日本近代文学
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103 巻
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論文
  • ──虚子の俳壇復帰とその時代──
    田部 知季
    2020 年 103 巻 p. 1-16
    発行日: 2020/11/15
    公開日: 2021/11/15
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    本稿では、従来看過されてきた俳誌上の言説を渉猟しながら、虚子の俳壇復帰の同時代的な位置づけについて考察した。明治四五年、当時小説に注力していた虚子は『ホトトギス』に雑詠欄を復活させ、「平明にして余韻ある」句を旗印に俳句に復帰する。既存の近代俳句史の多くは、明治四〇年代の俳壇を新傾向俳句の動静に即して語っており、虚子の俳壇復帰はそうした時勢への抵抗と位置づけられてきた。だが実のところ、虚子不在の俳壇においても「季題趣味」や五七五の定型を遵守する論者たちが新傾向派に対して批判の声を上げていた。虚子の俳壇復帰とは、そうした有季定型派の保守層を自身が編集する『ホトトギス』へと回収する言説だったと考えられる。

  • ──『台湾愛国婦人』掲載・加納抱夢「夢」の表象──
    下岡 友加
    2020 年 103 巻 p. 17-31
    発行日: 2020/11/15
    公開日: 2021/11/15
    ジャーナル フリー

    愛国婦人会台湾支部機関誌『台湾愛国婦人』は台湾総督府政策履行の広告塔としての役割のみならず、一九一〇年代における在台日本人の文学創出を可能にした媒体である。同誌編集主任である加納抱夢が寄稿した小説「夢」は、夏目漱石「虞美人草」をはじめとする先行小説との間テクスト性が色濃いが、〈台湾帰りの男〉が東京の〈運命の女〉に裏切られるという設定や大正期の流行を取り入れて内容を更新しており、雑誌の主たる読者である在台日本人にリアリティのある〈夢〉を見させた。加納は「夢」を〈内地〉作家に伍する小説として雑誌の附録長編小説欄という目立つ場所に配置したと考えられ、実際にその自負に見合う水準を持つテクストの実態が確認できる。

  • ──築地座と久保田万太郎「釣堀にて」を中心に──
    福井 拓也
    2020 年 103 巻 p. 32-45
    発行日: 2020/11/15
    公開日: 2021/11/15
    ジャーナル フリー

    昭和三年一二月二五日の小山内薫の急逝、それに続く築地小劇場の分裂後、新劇界は左翼演劇とその他──〝前衛派〟と〝芸術派〟とに二分されることになった。しかし唯美主義的と理解されてきた〝芸術派〟が、実際に何を目指してきたのかについては、これまで問われてこなかった。本稿はその課題に応じるものである。

    具体的には築地座と久保田万太郎との関わりに注目し、第二十七回公演でとりあげられた戯曲「釣堀にて」の表現世界を細かに分析した。そして「釣堀にて」の特異なありように、役者や戯曲といった演劇を構成する諸要素の相互的な検討を通じて、個々に新たな表現を、そして演劇の可能性を探究した点にこそ、当時の〝芸術派〟の実相が理解されるのだと結論づけた。

  • ──安岡章太郎『陰気な愉しみ』──
    安藤 陽平
    2020 年 103 巻 p. 46-61
    発行日: 2020/11/15
    公開日: 2021/11/15
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    安岡章太郎『陰気な愉しみ』の「私」は、軍隊で〈男〉としての「欠陥」を自覚し、「劣等感」を抱く人物である。「私」は、「欠陥」・「劣等感」から目を背けたり、〈男らしさ〉を構築しようとしたりする。だが本作は、そうした「私」の行動が次々と失敗してゆくさまを描きとる。あるいは、〈男らしさ〉構築の末にむしろ落胆する「私」の姿を呈示する。そうした展開を重視することで、〈男らしさ〉の価値を相対化する作品として本作を解釈できる。同時代では、敗戦─占領による男性の敗北感や屈辱を〈去勢〉などのメタファーであらわすレトリックが流通していた。本作は、それに近接しつつもきわどく距離を取り、批判的な位置についているのである。

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