日本文学
Online ISSN : 2424-1202
Print ISSN : 0386-9903
63 巻, 9 号
選択された号の論文の12件中1~12を表示しています
  • ――『坊っちやん』における命名と移動――
    阿部 和正
    2014 年 63 巻 9 号 p. 1-12
    発行日: 2014/09/10
    公開日: 2019/09/30
    ジャーナル フリー

    『坊っちやん』において、東京=都市/四国=田舎の構図はねじれ、四国が「近代」として表れる。その中心に位置するのが中学校で、「おれ」の四国行きは、無意識のうちに教師間のヒエラルキーに参入することを意味していた。四国を去り東京に帰っても「近代」によって引き裂かれた主体は残り続け、複数化する。この複数化は、テクストのタイトルや物語内容だけでなく、タイトルの機能とも重なり合うものであった。

  • ――泉鏡花「二三羽――十二三羽」を中心に――
    茂木 謙之介
    2014 年 63 巻 9 号 p. 13-24
    発行日: 2014/09/10
    公開日: 2019/09/30
    ジャーナル フリー

    関東大震災周辺の泉鏡花テクストをめぐっては、従来鏡花テクスト群における変化の有無が問われてきた。本稿では「二三羽ー十二三羽」を中心に〈怪異〉に注目して考察し、震災が鏡花テクストにおける〈怪異〉の場としての東京を喪失させていることと共に、同テクストが震災による喪失をミクロに語り出すことで回復を試みるものであったこと、そしてその達成の為に小品という脱ジャンル的領域が選ばれた可能性を指摘した。

  • ――井伏鱒二「幽閉」から「山椒魚」への改稿問題を中心に――
    金 ヨンロン
    2014 年 63 巻 9 号 p. 25-35
    発行日: 2014/09/10
    公開日: 2019/09/30
    ジャーナル フリー

    井伏鱒二の「幽閉」(『世紀』、一九二三年)は、「山椒魚」(『夜ふけと梅の花』、一九三〇年)の「原型」として知られており、多くの先行研究では、「幽閉」から「山椒魚」への改稿から作品の発展と作者の成熟を見い出してきた。本稿では、改稿の問題を同時代のコンテクストとともに読み直すことで、むしろ「幽閉」から「山椒魚」へ改稿される過程でどのような可能性が失われたのかを考察する。その際、「山椒魚」が収録された『夜ふけと梅の花』を視野に入れ、一九三〇年前後のコンテクストのなかで「山椒魚」を読む契機を探ると同時に初期井伏文学における「山椒魚」を位置づけ直す。

  • ――「セヴンティーン」「政治少年死す」という投企――
    北山 敏秀
    2014 年 63 巻 9 号 p. 36-46
    発行日: 2014/09/10
    公開日: 2019/09/30
    ジャーナル フリー

    大江健三郎の小説「セヴンティーン」「政治少年死す」は、いわゆる「浅沼事件」とのモデル関係においてしばしば語られてきた。それに対して本稿では、そうした小説受容のあり方が大江自身による事後的な解説と関わっていることを指摘し、大江にとっての「事件」をめぐる思想的経験と小説を書くこととの関係を再検討した。それを通して、小説における「自殺」が「戦後」のジレンマを踏み越える投企としての意味を持つことを論じた。

  • ――津村記久子「地下鉄の叙事詩」論――
    泉谷 瞬
    2014 年 63 巻 9 号 p. 47-58
    発行日: 2014/09/10
    公開日: 2019/09/30
    ジャーナル フリー

    本論は、津村記久子の中編小説「地下鉄の叙事詩」を分析対象とする。これまで先行研究において論じられてきた津村の作家性を検討しながら、物語に採用された満員電車と痴漢犯罪という具体的な問題へ、作品がどのような批判性を提出し得るのかを考察した。津村の作品には、格差社会における労働問題や、弱者への暴力に対する怒りが根底に込められているが、「地下鉄の叙事詩」には、それらに加えて、新自由主義が要請する合理性や自己責任の論理を相対化する契機が含まれていることを明らかにした。

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