文雄『磨光韻鏡』に記された「華音」は当時の中国杭州音を反映していると言われている。ところが,鼻音韻尾のム表記について検討すると,それは杭州音を反映しているものとは考えにくく,また,文雄が漳州音など他の方言音を聞いて唇内鼻音韻尾をム表記にした可能性があったとしても,舌内鼻音韻尾の一部をム表記にする根拠としては薄弱である。本稿では,『磨光韻鏡』華音における鼻音韻尾のム表記は,文雄が『韻法直図』を参照して定めた呼法に由来していると主張する。特に第17転の三四等と第19転における華音のム表記については,当時の中国語原音側に一部の-n韻尾が-m韻尾に変化したような方言があって,文雄がそれを実際に聞いた上でム表記にしたわけではなく,文雄が「齊齒呼旋閉口」と「閉口」という二つの呼法を混同し,もしくはあえて同一処理を行った結果,ここにム表記が現れたものと考えられる。
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