日本文学
Online ISSN : 2424-1202
Print ISSN : 0386-9903
61 巻, 11 号
選択された号の論文の14件中1~14を表示しています
特集・受容と読者の近代
  • ――傍聴筆記の受容と言文一致小説――
    山田 俊治
    2012 年 61 巻 11 号 p. 2-11
    発行日: 2012/11/10
    公開日: 2018/01/12
    ジャーナル フリー

    言文一致小説の成立は、同時代の表現が受容されて新たな文体を生成するという問題にとって欠かすことのできない課題である。口語体による書記言語の書物を実現した三遊亭円朝の速記本を受容することで、坪内逍遙以下によって通俗的な読み物を美術小説に転ずる努力がなされた。逍遙の傍観的な語り手の試みから、二葉亭四迷の同化表現による語り手の消去、山田美妙による修辞的な物語叙述などが試みられ、言文一致体小説は美術小説としての卓越性を獲得していった。そして、円朝速記本はその起源と見なされるようになるのである。

  • ――近代教育制度確立期における「孝子説話」をめぐって――
    眞有 澄香
    2012 年 61 巻 11 号 p. 12-21
    発行日: 2012/11/10
    公開日: 2018/01/12
    ジャーナル フリー

    明治維新後、四半世紀に亘って日本の近代教育制度は浮流と模索を繰り返したが、その間には、前時代から庶民の道徳書として広く親しまれてきた「二十四孝」が読み継がれていた。本稿では、明治初期から中期にかけて出版された和製「二十四孝」の諸本を取り上げ、次第に「孝子もの」が母性を主な対象にしていくこと、また、孝子より烈婦や貞女に比重が置かれていくことを確認し、「孝子もの」が近代国家形成期にどのような意義を有したかを考察した。

  • ――戦場と読書が結びつくとき――
    中野 綾子
    2012 年 61 巻 11 号 p. 22-34
    発行日: 2012/11/10
    公開日: 2018/01/12
    ジャーナル フリー

    本論は、学徒兵として戦場に行く可能性のあった学生の読書行為を視座とし、日本出版文化協会による読者層別図書推薦運動の言説を学生メディアなど多様な資料をもとに分析することで、戦場と読書が結びついていくさまを明らかにした。そこからは、従来のロマン的で典型的な学徒兵の読書イメージではない、戦場における「望まれていた書物」と「望んでいた書物」、「読める書物」の三つが複雑に絡み合った複数の読書イメージの可能性が立ち上がってくる。

  • ――日本統治下台南の塩分地帯における呉新榮の文学――
    大東 和重
    2012 年 61 巻 11 号 p. 35-46
    発行日: 2012/11/10
    公開日: 2018/01/12
    ジャーナル フリー

    本稿は、日本統治下台南の文学者、呉新榮(Goo Sin-ing)が残した日記などの資料を通して、一九三〇年代の植民地の地方都市における、ある作家の文学活動について概観するものである。東京留学から戻った呉新榮は、医業のかたわら、内地や台湾の新聞や雑誌、書籍を熱心に読み、地元の文学青年たちや台湾全島の文学者たちと文学団体を結成し、郷土を描く詩や郷土研究のエッセイを発表した。呉新榮の活動には、一九三〇年代における、台湾人作家による台湾文壇の成立――台湾人作家たちが、熟達した日本語を用いて、台湾人読者に向けて作品を書く状況の成立が刻み込まれている。

  • ――読者を案内する空間づくり――
    岡野 裕行
    2012 年 61 巻 11 号 p. 47-55
    発行日: 2012/11/10
    公開日: 2018/01/12
    ジャーナル フリー

    図書館は単に本を読むためだけの空間ではない。昨今は人と人とが出会うための「場」づくりを目指すような図書館が増加しているように、そこを訪れる利用者に本や人との新たな出会いを提供し、知的好奇心を刺激するような創発的な空間へと変わってきている。また、ウェブの普及に伴って本の情報流通過程が大きく変化を遂げており、「本との出会い」を促す仕組みが従来よりも多様なものとなっている。読者や読書について考える際には、そのような本と人とが繋がるきっかけづくりの取り組みにも注目していく必要がある。

 
  • ――「錯覚のある配列」から「アカシアの匂に就て」へ――
    尾形 大
    2012 年 61 巻 11 号 p. 56-66
    発行日: 2012/11/10
    公開日: 2018/01/12
    ジャーナル フリー

    映画とプロレタリア文学に対抗する意図のもと、新しい心理小説を模索しはじめた一九三〇年の伊藤整は、同年前半にフロイトの精神分析学を導入した小説を、後半以降はジョイスの「意識の流れ」の手法に倣った小説を相次いで発表する。伊藤とフロイト、ジョイスとの関連では、これまで様々に論じられてきたが、プルーストについてはほぼ手つかずの状態であった。本稿は、「英訳をとほして読ん」だという伊藤の特殊なプルースト受容の中身に注目して、短編小説「錯覚のある配列」(二月)および「アカシアの匂に就て」(八月)に書き込まれたプルーストの「影響」をそれぞれ明らかにするとともに、プルーストがこの時期の伊藤の文学観を形作る大きな柱のひとつとなっていたことを論考した。

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