日本文学
Online ISSN : 2424-1202
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61 巻, 9 号
選択された号の論文の12件中1~12を表示しています
  • ――見間違えの構造をめぐって――
    丸山 隆司
    2012 年 61 巻 9 号 p. 1-10
    発行日: 2012/09/10
    公開日: 2017/11/22
    ジャーナル フリー

    アイヌの伝承文学であるカムイ・ユカㇻは、折口信夫―金田一京助以来、神の一人称叙述であると説かれてきた。しかし、近年アイヌ語学では一人称叙述ではないとされている。その叙述形式について、知里幸恵編著『アイヌ神謡集』(岩波文庫)所収の第二話「狐が自ら歌った謡 トワトワト」の分析を通して、従来の諸説とは異なる仮説をたてる。

  • ――『日本霊異記』下巻第三十九縁の転生譚を中心に――
    山本 大介
    2012 年 61 巻 9 号 p. 11-22
    発行日: 2012/09/10
    公開日: 2017/11/22
    ジャーナル フリー

    『日本霊異記』下巻第三十九縁は、禅師より転生した桓武天皇の皇子ならびに嵯峨天皇を「人家々」「聖君」と称する。「人身」から「人身」へと転生を重ねながら輪廻を離れ成仏へと向かう「人家々」として皇子や天皇を捉える一方、嵯峨天皇を「聖君」と称する論理は、「聖君」と称される仏による法滅の世の救済を説く奈良末平安初期にみえる仏典の言説と不可分と考えられる。末法の世にある「日本国」の救済者である「聖君」として嵯峨天皇を顕現させる『霊異記』編者景戒の思考を考察した。

  • 橋立 亜矢子
    2012 年 61 巻 9 号 p. 23-32
    発行日: 2012/09/10
    公開日: 2017/11/22
    ジャーナル フリー

    本稿では能舞台で他者になりかわることを可能にしている物着や移り舞といった演技形式に着目し、分身が見られる「二人静」、両性を具有する「杜若」、松を行平に見立てる「松風」、男女の性が交錯する「井筒」の四作品を取り上げながら、男女の性の越境と虚構の性の表れ方について考察する。そして「井筒」の作者である世阿弥自身の能芸論についても併せて考えることで、虚構によって表現された「幽玄」とはいかなるものであったのか考察する。

  • 松本 和也
    2012 年 61 巻 9 号 p. 33-44
    発行日: 2012/09/10
    公開日: 2017/11/22
    ジャーナル フリー

    本稿では、昭和一〇年代後半(昭和一五~一七年)の私小説言説を検討対象として、それらが陰に陽に意識していたと思しき歴史小説(や客観小説)を主題とした言表との相関関係において分析・記述する。昭和一六年までに歴史小説言説と私小説言説とが、〝私〟を基(起)点とする作家としての態度を重視するという点で近接していたことを明らかにした上で、対米英戦開戦の一二月八日をへて一挙に合一される様相までを論じた。

  • ――「ビヂテリアン大祭」における「衣装」をめぐって――
    中村 晋吾
    2012 年 61 巻 9 号 p. 45-54
    発行日: 2012/09/10
    公開日: 2017/11/22
    ジャーナル フリー

    宮澤賢治の「ビヂテリアン大祭」における、カーライルの『サーター・リサータス』から引用される「衣装」観は、他者に対して自分をどのように提示するかという規範意識だけではなく、後半の「菜食主義」の是非をめぐる論争においても、連続性にたいする分節や、「正しいこと」をなそうとする意識の問題として底流している。この作品の「衣装」観は、「菜食信者」の思想態度そのものと密接にからみあっている。

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