応神記歌謡と万葉歌に見られる「イザコドモ」は、天皇と臣下あるいは律令官人同士の間で慣用的に詠まれる歌ことばである。この歌ことばは儀礼と宴席をつなぎ、公性の保たれた「場」において君臣を親和関係に導く。それは、歌ことばとしての「コドモ」の核となる「父」とそれに教導される複数の子の関係に擬制する方法によって可能であった。「イザコドモ」を、同時代の言語状況とも照らし合わせつつ、その機能と論理を明らかにする。
『源氏物語』の時代、浄土教思想や無常観のようなものが浸透するなか、むしろはかない「この世」をいっそういとおしみ、死者や死にゆく者の視点を先取りして「この世」を遠く眺め見つつ、「この世」そのものへの多大な愛情を表わすというような文学上の表現が散見するようになる。『源氏物語』では、柏木の死をめぐる物語以降特に顕著に表われてくる傾向であろう。仏教的来世思想の浸透と再解釈のうえに現れてくると思われるこうした眼差しを追い、『源氏物語』の世界観を問う。
平治の乱については、同時代史料が皆無に近いことが原因してその実態が不明であり、これまで種々の推測がなされてきた。小稿は、初発の事件である三条焼き討ちを、後白河の意を受けた信頼が信西を除こうとした事件であるとする河内祥輔氏説を支持し、その補強を行った上で、自分なりに平治の乱を捉え直し、その認識の上に立って『平治物語』における信頼、光頼、清盛に関わる虚構を解明しようとするものである。
尾張の中興期俳人、加藤暁台の手になるとされながら、これまで検討されることのなかった蕉風伝書『白砂人集』について、暁台系の新出写本を紹介し考察する。写本『白砂人集』の諸本に検討・分析を加え、出版への腐心の跡を検討することにより、暁台が版本『白砂人集』の上梓について直接的に関与していたことを明らかにした。その分析をもとに、『去来抄』の出版にあたり、暁台が「故実」篇を省略した理由が、『白砂人集』の出版にあることを結論づけた。