「神語」の妻問婚により惹起された適后スセリビメの嫉妬は、仁徳記の大后イハノヒメの嫉妬の起源として導き出される。「神語」の最後ではスセリビメのヤチホコノ神への勧酒歌により、男女の神の仲直りと女神の嫉妬の怒りが鎮められる。雄略記の「天語歌」の二首目では大后ワカクサカベの天皇讃美と勧酒歌により天皇の怒りが鎮まる。「神語」と「天語歌」は「語り」として内容的にもつながり、前者が後者の起源をなす歌としてある。「神語」は、中途で「倭」に赴こうとすること、「今に至るまで」と記述されることから、男女の神の恋愛、怒り、嫉妬と、それらの鎮めという内実ゆえに、「志都歌」という王権における天皇や大后などをめぐる語りや歌の起源の意味合いを持つ。
日並皇子挽歌長歌は中国の誄の形式に則るが、その後半部には「いかさまに思ほしめせか」、「そこ故に皇子の宮人ゆくへ知らずも」という抒情表現がある。前者は持統朝の臣下の立場に立って死者(の霊魂)に訴える表現であるが、後者は一見すると、「皇子の宮人」を一人称的にも三人称的にも描いているように見える。こうした抒情の方法はこれまで「代表的感動」、「複眼的性格」として分析されてきたが、こうした技術がいかにして獲得されたのかについては論じられることがなかった。本稿は、中国少数民族ペー族の喪葬儀礼で唱えられるペー語祭文の形式、表現をモデルとしつつ、喪葬儀礼を俯瞰するところから、皇子の宮人や死者を鎮魂するシャーマンの立場に自由に降りたって、死者に向って抒情するという、東アジア辺境地域の誄の技術が用いられていることを論じる。
主人公和藤内は、大将軍となるには不鍛錬であり、未熟な人間であった。老母は、そのような彼を教え導く役割を担う。連携を保ちつつ、二人は大明国再興という目的に向かって突き進む。三段目の最も劇的な場面、すなわちかけがえのない老母の諫死を契機に、和藤内は、「勇者」国性爺として生まれ変わることになる。近松は、本作で「勇者」の一典型を生み出したといえる。
本稿は張我軍による中国語全訳・夏目漱石『文学論』(上海:神州国光社、一九三一)の翻訳底本推定を行った。まず『文学論』の本文成立過程を整理して、漱石の意図を純粋に反映してはいないことを論じ、諸版本の異同を系統立てた。その上で、翻訳底本が漱石没後の本文変更を伴う縮刷本と『漱石全集』本との併用であることを明らかにした。併せて、訳者張我軍と版元神州国光社が置かれた刊行年一九三一年中国の時代状況について、その一端を述べ、『文学論』を位置付けた。
内地・外地の日本語圏において移民一世女性は、「功労者」「犠牲者」「性的堕落者」として表象されてきた。しかし、田村俊子の小説「カリホルニア物語」は、二人の日系アメリカ人二世女性の〈日本〉と〈美〉をめぐる対照的な選択を通して、移動する女性と国家との関係を追究し、本国から離れたディアスポラの公共圏で、幻想化した〈日本〉に引き裂かれる母と、美のローカル性を見極めることで生き延びる戦略を編み出す娘という新しい表象を提示した。