日本文学
Online ISSN : 2424-1202
Print ISSN : 0386-9903
63 巻, 3 号
選択された号の論文の12件中1~12を表示しています
特集・日本文学協会第68回大会(第一日目)〈第三項〉と〈語り〉――ポスト・ポストモダンと文学教育の課題
  • ――作品そのものに近づくために――
    古守 やす子
    2014 年 63 巻 3 号 p. 2-11
    発行日: 2014/03/10
    公開日: 2019/03/20
    ジャーナル フリー

    本作品は、「現在」北京で文筆活動を行う「私」(=〈語り手〉)が、清朝末期に日本に留学した時のことを語る形をとる。〈語り手〉は「現在」、「正人君子」と戦っており、〈語り手〉が語る相手、すなわち〈聴き手〉の位置には「正人君子」がいるわけであるが、この作品は、その〈語り―聴く〉という空間と、さらにその外側の〈語り手を超えるもの〉と「鉄の部屋」の空間が提示される構造になっており、読者はその〈聴き手〉となる。

    作品を読む際、ストーリーのみを読むのではなく、ストーリーがどう語られているかという構造を意識することによって、作品が新たな形で読者の前に現れ、迫ってくる。

  • ――「有難う」の声をめぐって――
    谷口 幸代
    2014 年 63 巻 3 号 p. 12-19
    発行日: 2014/03/10
    公開日: 2019/03/20
    ジャーナル フリー

    本稿は川端康成の掌編小説「有難う」における声の機能と語りの構造を考察する。運転手の声の分析では、語り手の距離や時間への言及から、同じ「ありがたう」という声が往路と復路では逆の意味をもつととらえた。母の声の分析では、状況や文脈に依存する母の言葉が自他への弁明として発せられていること、それに対して語り手が過剰な説明を敢えて加えないありようを確かめた。さらに作品全体の構成の非対称性に注目し、この作品は語られないことで声の物語として成立していると結論した。

  • 神山 睦美
    2014 年 63 巻 3 号 p. 20-27
    発行日: 2014/03/10
    公開日: 2019/03/20
    ジャーナル フリー

    「隣人愛にはどこか残酷なものがある」というのは、精神分析のラカンによる名言だが、これを「レーニンは隣人を愛したか」というタイトルで論じているのは、ラカン派の哲学者スラヴォイ・ジジェクだ(『迫りくる革命―レーニンを繰り返す』岩波書店)。難解で状況論的なその論脈は措いて、そこで何が言われているかというと、人間は、特に現代人は、隣人とは言わないまでも、たがいに接近すれば接近するほど、愛はさまざまなかたちを取り、果ては、憎しみにさえ変わりうるということだ。

    そこで、たがいにあまりに接近しすぎないように相手との間に「壁」をもうける必要があるのだが、これをラカンは、「大文字の他者」という言葉で述べた。すなわち、「ラカン的な意味における大きな〈他者〉は、他者の隣接性がわれわれを圧倒しないように保証する適切な隔たりを維持することができるようにしてくれる〈壁〉を意味する」(同前)。それで、実際のこの「大文字の他者」というのは、何をするかというと、相手がほんとうは何を欲望しているのかについて、ファンタジーを生み出すことで知らせてくれるというのだ。

    なるほど、「ファンタジーを生み出す〈壁〉」というのはおもしろい表現だ。私たちは、人間関係だけでなく、テキストとの関係においても、接近しすぎないように保証してくれる〈壁〉のようなものを必要としているのではないだろうか。その〈壁〉に守られるとき、テキストがほんとうは何を欲望しているのかを読み取ることができる。私たちは、背後に控えている〈壁〉を確信することによって、テキストのなかにかくされている「希望の言語」を読み取っていくことができるのである。

  • 相沢 毅彦, 中村 龍一
    2014 年 63 巻 3 号 p. 28-43
    発行日: 2014/03/10
    公開日: 2019/03/20
    ジャーナル フリー
子午線(大会印象記)
 
  • ――語りの視線――
    陶山 裕有子
    2014 年 63 巻 3 号 p. 54-63
    発行日: 2014/03/10
    公開日: 2019/03/20
    ジャーナル フリー

    『大鏡』の、現前化した〈歴史の語り手〉大宅世継は、下﨟の男性であるために、高貴な女性の身体を直接見聞することはできない。それゆえ、『大鏡』では、藤原道長に近い貴人ほどその身体性は包み隠される。対する『栄花物語』は、貴人の身体についても語りの対象とし、かつ貴人の品位に瑕をつけることなくその身体を語っている。その際に用いられたのは、語り手が、貴人のまなざしの動きに語りを沿わせるという方法であった。

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