日本文学
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Print ISSN : 0386-9903
64 巻, 4 号
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特集・日本文学協会第69回大会(第二日目) 教科書と文学
  • ―― 教室で文学は教えられるか ――
    石原 千秋
    2015 年 64 巻 4 号 p. 2-10
    発行日: 2015/04/10
    公開日: 2020/05/26
    ジャーナル フリー

    「言語ゲーム」を、言葉と振る舞いのセットによって成り立っていると考えるなら、あらゆる「研究」は、言葉と祈りという振る舞いのセットで成り立つ宗教のようなものではないか。しかし、「言語ゲーム」を批判しながら「第三項」理論を構築する田中実も須貝千里も決定的な誤解の上に批判を展開している。東ロボが受けた東大模試の英語の試験に見られるように、コンテクストが「正解」をいくらでも作り出すことができる。これが文学を教室で殺さずに教えることではないか。

  • 小助川 元太
    2015 年 64 巻 4 号 p. 11-20
    発行日: 2015/04/10
    公開日: 2020/05/26
    ジャーナル フリー

    高校時代に古文が嫌いだったという大学生は多いが、大学受験をしない生徒を含む現役の高校生になると、その数はさらに増えるであろう。その原因は様々であるが、突き詰めていえば、教室で読む「古文」に魅力がない、面白くない、というのが一番の理由であろう。ところが、「古典文学」というコンテンツそのものが今の若者にとって全く魅力のないものかといえば、実はそうでもないようである。たとえば、百人一首をテーマとした漫画『超訳百人一首 うた恋い。』などは高校生や大学生の間でかなりの人気を博している。実際には、現代を生きる若者の心にも響く魅力的な「古典文学」は多く存在しているのだが、教材として教科書に掲載できる(あるいは掲載を求められる)作品には、教育現場における制約(教育的配慮・受験への配慮、分量、配当時間など)があり、その種類が限られてしまうというのが現状である。今後「古典文学」の魅力を若者に伝えていくためには、今や若者たちと「古典文学」との唯一の出会いの場となっている、教科書の「古文」の内容や扱い方を見直していく必要があるのではないか。

  • ―― 国語・教科書と文学・作品 ――
    須貝 千里
    2015 年 64 巻 4 号 p. 21-36
    発行日: 2015/04/10
    公開日: 2020/05/26
    ジャーナル フリー

    ① 本報告は、田中実氏とともに立ち上げ、おおよそ二五年余り取り組んできた「文学研究と国語教育研究(実践)の相互乗り入れ」という〈事業〉の一環としてなされる。

    ② 問題を本大会・文学研究の部のテーマである「教科書と文学」に焦点化するならば、このテーマは「国語・教科書と文学・作品」というように把握し直されなければならない。このことによって、与えられたテーマの「問題提起」を掘り起こすことができるからである。とすると、包含する課題は次のようになる。「国語」と「文学」、「教科書」と「作品」、「国語」と「教科書」、「文学」と「作品」、「国語」と「日本語」、「教える本」と「学ぶ本」、「物語」と「小説」、「作品」と「テクスト」などなど、「古文」と「漢文」、「古文・漢文」と「現代文」、「散文」と「韻文」もあるか。さらに課題は細分化できるが、本報告ではそれらを網羅的に論ずる時間は与えられていない。大森荘蔵は「生活上の真偽の分類」を「世界観上の真偽の分類」としてとらえ直し、世界観の転換という課題を提起したが、私はここから浮上してくる問題との関わりで、「国語・教科書と文学・作品」について、総括的に問題提起したい。この提起は、「歴史教科書問題」よりも「国語教科書問題」の方がより根源的問題であることを明らかにしていくはずである。

    ③ 本報告は、「国語科」の壊し方について、文学作品の教材価値とともに論ずる。そのことによって、「国語科」からの文学作品の排除、あるいは戦略的撤退論に対して、「国語科」に文学作品が居座り続けることの居心地の悪さ、この立場に立って「国語科」の壊し方とそのための諸課題を提起することになる。この提起は、ポストモダン思想の台頭によって解体されてしまった「読むこと」の根拠の再構築を〈原文〉の〈影〉の働きに着目することによって図り、〈近代の物語文学〉と〈近代小説〉の違いを明らかにし、〈主体〉の構築という課題に挑むことによって、文学研究と国語教育研究(実践)の新たな地平を切りひらくことを目指しているのである。なお、「文学研究と国語教育研究(実践)の相互乗り入れ」という〈事業〉自体が居座り続けることの居心地の悪さを前提にしている。

  • 大本 泉, 小森 潔
    2015 年 64 巻 4 号 p. 38-51
    発行日: 2015/04/10
    公開日: 2020/05/26
    ジャーナル フリー
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