が提示されている。その着想源について,同モティーフの名付け親でもあるR.W.バージャーは,フランスの建築家にして版画家,アントワーヌ・ル・ポートルによる架空の館を描いた版画の影響を示唆している。当時のフランスの「建築総監」であったJ.B.コルベールは,このモティーフを「王冠」と解釈した。一方今日の幾人かの研究者たちは,集中式平面の聖堂との関連を主張し,このモティーフが君主の絶対で聖なる権力の象徴であるとみなしている。この点につき論者は新たな着想源として,スペイン王の皇子誕生を祝ってフィレンツェで上演された祝祭劇『イペルメストラ』(1658)のためにフェルディナンド・タッカが設計した舞台装置を描いたシルヴィオ・デリ・アッリの版画を提案したい。この舞台装置には「ドームなしドラム」状の円形建築が含まれ,それが「太陽の宮殿]を表すとされているのである。この円形建築は,形式においてルーヴル第1計画案と強い類似性を示すのみならず,その意味内容においてもまた「太陽王」の宮殿に大変ふさわしい。さらに「ドームなしドラム」をもち,「太陽の宮殿」を表現した一連の建築図面やイメージが存在する。例えばアポロンとしてのルイ14世を描いたヨーゼフ・ヴェルナーの素描や,マッティア・デ・ロッシによる同国王の記念碑の計画案などである。「太陽王」の宮廷周辺において,「太陽の宮殿」を「ドームなしドラム」で表現するというひとつの図像伝統が存在したことは否定しがたいのである。当然ながら,なぜ「ドームなしドラム」と「太陽」が結びついたのかという疑問が生ずる。バージャーが有名なクロード・ペローによるルーヴル宮の列柱廊の典拠とみなすオウィディウスの『変身物語』には,「ドームなしドラム」についての言及はない。同様に古代建築の復元図にも先例は見当たらない。現段階では,この結びつきがいくつかの建築書の記述に基づくと論者は考える。事実ウィトルウィウスは,「雷神ユピテルや天空神,太陽神や月神のためには,白日の下に露天式の殿堂が建てられる」と記している。一方アルベルティとパッラーディオは,太陽神の神殿が円形平面でなければならないと述べる。これらの建築的規則を総合するならば,太陽に捧げられた円形平面の露天式神殿を想像することは容易いのである。
  • 塩澤 寛樹
    原稿種別: 本文
    2004 年 3 巻 p. 88-75
    発行日: 2004/03/30
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル オープンアクセス
    文治元年(一一八五)に建立された勝長寿院は、源頼朝が鎌倉に建てた初めての本格的寺院であり、その後も鎌倉時代を通じて幕府に重んじられた。その本尊像制作を任されたのは、一般に奈良仏師と称される一派に属し、それまでほとんど実績の知られていない成朝であった。鎌倉幕府と奈良仏師の結びつきの発端となったこの仏師選定は、その後の鎌倉文化の展開に大きな影響を与えており、その重要性を再認識する必要がある。そこで、本稿は、鎌倉幕府関係造像の先駆けであるこの仏師選択の理由について検討した。その結果、従来繰り返し説かれてきたいくつかの主要な理由は、いずれも無理があると判断された。そして、頼朝の行動理論を分析し、加えて成朝の言上書に新しい解釈を加えた結果、頼朝が成朝は定朝の正系であると認識していたことが最大の理由ではないかと推定されるに至った。その上で、改めて勝長寿院における仏師選定のあり方が示すところを考えたところ、頼朝個人の論理に基づいて決定されたこの選定は、将軍独裁とも呼ばれるこの時期の政治体制とも軌を一にしており、極めてこの時期らしいあり方であることを指摘した。さらに、翌年の北条時政による願成就院の造仏に運慶を起用した理由についても、併せて解釈を提示した。
  • 丸山 啓輔
    原稿種別: 本文
    2004 年 3 巻 p. 89-100
    発行日: 2004/03/30
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル オープンアクセス
  • 伊藤 礼子
    原稿種別: Article
    2004 年 3 巻 p. 101-107
    発行日: 2004/03/30
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル オープンアクセス
  • 塩月 亮子
    原稿種別: 本文
    2004 年 3 巻 p. 109-118
    発行日: 2004/03/30
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル オープンアクセス
  • 飯森 豊水
    原稿種別: 本文
    2004 年 3 巻 p. 119-
    発行日: 2004/03/30
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル オープンアクセス
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