源氏物語の、若菜巻以降の物語は、光源氏が相対化、矮小化されてゆく過程であるという評価がこんにち広く行われている。ただ物語のどのような局面に、そうした源氏の相対化を指摘するかとなると、論者によってまちまちである。本稿では、若菜巻独自の光源氏の呼称の問題、柏木物語を織り成す神に関わる言葉、紫上の位置づけなどの視点から、右のような理解の意義と問題点を再検討し、長大な第二部の世界を貫く物語の主題を分析する。
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