本論は、『うつほ物語』における内親王獲得の明暗という視角から論じる。主な考察対象は、藤原仲忠と源祐澄である。史上の皇女の婚姻状況を見据え、「皇女を盗む」行為の特殊性をあぶり出すとともに、祐澄による女二の宮強奪未遂事件に至る過程に、周到な語りの方法が用いられていることを明らかにしたい。さらに、その女二の宮強奪を仲忠が阻むという構図から、初の長編物語が終焉を迎えるにあたって辿り着いた志向性を読み取ることを目的とする。
『源氏物語』成立の背景には、紫式部を取り巻く複数の「作り手」側の人々の存在が想定される。本稿では彰子付女房達のこの物語に対する距離感の実態について、紫式部と伊勢大輔との贈答歌二組に見える複雑に高度な引用の様相から考察した。これらは和歌における最初期の『源氏物語』摂取の例と言える。物語の記憶の共有は彰子を支える女房らをつなぐものとして重要であり、紫式部という女房の存在意義も彰子後宮のアイデンティティを特徴づけるものという視点から捉え返される。
伊勢の和学者荒木田久老は、寛政十一年から享和元年まで上洛・上坂を果たすが、その間の万葉講義の実態についてはこれまで殆ど知られていなかった。本稿では、寛政十一年に京洛の門人らに対する講義の記録といえる国文学研究資料館蔵久老説書入『万葉集』を提示しつつ、同年成稿の『万葉考槻乃落葉四之巻解』がその講義の成果を取り入れる形で成っていることを、特に秋成説受容の観点から立証し、久老上洛時の『万葉集』をめぐる活動の一端を明らかにする。
本稿では、『悪魔の手毬唄』の物語構造を一九五〇年代後半の農村表象という文脈から照射し、パロディとして引用された『楢山節考』との批評的距離を検討した。『悪魔の手毬唄』には同時代の農村の「リアリティ」が織り込まれるとともに、「リアリティ」と手毬唄に代表されるフォークロアとの結節点において、戦前・戦後のそれぞれ異質な排除をめぐる暗闘が刻印されている。農村の封建的秩序を主なモティーフとしてきた金田一シリーズの転換を見定めつつ、〈戦後啓蒙〉の語りからも反動的なナショナリズムからも身をそらす『悪魔の手毬唄』の農村表象の位相を明らかにした。