『古事記』『日本書紀』の両書は崇神天皇を「〈ハツクニシラス〉天皇」の称辞を以て讃えている。両書の語る崇神天皇の事績は、いずれも大物主神を中心とする神祇祭祀の確立と諸国の平定、そして「男の弭の調・女の手末の調」と呼ばれる物納租税制度の成立の三要素によって構成されており、その要素自体は等しい。しかし、それらを語る記述には看過できない相違がある。本稿では、『日本書紀』の記述に焦点を当てつつ、その相違を成り立たせるものとしての『日本書紀』の外部を明らかにする。
「作者の意図」を第一義的な読みの指標とは考えない「テクスト論」的な読みの方法は、ロラン・バルト以降の新しい読みの方法だと誤解されているが、古典注釈の世界ではむしろ伝統的に行われてきた解釈の方向性に近いものがある。テクストに寄り添い、一語にこだわって奔放な読み筋を追ってゆく中世の注釈のあり方を、『源氏物語』の注釈書である『河海抄』の注記に即して検討する。
神功皇后新羅出兵説話は、記紀と中世の諸文献の間で大きく変化している。従来それは蒙古襲来による変化と見なされてきたことが多いが、実は蒙古襲来以前に遡る。平安末期から鎌倉初期、「神国」意識が盛んになり、内乱の危機意識もあって、神々による国家の守護が語られるなかで生じた変化である。この検討から、日本人の異国合戦への意識を探り、また、説話の変化が必ずしも現実経験によって起きるわけではないことを考えた。
最近、『古事記伝』が必ずしも古事記の忠実な注釈書ではなく、宣長が作り出し語りだした新たな神話であることが注目されるようになった。ここではその流れを承けつつ、起源神話言説を創造することで一八世紀の時代思潮に切り込む宣長を浮かび上がらせたい。彼は、西洋天文学とのクロスによる地球学的な起源神話言説を創造したといえる。その営為は、「近世神話」と呼ぶべき知の運動体のあり方として意義づけるべきだろう。
神崎清(一九〇四~一九七九)という批評家がいる。彼は、昭和初期勃興しつつあった明治文学の研究に資料的な面から深く関与した。本稿はそうした神崎の戦後への足取りを辿る。神崎は戦前タブーとされた大逆事件の資料調査をいち早く開始。それと並行して近代女性史の発掘にも尽力し、戦後はそれを売春と基地問題として追求した。神崎の仕事の特質は、徹底した資料蒐集と聞き取り調査にあるだろう。文学研究・大逆事件・売春基地問題を一つの問題系として探ることは、文学の「基底」を問う上で重要である。
森鷗外『舞姫』は帰国する船中の太田豊太郎=「余」の語り、それをその外枠である〈機能としての語り〉から囲い込んでいくと、どのような問題が浮かび上がるか。母の死は息子の免官を知ってのものと考えるが、母の遺書中の諫言・遺命は豊太郎の識閾下に抑圧されたまま豊太郎を動かし続け、豊太郎は今も正面からそれと向き合えない。母の死は免官を知る前の自然死という説と、免官と母の死によって豊太郎が「自由」になったからエリスと深い関係になり得たという従来の強固な読みを検討していくと、〈機能としての語り〉から太田の手記の虚偽性を捉えていくことが決定的に重要であると分かる。
建部綾足校訂『旧本伊勢物語』は、先行する寛永二十年刊『真名伊勢物語』の遊戯的な用字を改め当時の和学の水準に合致させることを意図したものであった。また、綾足の本文研究は異文が生み出す解釈の差異を丁寧に拾い上げる点に特色があり、『旧本伊勢物語』の附録『伊勢物語考異』は綾足のそうした態度の反映である。