日本近代文学
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101 巻
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《特集 近代文学研究における〈資料〉の可能性》
  • 谷川 恵一
    2019 年 101 巻 p. 1-15
    発行日: 2019/11/15
    公開日: 2020/11/15
    ジャーナル フリー

    文学を含む明治以降の文化資料の網羅的な収集が開始されたのは一九二三年の関東大震災前後からである。集められた明治初期の資料は、価値のない作品として文学史が周縁に押しやってきたものが大部分であり、当時刊行が始まった大規模な文学全集にもほとんど収められることがなかった。こうした膨大な資料と向き合ったのは、明治文学史ではなく、二〇世紀前後に文献学という訳語とともに移入されたphilologyであった。三木清は、文学史研究の基礎に文献学を据えたが、文献学と文学史とはけっきょく別々の道を進んでいくことになった。

  • ――気の想像観から元子論的想像観へ――
    甘露 純規
    2019 年 101 巻 p. 16-31
    発行日: 2019/11/15
    公開日: 2020/11/15
    ジャーナル フリー

    江戸期、抄録は読書の際に、気に入った文章を抜き書きし記憶する行為だった。こうした抄録は読者にとって単に文章表現を記憶するだけでなく、気の概念を媒介として、自らの作文のための想像を掻き立てた。本稿では、明治二一年の吉田香雨『小説文範』を手掛かりに、抄録物を生み出した文化的背景、具体的には明治期以前の記憶と想像の関係を明らかにした。また、こうした明治以前の記憶・想像についての言説が、明治期の心理学の移入の中でどのように解体されていくかを示した。

  • ――地方文章回覧誌と「訓詁」志向――
    木戸 雄一
    2019 年 101 巻 p. 32-48
    発行日: 2019/11/15
    公開日: 2020/11/15
    ジャーナル フリー

    一九〇〇年代の地方では、文章の訓練を目的とした多くの回覧誌が発行された。本稿は、福島県喜多方地域で活動していた「作文会」「文学攻究会」の回覧誌を採り上げ、地方で文章修行をする青年の実態と、地域でのその後の活動を明らかにする。地方の回覧誌には多様な人材が集まり、書き込みによって対話が行われていた。文章の修行をする場では、語義の正しさを追求する「訓詁」の志向を持ち、古典のリテラシーと蔵書を持つ会員の発言力が強かった。それゆえに会員の間には文化資本の格差が生じた。また、語義の詮索よりも「実践」を重視する立場の会員と論戦が行われることもあった。日露戦後に「訓詁」志向は和漢文学の探求から、郷土史や碑文など地域の共同性を高める言語活動へと移行していった。

  • ――平田篤胤『古今妖魅考』受容を中心に――
    乾 英治郎
    2019 年 101 巻 p. 49-64
    発行日: 2019/11/15
    公開日: 2020/11/15
    ジャーナル フリー

    本稿は、芥川龍之介が高校時代に作成した手書きの怪談集『椒図志異』全六部のうち、「魔魅及天狗」部の典拠について考察したものである。まず、芥川は怪談蒐集の指針を、柳田国男の談話記事「幽冥談」から学んだ可能性を指摘する。さらに、「魔魅及天狗」部が平田篤胤の『古今妖魅考』に大きく依存していることを明らかにする。篤胤の書物は、仏教説話を多く取り上げている。芥川が『今昔物語集』を始めとする説話文学を受容する上で、大きな役割を果たした可能性がある。また、芥川における平田国学の受容を示す資料として、芥川旧蔵書『平田篤胤之哲学』(日本近代文学館所蔵)についても紹介する。

  • ――古の歌を歌うこと、あるいは防人歌を歌わない防人たち――
    渡部 麻実
    2019 年 101 巻 p. 65-80
    発行日: 2019/11/15
    公開日: 2020/11/15
    ジャーナル フリー

    堀辰雄の晩年の小説草稿「(出帆)」では、散文の中に『萬葉集』歌を挿入する方法により、文学の新しい可能性が試されている。旧蔵書の書き込みを起点に、「(水のうへ)」を経て「(出帆)」に至るプロセスを辿ること、また設定と表現に顕著な類似性を持つリルケ「クリストフ・リルケの愛と死の歌」との比較を通して、「(出帆)」における古歌の利用が集団性の出現と共鳴の生起を支えていることを指摘し、それが救済へと接続される機序を提示した。そのうえで、「(出帆)」が防人の物語でありながら、その生成過程には防人歌の排除が見られることを明らかにし、防人たちの物語を防人歌以外の『萬葉集』歌によって再組成する方法とその効果について言及した。

  • 横手 一彦
    2019 年 101 巻 p. 81-94
    発行日: 2019/11/15
    公開日: 2020/11/15
    ジャーナル フリー

    未公開の旧日本映画製作『広島・長崎における原子爆弾の影響』ラッシュ・フィルム(未編集)を4K化し、その映像資料から切り取った画像に文字資料(被ばく証言など)を重ねた。本稿は、それらが新たに囲い込む領域から、長崎(浦上)原爆を再考する可能性を求めた。その非資料の〈資料〉化が一つの試みであり、二つの事例を示した。未公開ラッシュ・フィルムは、米軍撮影の映像記録と主意を異にするものであり、被ばく側のレンズが撮した視覚資料を、関連する文字資料から被ばく側の記録へと引き寄せた。また、試みの不足を確かめた。補論に、加藤周一などの敗戦初期の〈資料〉を紹介した。

  • ――原資料・自筆原稿と言論統制からみる谷崎潤一郎「A夫人の手紙」――
    西野 厚志
    2019 年 101 巻 p. 95-111
    発行日: 2019/11/15
    公開日: 2020/11/15
    ジャーナル フリー

    谷崎潤一郎が戦後最初の創作として執筆した「A夫人の手紙」(一九四六/一九五〇)は、戦時中の飛行訓練を描いたために、占領軍検閲によって「軍国主義的」だという理由で公開禁止となった。実は、この小説は戦時下にある女性(森村春子)が谷崎夫人の松子へ宛てた手紙数通がもとになっている。この執筆に用いられた原資料と同作の自筆原稿を『谷崎潤一郎全集』(全二六巻、二〇一五~一七、中央公論新社)編集に関わった際に調査した。その結果をふまえ、本稿では小説の生成過程と谷崎の書き換えと素材に施された虚構化の効果を分析し、原資料の同時代状況(戦中)や検閲制度と小説執筆の時間(戦後)が交錯する様相を明らかにする。最終的に、「A夫人の手紙」を谷崎の文学的営為全体の中に位置づけることを試みたい。

論文
  • ――森田正馬の〈患者〉認識との比較を中心に――
    栗原 悠
    2019 年 101 巻 p. 112-127
    発行日: 2019/11/15
    公開日: 2020/11/15
    ジャーナル フリー

    本稿は島崎藤村「ある女の生涯」において主人公おげんが晩年を過ごした「根岸の病院」において精神病〈患者〉として亡くなったという点に注目した。そこで、まず舞台のモデルとなった根岸病院の院長・森田正馬の言説を整理し、森田が特に〈患者〉たちの土着的な因習や信仰を精神医学の症例として読み替えていったことを指摘した。また、そこには当時の社会における宗教への脅威に合理的な説明を与えることで科学としての精神医学を確立したいというねらいがあり、テクストにおいて周囲の人々がおげんの御霊さまへの帰依を病の兆候として入院を仕向けるのはかような論理を内包したものだったとし、語りがもたらすおげんと周囲の認識の不一致によってそうした問題が批判的に捉えられていることを論じた。

  • ――一九二三年以前の『新青年』における「高級探偵小説」イメージをめぐって――
    松田 祥平
    2019 年 101 巻 p. 128-141
    発行日: 2019/11/15
    公開日: 2020/11/15
    ジャーナル フリー

    本稿では、江戸川乱歩が登場する以前の雑誌『新青年』の探偵小説言説を分析し、ジャンルが動的に形成されていく過程を明らかにした。まずは創刊当初の『新青年』という雑誌空間における探偵小説を定位した上で、同誌が盛んに主張した「高級探偵小説」の内実を明らかにした。さらに、その一方では、探偵小説を愛好する新たな層に許容されることで自身が「低級」だと規定したはずの種類の探偵小説が次第に掲載数を増やしていくという事態が存在していたことを指摘した。そして、そのように「低級」探偵小説を経由することで探偵小説に芸術性を見いだす価値観が形成され、「高級探偵小説」は後のジャンル状況に繋がる形で再編成されていったと結論付けた。

  • ――横光利一「寝園」論――
    友添 太貴
    2019 年 101 巻 p. 142-155
    発行日: 2019/11/15
    公開日: 2020/11/15
    ジャーナル フリー

    本稿では横光利一「寝園」における経済学のはたらきを分析した。作中に描かれる梶の株式の暴落や経済学を学ぶ大学院生高に注目することで、テクストの「心理小説」としてのモチーフや表現が、「寝園」執筆の際に横光が参照した経済学者靜田均の論文「ポーレの恐慌理論」と結びつきを持つものであることを明らかにした。そして、理論的に破綻しているポーレの経済学を分析した静田の論文を取り込むことで、「寝園」が経済学理論を「現実」の経済状況に当てはめて文学を生み出していこうとする同時代の文壇状況への批評性を持つものであることを提示した。

  • ――横光利一「純粋小説論」を視座として――
    姜 惠彬
    2019 年 101 巻 p. 156-170
    発行日: 2019/11/15
    公開日: 2020/11/15
    ジャーナル フリー

    本稿は、横光利一「純粋小説論」(昭和一〇年四月)を通じて、昭和初期の「偶然」論を再考する試みである。従来、「偶然」は人間存在の「偶然」性という認識論の観点で集中的に論じられてきた。それに対し、本稿は、小説内にいかに「偶然」を表現するかという方法論に焦点をあて、「純粋小説論」の生成過程を辿った。まず、「偶然」的な人間存在という認識論がジッドとドストエフスキー文学との接点を持っていることを確認した。次に、方法論としての「偶然」が、散文詩によって焦点化された「象徴」の問題を含意し、昭和初期における物語性の展開を探るための新たな可能性を提示していることを論じた。

  • ――『百鬼園随筆』刊行前後の問題を中心に――
    山田 桃子
    2019 年 101 巻 p. 171-186
    発行日: 2019/11/15
    公開日: 2020/11/15
    ジャーナル フリー

    内田百閒と言えば、『百鬼園随筆』(一九三三)により人気を博し昭和初期の「随筆」ブームを牽引した作家として語られるが、その戦前期の充分な検討が行われているとは言えない。実は、『百鬼園随筆』の刊行以前、百閒のテクストは「随筆」に限らない雑多な文章群をめぐる問題に関わっていた。また、刊行によって「百鬼園」の名が「随筆の代名詞」となって以降も、百閒のテクストはジャンルの分類を攪乱するものとして現れている。そのため本稿では、ジャンルの歴史性をふまえながら、『百鬼園随筆』刊行前後の時期を中心に、百閒のテクストの問題を検討した。百閒のテクストは、文学領域をめぐる変動と関わり、ジャンルの境界線を攪乱させるものとして現れている。

  • ――中島敦「狐憑」論――
    石井 要
    2019 年 101 巻 p. 187-202
    発行日: 2019/11/15
    公開日: 2020/11/15
    ジャーナル フリー

    中島敦「狐憑」は、人間存在の悲劇と読まれてきたが、作中の動物表象は注目されてこなかった。本稿は、作中の憑依現象を狐憑言説との関係から読み解き、理性的な言語を操る人間/思考を持たない動物という図式を問い直す批評性を明らかにした。狐憑言説の多くは、被憑依者を狂気的=異常と意味づけるが、動物に人間同様の精神の働きを認め、怪異としてその実態を認める言説もある。作中には双方の枠組みが混在し、言表行為を特定の主体に帰属させ、一義的に〝異常〟と決定することができないように構造化されている。本作の動物表象は、人間の固有性=理性的な言語の所有とする論理を打ち崩し、中島敦文学を動物という視座から読み直すための端緒を与えてくれるのである。

  • ――『人民文庫』試論――
    邱 政芃
    2019 年 101 巻 p. 203-218
    発行日: 2019/11/15
    公開日: 2020/11/15
    ジャーナル フリー

    本稿は、「戦時下抵抗」として評価されてきた雑誌『人民文庫』が打ち出すスローガンの一つである「リアリズム」に注目し、その歴史的な意味合いを一九二八年時点に遡って検証した。一九二八年頃に成立した客観性を中心とするリアリズム論は、一九三三年頃には論壇全体を巻き込んだ「主体論的回転」を遂げる。その中で、『人民文庫』の武田麟太郎は、のちの論敵となる保田與重郎と共に近い場所で「リアリズム」を擁護したものの、やがて「民衆」の定義をめぐって対立する。『人民文庫』がこの一連の流れを汲み、最終的に「民衆的リアリズム」と呼ばれる立場に至る。この一連の過程の考察によって、『人民文庫』における〈抵抗/翼賛〉の二項対立に収まらない余剰を歴史的に示した。

  • ――虚空/地上を繋ぐ感覚と視線のネットワーク――
    副田 賢二
    2019 年 101 巻 p. 219-234
    発行日: 2019/11/15
    公開日: 2020/11/15
    ジャーナル フリー

    「航空」のイメージはWWⅠ以降頻繁に消費され、『サンデー毎日』や文学テクストにも多様に描かれるが、一九二〇年代後半以降そこに「防空」というフレームが浮上する。国民の意識と身体を軍事に関与させる「国民防空」は、地上から隔絶した「航空」を地上との関係空間として新たにイメージ化させる場であった。そこでは「国土」が虚空/地上をめぐる感覚のネットワークにおいて再編制され、「国民」の共同性が立ち上がる。その想像力は、海野十三のテクストや細野雲外『不滅の墳墓』に発動している。更に「防空」空間では、可視/不可視をめぐる想像力が文学と融合する。空襲下を描いたテクストには、「防空」空間の破綻の中を生きる地上的身体の様相が描き出されていた。

  • ――ヤン ヨンヒ『朝鮮大学校物語』論――
    康 潤伊
    2019 年 101 巻 p. 235-250
    発行日: 2019/11/15
    公開日: 2020/11/15
    ジャーナル フリー

    本稿ではヤン ヨンヒ『朝鮮大学校物語』に実話性と証言性が付与されていることおよびそれらが朝鮮学校をめぐる排外主義と表裏をなしていることを指摘したうえで、実話性と証言性を切り離した読みを模索した。小説において主人公は特権的な差異を帯びているが、主人公が恋人と失恋する場面では、抑圧的な場だった朝鮮大学校が、主人公の差異が有効に機能する場として語られていることを明らかにした。朝鮮大学校という空間の意味の転換をふまえると、『朝鮮大学校物語』は、差異と承認のメカニズムをあばく小説であるといえる。そのうえで、実際に行われた朝鮮大学校と武蔵野美術大学の壁を超える試みを参照しつつ、『朝鮮大学校物語』の批評性をさらに跡づけた。

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