二〇一九年の藤原定家手沢本「若紫」帖発見のマスコミ報道には、「最古写本」・「原本に近い」などという誤りが含まれていた。その是正のために、特に後者について、誤りの実態と所以を、社会に公開された情報の代表と考えられる、インターネット百科事典の情報を利用しつつ追求した。その結果として、旧来の『源氏物語』の文献学的研究方法が、内包する問題点を明らかにするとともに、今後の本文研究の進むべき方向性を提案した。
奈良絵本・絵巻は、江戸時代前期に制作されたものが多いが、内容的には、御伽草子や幸若舞曲等の、中世文学作品が中心となっている。その文献としての実例は、今だに新しく出現しているほどであり、今後も、この分野の研究が必要となるであろう。
能の本文の翻刻は、従来さまざまな底本によって行われている。各時代各流派の謡本が伝存することを反映したもので、日本古典文学のなかでは特殊なあり方と言える。諸本校合により原文を再建する文献学的研究は、謡本の性質上ほとんど行われない。能の本文は演じられる間に変化しており、原形を探る一方で、その変遷を跡付け、変化の理由や意味を考えることが重要になる。伝承・享受に伴って変容する本文を総体的に捉える研究に関して、能はその良い事例を提供すると思われる。
「文献学をとらえ直す」という特集自体、そして「呼びかけ文」のおいて述べられる、「国際化」「デジタル化」、「中等教育との連携」(大学教育においてはどうなのだろう?)、「蛸壺」化している現在の研究がどのような意義を持つのかという〈不安〉が、どのような情況に根ざしたもので、自己肯定意識からでているのか、現代の社会情況に置ける文学不要論への〈不安〉があるのか、それともそれに対抗する〈力〉があると主張したいのか……? 「呼びかけ文」の真意がまったくわからないということ自体を述べていく。
そして、すでになされた「文献学批判」を現在どのように受け止められているのか、かつての「文献学批判」はなにを中心にしていたのかを再考してみる。
そこから現代の文献学的研究の非イデオロギーだと思っている情況自体が危険なのではないかという指摘を行ったものである。