新派劇が「不如帰劇」などの上演によって人気を博した一九〇〇年代は、小説と演劇の関係についての問題が提起された時期でもあった。そこでは特に表現の「自然」が問われた。文字表現と音声表現の差異は台詞の書き換えの議論を呼んだ。広津柳浪は地の文の固定性と舞台上の演技の流動性との差異の認識から、地の文の排除により徹底したリアリズムを見出した。文壇小説から見たプロットの「不自然」さは、新派劇によって「自然」に読み換えられた。文壇小説と新派劇の間の「自然」の争奪は、新劇と通俗小説という対抗ジャンルを成立させた。
昭和一〇年前後、新派・新劇のジャンルでいわゆる「純文学」脚色が流行するなど、文学と演劇の関係はそれまでと異なった様相を見せるようになる。本稿では昭和一〇年の「春琴抄」劇化を取り上げ、久保田万太郎、川口松太郎による脚色の相違を通じ、当時の劇界また観客が「春琴抄」のどこに着目したかを考察する。また、右の考察を通じて当時の劇界と文学界また映画界の関係についても言及していきたい。
昭和十四年、陸軍の要請を受けて著された、菊池寛『昭和の軍神 西住戦車長伝』は、通俗小説に堕すことを避けて、〈事実〉を資料に語らせる〈伝記小説〉の形を採った。それが歌舞伎や映画といった〈演劇〉的空間に移された時、それぞれのジャンルの特質から変貌を遂げる。〈小説〉的空間に属する原作と、菊池寛自身が書いた舞台脚本、他のライターが執筆したシナリオとを比較し、作家と戦争との関わりや、作品受容の実態を明らかにする。
安部公房原作脚本・勅使河原宏監督による映画『他人の顔』には、顔の右半分にケロイドを負った女性が登場する。小説から映画へと変成される過程で、彼女の存在は議論の的となった。本稿ではこの作品を、原爆投下という破壊的・暴力的な出来事に対する文化的反応として捉え返し、女性被爆者の表象について考察する。言語(原作・台本)と映像(演出・編集・美術・音響)を横断して、「原爆乙女」の表象(不)可能性と、それをめぐる作家たちの想像力を吟味する。
石原慎太郎「太陽の季節」は、発表当初から毀誉褒貶の激しい作であったが、その背景には、青年男女が自らの世代に近い作家の作品を消費するような戦後大衆社会の姿がある。もともと映画との親和性を持っていたこの作が実際に映画化され、「太陽族」という現象と流行語を生むほどの物語として大衆に消費されていったとき、アメリカの文化を吸収したところに生成した湘南のそれは、国内の海辺へと蔓延していったのである。
岡田利規『三月の5日間』(初演 二〇〇四・二)はイラク戦争を背景としながら渋谷のラブホテルの一室を舞台に展開する戯曲である。が、物語は単線的に進まずイラクでの戦争と渋谷のラブホテルの一室と「セカイ系」の宇宙が強引なまでに並置され、それらが収拾しがたく拡散している。また身体と言葉は対等の関係を持ち、それぞれが個別に過剰さを増すため、身体は無化されてしまう。このような構図から導かれる「ユルさ」こそ岡田の戦略であり、また迂回しながら社会と関わろうとするアクチュアルな姿勢を認めることができる。