日本文学
Online ISSN : 2424-1202
Print ISSN : 0386-9903
62 巻, 9 号
選択された号の論文の13件中1~13を表示しています
 
  • ――「やまあららぎ」の解釈を中心に――
    松沢 佳菜
    2013 年 62 巻 9 号 p. 1-14
    発行日: 2013/09/10
    公開日: 2018/09/11
    ジャーナル フリー

    催馬楽は上代民謡としての性格が強調されてきたが、近年、宮廷人の改訂を経て上代から平安にかけて段階的に詞章が形成された経緯を想定すべき事が指摘されている。本論は「婦与我」が発想上は万葉歌の類型表現に基づきつつも、平安和歌に近似する修辞技巧を用いている事を指摘し、当該歌謡を催馬楽の形成過程を示す一例と位置づけた。また従来高木の「コブシ」であるとされる「やまあららぎ」の語が草の一種を指す可能性を指摘した。

  • ――家集冒頭二首に詠まれた年時――
    佐藤 勢紀子
    2013 年 62 巻 9 号 p. 15-24
    発行日: 2013/09/10
    公開日: 2018/09/11
    ジャーナル フリー

    『紫式部集』冒頭の二つの歌に詠まれている式部の友人との別れが同じ時のものであるか、またいつのことであったかについては、従来様々な説が提示されてきた。本稿では、第二首の詞書にある「きたる」の主語が友人ではなく「秋はつる日」(秋が終わる日)であるという解釈をほどこし、それにもとづいて、二首に詠まれているのは同じ一夜の友人との出会いと別れであり、その体験は正暦元年(九九〇)十月九日のものであったことを明らかにした。

  • ――時代背景と形式――
    山本 啓介
    2013 年 62 巻 9 号 p. 25-37
    発行日: 2013/09/10
    公開日: 2018/09/11
    ジャーナル フリー

    後柏原天皇時代の文亀二年(一五〇二)より、参会・披講を伴う晴儀の御会始が行われている。ただし、後年の御会始には、不参の者も少なくなかった。それは貴族達の困窮が一因であったとみられる。そうしたなか、内裏では参会・披講は行わずに、懐紙・短冊のみを詠進する形式の月次和歌も行われた。これは、比較的流動的な方法で懐紙・短冊に和歌を書いて提出するものであり、動乱期の状況下でも少ない負担で和歌活動を継続することが可能な形式であったと見なすことができる。

  • 藤尾 健剛
    2013 年 62 巻 9 号 p. 38-47
    発行日: 2013/09/10
    公開日: 2018/09/11
    ジャーナル フリー

    「野分」の「主客は一である」云々の議論は、個人(主)と個人の外部の世界(客)との関係をめぐる、ショーペンハウアーやボールドウィンの思想に基づくもので、作品末尾の高柳の選択は、道也に倣って、社会(客)のために個(主)を犠牲にする行為であることを論証した。「野分」が『文学論』第五編や「文芸の哲学的基礎」の創作化であること、後者の哲学的な議論がショーペンハウアーへの関心の所産であることも示した。

 
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