日本文学
Online ISSN : 2424-1202
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62 巻, 7 号
選択された号の論文の14件中1~14を表示しています
特集・中世の定型
  • ――『毎月抄』の時代――
    渡邉 裕美子
    2013 年 62 巻 7 号 p. 2-15
    発行日: 2013/07/10
    公開日: 2018/07/13
    ジャーナル フリー

    一〇世紀半ばに曾禰好忠によって創始された初期百首以降、歌を百首のまとまりとして詠むということは、詠歌のひとつの「型」であったと考えられる。平安初期から室町時代まで和歌史をたどると、定数歌・続歌・着到和歌とさまざまな詠歌の枠組みが現れるが、その中で百首というまとまりで詠歌することはよく行われている。しかし、「百」という数の用いられ方を見ると、ひとりで百首を一度に詠む例ばかりではなく、時代によって変化していることもわかる。また、百首を練習に用いる例は初期百首以降よく見られるが、その修練のあり方にも時代による変遷がある。定家著か否か真偽が争われている『毎月抄』は、毎月百首を定家の許に送ってきた人への「返報」という枠組みの中で展開された歌論書で、その枠組みと密接に関わりつつ、大量の和歌を詠む稽古修道論が強調されている。和歌史に照らし合わせてみると、毎月「百首」を詠むような修練を前提とした『毎月抄』は、為家以後の和歌世界を存立基盤とすると考えられる。

  • ――慈円『愚管抄』にみる正統性の定型をとおして――
    松本 郁代
    2013 年 62 巻 7 号 p. 16-26
    発行日: 2013/07/10
    公開日: 2018/07/13
    ジャーナル フリー

    慈円『愚管抄』の歴史叙述を、慈円が構想した「末法」という一点の現実から生じた正統性のエクリチュールとして読み解いた。本稿で捉えた「定型」とは、慈円が叙述に構想した神話的身体としての天皇が、歴史的・社会的文脈、世界観を構築する正統性のベクトルとしてである。かかる意味世界における『愚管抄』とは、正統性を体現した神話的身体としての天皇が社会を開/閉した「定型」の叙述であり、愚管抄的世界を生んだ中世を開/閉する扉のような存在であった。

  • ――「松の柱」のある景色――
    渡瀬 淳子
    2013 年 62 巻 7 号 p. 27-36
    発行日: 2013/07/10
    公開日: 2018/07/13
    ジャーナル フリー

    中世において粗末な家を描写する際にしばしば用いられる言葉に「松の柱」がある。 これは白居易の詩句から出た表現であったが、白居易の活躍した中国において、「松柱」が特別な意味を持つことはなかった。しかしそれがなぜか日本においては、ぼろ家の描写に定型句のように用いられることとなった。この現象を探るため、散文韻文の用例を検討した結果、この現象の根底には『源氏物語』の流行があると考えるに至った。さらに『源氏物語』享受を通して白居易の詩を須磨巻の内容に即して理解した結果、極めて日本的な解釈が成立していた可能性を指摘した。

  • ――舞童から幸若丸まで――
    清水 眞澄
    2013 年 62 巻 7 号 p. 37-46
    発行日: 2013/07/10
    公開日: 2018/07/13
    ジャーナル フリー

    中世、名は与えられるものという建前を持ちつつも、実は名乗ることで「名」を主体的に用いる、いうなれば自らの役割や位置づけを主張するための名乗りが出現した。これは、歴史的な経緯の中でも極めて注目すべき変換であった。やがて芸能の世界では、通字ではなくて、名前そのものが受け継がれるようになった。芸名の出現である。けれども、中世以前の芸名が具体的にどのような社会的価値を持ったのかという検証は、従来ほとんど行われてこなかった。本稿では、舞童の名の問題から芸名の系譜をたどり、その有りようを中世の定型と捉えることで、文芸を読み解くための手掛かりとしたい。

  • ――「詩歌合(文明十五年)」を例に――
    堀川 貴司
    2013 年 62 巻 7 号 p. 47-55
    発行日: 2013/07/10
    公開日: 2018/07/13
    ジャーナル フリー

    王朝以来の伝統のある公家の漢詩と、新しく興った五山禅林の漢詩とが場を同じくした、室町幕府第九代将軍足利義尚主催の「詩歌合(文明十五年)」から、いくつかの漢詩作品(七言絶句)を取り上げて分析した。題の字を前半二句に詠み込み、後半二句ではその内容を発展させたり主催者への賛美を述べたりする、という二部構成を取る、という点では両者にそれほどの違いは見られないが、五山僧の作品にはさらに興趣を増す表現上の工夫があり、それこそが五山禅林の漢詩の特徴である、と結論づけた。

  • ――寛永三年版『保元物語』の挿絵を中心に――
    出口 久徳
    2013 年 62 巻 7 号 p. 56-65
    発行日: 2013/07/10
    公開日: 2018/07/13
    ジャーナル フリー

    寛永三年版『保元物語』『平治物語』は絵入り写本制作に利用された可能性があるなど、影響力をもった本であった。寛永版は挿絵を効率的に制作するためか、定型化された絵が多く用いられた。定型的な絵が連続することで、読者にはある読みの方向性が示されることとなる。近世前期の『保元』『平治』の受容の状況を鑑みると、挿絵からこれらの乱を経て武士達が立場の上昇を読み取れると考えた。なお、今回は『保元』を中心に論じた。

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