日本文学
Online ISSN : 2424-1202
Print ISSN : 0386-9903
64 巻, 5 号
選択された号の論文の14件中1~14を表示しています
特集・時を越えて伝える
  • ―― 東日本大震災後の文学研究から ――
    石井 正己
    2015 年 64 巻 5 号 p. 2-10
    発行日: 2015/05/10
    公開日: 2020/06/11
    ジャーナル フリー

    時を越えて伝えるというテーマを、東日本大震災以後の不安定な社会と文学研究のあり方を問い直す契機にしたいと考えた。ジャンルで言えば、和歌・物語・説話・随筆を横断した。同時に、それぞれに災害・自死・怪異・高齢といった現代社会が抱える課題を組み合わせた。柳田国男の確立した民俗学の知見を導入してみることの意義にも触れた。今、千年を越えて文学を伝えることは、古典文学研究が取り組むべき役割であることを説いた。

  • ―― 葦原中国と命名することについて ――
    アンダソヴァ マラル
    2015 年 64 巻 5 号 p. 11-20
    発行日: 2015/05/10
    公開日: 2020/06/11
    ジャーナル フリー

    神話を伝えていくこと。口頭で語るのか、あるいは文字で記すのか。それは神話そのものは何かという課題へと展開する。「神話」という概念は「古代」のものとして捉えられていた。それが「未開」であるという価値づけから、「古層」に価値を見いだすという「発生論」の視点へと転換する。さらに、古代において神話が神話としての意味を持つのではなく、時代とともに変化していく、変化していくことに価値があるとする「中世神話」の視座が生まれていくのである。

    こうした視点を踏まえ、本稿において古事記における「シャーマニズム」の考察を試みる。「葦原中国」という言葉に注目し、それはどのような文脈において「命名」されるのかを読み解いていく。その世界の名を発すること、発する主体は誰であり、発される場面はどこなのか、また発される瞬間そのものに呪的な働きが込められていることが見えてくるのである。古事記の神々が言葉を発する、その言葉が生みだす世界を古事記が生成する「シャーマニズム」として捉える可能性が提示できるのである。

  • 菅野 扶美
    2015 年 64 巻 5 号 p. 21-30
    発行日: 2015/05/10
    公開日: 2020/06/11
    ジャーナル フリー

    共同体の経験を歌謡で伝えることは、たとえば復興応援ソング「花は咲く」の合唱を疑わない現状からすると当然のように思えるが、これは歌謡本来のあり方ではない。本稿では意識的に「皆で同じ感情・感懐・抒情を歌ってわかちあう」ことが近代に始まることを確認した上で、古代から中世に至る歌謡の実態をみてゆく。歌謡において「伝える」とは何か、それに先立つ「伝わる・伝わってきた」も含めて考える。

  • 古田 正幸
    2015 年 64 巻 5 号 p. 31-40
    発行日: 2015/05/10
    公開日: 2020/06/11
    ジャーナル フリー

    曾禰好忠「毎月集」は、長歌と短歌でなる序を有し、従来様々な形で論及される。しかし、現存『好忠集』諸本の序の様態は一様でない。短歌については「仕業」と「皺」との掛詞が指摘でき、平安時代に一首単独で影響力を持つことを明らかにできる。しかし、長歌については、従来独自表現と見られてきた箇所や、韻律の乱れなどの分析から、原態が漢字表記であったと考える。その背景には、好忠と同時代の萬葉享受があると考えられる。

  • ―― 聖戦短歌を通じて〈戦争と萬葉集〉 ――
    小川 靖彦
    2015 年 64 巻 5 号 p. 41-53
    発行日: 2015/05/10
    公開日: 2020/06/11
    ジャーナル フリー

    『萬葉集』の防人歌「今日よりは顧みなくて醜の御楯と出で立つ我は」(巻二十・四三七六)は太平洋戦争下では、国民が天皇に命を捧げ国を護る決意を述べた歌として流布した。しかし、日中戦争の聖戦短歌では「醜の御楯」は〈銃後〉の人々が、兵士となった肉親や友人との別れを受け容れるための兵士の理想像に止まっていた。それは「顧みなくて」を〝家も身も顧慮しない〟とする久松潜一の解釈に基づいている。太平洋戦争開戦に当たり情報局次長奥村喜和男がその理想像を、〈銃後〉の人々にまで拡大して尽忠を求めたのである。

  • ―― 神話解釈史の視点から ――
    斎藤 英喜
    2015 年 64 巻 5 号 p. 54-65
    発行日: 2015/05/10
    公開日: 2020/06/11
    ジャーナル フリー

    戦死者の記憶を語る場所=靖国神社は、また神道や神社の歴史が刻み込まれた場所でもある。明治後期の宮司・賀茂百樹(かもももき)の「他の幾多の神社に異れる由緒と、特例」という主張を、近代の神社のあり方、中世神道から平田篤胤、近代出雲派の「幽事」の神話解釈史のなかに位置づけなおした。さらに柳田国男『先祖の話』、折口信夫の「招魂(しょうこん)の御儀を拝して」を読み解きながら、「戦死者」の記憶から発せられた宗教知の可能性と問題点を探った。

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