日本文学
Online ISSN : 2424-1202
Print ISSN : 0386-9903
60 巻, 10 号
選択された号の論文の13件中1~13を表示しています
特集・近世韻文の力
  • —時代区分とジャンルの越境について—
    鈴木 健一
    2011 年 60 巻 10 号 p. 2-11
    発行日: 2011/10/10
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー

    江戸詩歌史を構想するに際しては、上限を一六世紀初めまで遡らせ、下限を一九世紀末まで引き下げることも十分検討に価しよう。また、最も重要な結節点は一八世紀中頃から後半にかけてにあると考えられる。つまり、江戸詩歌は上品で優雅な作品に加えて俗の要素が拡張する前半期と、日常性が台頭し、口語化、大衆化の促進する後半期に分けられるのである。そのような中、ジャンルの越境も相俟って、和漢や雅俗の区別が曖昧になり、渾然一体となったところに、近代となって新たな対立軸の洋が生まれてくる。

  • —余寒をめぐって—
    宮脇 真彦
    2011 年 60 巻 10 号 p. 12-21
    発行日: 2011/10/10
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー

    俳諧の季語は、一句の季感を決定するものとして、一句の題に準じて考えられてきている。そのため、一句に季語が二つ以上詠み込まれる季重なりなどの場合、句の中心となる季語を選び出して季感を決定するという手続きが取られても来たのである。こうした一句の季に関する考え方は、現代俳句での季語に対する考え方の反映として、無意識に俳諧の発句に向き合ったための手続きでは無かったろうか。本稿では、芭蕉が積極的に編集に参加した『猿蓑』所収「春風にぬぎもさだめぬ羽織哉」の一句を取り上げ、その前書「露沾公にて余寒の当座」を手がかりに、蕉風俳諧における題と言葉、季題と季語の関係について考えてみた。そこからは、俳諧の発句が、現代俳句のような季語を詠み込むことにおいて季題を提示する方法ではなく、題を表現しようとして一句の季語を用いてゆくという、むしろ和歌的な題詠の方法が見えてくる。

  • —天明狂歌を中心に—
    石川 了
    2011 年 60 巻 10 号 p. 22-29
    発行日: 2011/10/10
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー

    天明狂歌を頂点とする江戸狂歌は、十八世紀後半期に発生し、天明期に大流行する。

    まず大流行は、狂歌作者兼書肆であった浜辺の黒人というメディア抜きにして語れない。また、初期の江戸狂歌グループは極めて自由なサロン的なもので、その中心は唐衣橘洲であった。天明二年に表面化する橘洲編の狂歌若葉集と、四方赤編の万載狂歌集の確執の結果は後者の圧勝で、新たに赤良が天明狂歌の盟主となり、蔦屋重三郎とともに車の両輪となって狂歌界を動かすが、寛政改革で作者層が大きく変わり、蔦屋重三郎も失脚する。

  • —広瀬旭荘・河野鉄兜・柴秋村を中心に—
    合山 林太郎
    2011 年 60 巻 10 号 p. 30-39
    発行日: 2011/10/10
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー

    本稿は、幕末京摂の漢詩壇の動向及びその位置づけについて、とくに広瀬旭荘・河野鉄兜・柴秋村の活動に焦点を当てつつ、分析するものである。この時期の京摂詩壇では、中国清代の詩人袁枚や趙翼に想を得た自由奔放な詩や、中晩唐の詩に範を取る温雅・艶冶な詩など、様々な詩風が喜ばれたが、幕末江戸詩壇の大家大沼枕山は、京摂の詩風、とくに旭荘に対して批判的である。こうした情報は、多様な詩風・詩説が並存し、把握が難しいこの時期の詩壇の状況を考える上で重要な指標となる。

  • —『新体詩抄』と『新体詩歌』をめぐって—
    青山 英正
    2011 年 60 巻 10 号 p. 40-51
    発行日: 2011/10/10
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー

    従来、前近代の韻文と新体詩との関係は、長歌とのそれがもっぱら注目されてきた。しかし、『新体詩抄』の表記形式や文体は、過去との決別を謳った序文の宣言と裏腹に、教訓和讃のような世俗的な近世韻文が主に参照されていた。また、『新体詩歌』の編者竹内隆信は、新体詩を一種の詠史として理解し、歴史を詠んだ近世の謡曲などを同書に採録した。このように初期の新体詩は、長歌以外も含めた多様な近世韻文を基盤として創始された。

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