日本文学
Online ISSN : 2424-1202
Print ISSN : 0386-9903
60 巻, 9 号
選択された号の論文の16件中1~16を表示しています
 
  • —〈清経〉〈敦盛〉そして〈朝長〉—
    三宅 晶子
    2011 年 60 巻 9 号 p. 1-9
    発行日: 2011/09/10
    公開日: 2017/05/19
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    能は引用なくしては成立しえない。ほとんどの夢幻能には本説(典拠)があり、構想レベルからすでに引用の世界である。人物造形の方法、見せ場の構成、名所に縁のある詩歌、故事・経文・呪文など様々に利用されている。

    本稿では、世阿弥が「平家の物語のままに」(三道)作った修羅能と、息男元雅作の朝長(『平治物語』が本説)を取り上げ、能によって変貌した主人公たちを追ってみたい。

  • —『梁塵秘抄』三一九番の歌「太子を迎へて遊ばばや」について—
    縄手 聖子
    2011 年 60 巻 9 号 p. 10-20
    発行日: 2011/09/10
    公開日: 2017/05/19
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    『梁塵秘抄』三一九番歌で「太子」とうたわれる人物は、『列仙伝』の王子喬を典拠としている。だが、王子喬という固有名詞ではなく、「太子」という呼称を用いていることから、「太子」は院政期の東宮ではないかと考えられる。その他に王子喬自身が日本の礼楽思想と深く関わっていること、三一九番歌でうたわれる遊ぶ鶴亀という風景の基底には、王権への祝いがあることなどを起点として、三一九番歌を読み解いていく。

  • —芦丈・竹邨・梅游の三吟歌仙をめぐって—
    二村 文人
    2011 年 60 巻 9 号 p. 21-28
    発行日: 2011/09/10
    公開日: 2017/05/19
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    旧派の連句が、実際には蕉風をどのように継承しているかということを作品に即して検討する。そのために、蕉風伊勢派の俳諧を現代に伝え、付けと転じが連句の特質であると説いた根津芦丈を中心に、親交のあった三人が巻いた歌仙「小鳥来る」の巻を取り上げる。各務支考が体系化した「七名八体説」の八体論がどのように意識されているのかを明らかにしながら、現代連句の課題にも言及する。

  • —明治二四年、内田不知庵が村上浪六の登場に見た「小説」の可能性と危惧—
    大貫 俊彦
    2011 年 60 巻 9 号 p. 29-39
    発行日: 2011/09/10
    公開日: 2017/05/19
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    村上浪六の『三日月』(明二四)は従来大衆小説の一ジャンル「撥髪小説(ばちびんしょうせつ)」の嚆矢として捉えられ、批評家内田不知庵(うちだふちあん)がその文学的価値を当初から否定した人物として位置づけられてきた。本稿は、『三日月』を論じた不知庵の評論を「詩(ポーエトリイ)」の観点から捉え直すことで、不知庵が浪六の登場時、『三日月』に同時代の文学観を刷新する「小説」の可能性とそれを妨げかねない可能性をともに見出していたことを論じた。

  • —保田與重郎「アンチ・デイレツタンチズム」—
    小松原 孝文
    2011 年 60 巻 9 号 p. 40-48
    発行日: 2011/09/10
    公開日: 2017/05/19
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    本稿では、保田與重郎(やすだよじゅうろう)の「アンチ・デイレツタンチズム」の読解を通じて、保田の考える文学が、無限の反省の運動に支えられていることを明らかにする。それは作家が世界の新しい語り方を開くときに見られるものであり、既存の言葉使いに対する終わりのない問い直しとして現れるものであった。こうした文学観は、ドイツ・ロマン派のシュレーゲルの文学観と通底するものであり、保田が後に掲げる「イロニー」の予兆を示すものである。

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