日本橋学館大学紀要
Online ISSN : 1884-2518
Print ISSN : 1348-0154
ISSN-L : 1348-0154
9 巻
選択された号の論文の8件中1~8を表示しています
  • 村上 千鶴子
    原稿種別: 本文
    2010 年 9 巻 p. 3-19
    発行日: 2010/03/01
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル フリー
    近年、卑近なものを題材にしながら大胆な構成、目を見張る色彩で装飾的にも芸術としても高い評価を得ている伊藤若冲作品の特徴を色彩、題材、作者の生き方などから分析する。若冲作品はその成立から250 年を経て現代もなお斬新な驚きをもって広く受け入れられている。主に、若冲作品の初期の代表作「動植綵絵」の分析によって見えてくるものについて、分析心理学、禅宗、華厳教の視点からその作品創造の原点を検討する。それによって、芸術の専門家とは異なった視点からその作品の意義、美しさの意味、および作者の深層の心情を明らかにすることを意図した。結果として、若冲の動物綵絵は、決して派手な色彩で彩られているわけではなく、地味な背景に輝く白が特徴的であった。題材は、卑近な生物の緻密な描写から想像上の生き物の模写まで幅広く、構図はむしろ抑制と熟慮の利いたものであった。その緻密な描写による生命の迸りには、臨済禅宗徒の絵師伊藤若冲の心の深い境涯への没入と見性が示唆された。彼こそは真の芸術家と呼ばれるに相応しい稀有な存在であることが示唆された。
  • 安田 比呂志
    原稿種別: 本文
    2010 年 9 巻 p. 21-34
    発行日: 2010/03/01
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル フリー
    ディヴィッド・ギャリックは18 世紀における『リア王』の人気を高める上で大きな貢献を果たした。ところが、彼は常にネイハム・テイトの改作に基づく『リア王』を上演しており、最後までハッピーエンドという結末を捨て去ることがなかった。18 世紀当時から「シェイクスピアの偉大な崇拝者にして最良の注釈者」として知られていた彼が、なぜシェイクスピアの原作上演を避けたのか。この問いに対して、これまで多く学者たちが異口同音の回答を繰り返してきた。劇場経営者でもあったギャリックは興行的な成功を確実なものとするために、ハッピーエンドを求める観客の嗜好に迎合したというのである。ところが、ギャリックの『リア王』の上演を検証して行くと、ギャリックが舞台上に結晶化させていたリア像が、彼の演技術と分かちがたく結びついており、しかもハッピーエンドという結末なしには実現不可能なものであったことが明らかになる。本論は、ギャリックが心に抱いていたリアに関する理念や、その理念を舞台上に実現するために用いた彼独自の演技術、そして、彼のリアが観客に与えた衝撃の性質に関する考察を通して、彼のリアが、ハッピーエンドを通して初めて完成するものであり、しかも、単なる大衆への迎合ということではなく、彼自身の役者としての能力を最大限に活かしながら新しいリア像を創造するめの有効な媒体であったことを明らかにする。
  • ルグロ ユーグ
    原稿種別: 本文
    2010 年 9 巻 p. 35-48
    発行日: 2010/03/01
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル フリー
    Schumpeter thought that capitalism was doomed to disappear. The specific threat against it is a dangerous routine(called in this paper "schumpeterian routine") at work in large-scale businesses, which ineluctably contaminates thewhole economic system with big firms spreading in economic life. For Schumpeter, the growing importance of teamworkin these big firms could lead to "the obsolescence of the entrepreneurial function".This "entrepreneurial function" is at the heart of capitalism: entrepreneurs are in the midst of creative destructionand, to earn exceptionally high profits, make revolutionary "new things" that cause the instability of capitalism.Our point is that, in fact, capitalism is not presently endangered. It efficiently resists schumpeterian routine and the"entrepreneurial function" is not about to become obsolete. Moreover, the action of schumpeterian routine in big firmsremains to be proven and the hypothesis of generalization of large-scale businesses in economic life is not supported byfacts. Big firms can be useful, side-by-side with little firms, if governments succeed in finding "the right blend" necessary to economic growth.
  • 服部 一枝
    原稿種別: 本文
    2010 年 9 巻 p. 49-61
    発行日: 2010/03/01
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル フリー
    新教育基本法に基づいて、2008 年に学習指導要領が改訂・告示されたが、文部科学省は〔生きる力〕の教育理念は変わらないとしている。〔生きる力〕は、1996 年の中央教育審議会の答申で初めて提言された。それは変化の激しいこれからの社会を生きていくために必要な資質、能力として、「問題解決能力」「豊かな人間性」「健やかな体」の3 つをいうものであった。この〔生きる力〕は、その後の時代と社会の変化に対応する形で変容を遂げてきた。1998年の答申では、「豊かな人間性」を育むために、「ゆとり」の中で「心の教育」をすることの重要性が説かれた。まもなく学力や学ぶ意欲の低下などが懸念されるようになると、2003 年には、これからの学校教育の目指すべき点は、「確かな学力」を基盤に〔生きる力〕を育成することである、と学力の重要性を前面に打ち出す方針が示された。しかし、2008 年の答申では、今の日本の子どもは、学力の問題だけではなく、「豊かな心」「健やかな体」の育成にも目を向けなければならないのが実情であると再定義している。このたび提言された〔生きる力〕を養う方策として、「演劇」が最適であるといっても過言ではない。「演劇」がこれからの学校教育にとって最重要の1 つであるという主張は早くからなされているが、いまだ学校の教育課程に正課として位置づけられていないのは残念である。そこで、高等学校で「演劇」を取り入れている事例を調査、検討し、〔生きる力〕の基盤となる「確かな学力」「豊かな心」「健やかな体」をバランスよく育む方法として、「演劇」が今こランスよく育む方法として、「演劇」が今こそ注目されるべきであるという考えを述べた。
  • 佐久間 祐子, 柴原 宜幸, 村上 千鶴子
    原稿種別: 本文
    2010 年 9 巻 p. 63-70
    発行日: 2010/03/01
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル フリー
  • 柴原 宜幸
    原稿種別: 本文
    2010 年 9 巻 p. 71-80
    発行日: 2010/03/01
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル フリー
  • 宮入 小夜子
    原稿種別: 本文
    2010 年 9 巻 p. 81-98
    発行日: 2010/03/01
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル フリー
  • 横山 哲太郎, 佐久間 祐子, 末松 渉, 佐々木 由利子, 柴原 宜幸, 村上 千鶴子, 中里 弘
    原稿種別: 本文
    2010 年 9 巻 p. 99-104
    発行日: 2010/03/01
    公開日: 2018/02/07
    ジャーナル フリー
feedback
Top