日本近代文学
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論文
  • ──尾崎紅葉の文章運動と泉鏡花──
    多田 蔵人
    2024 年111 巻 p. 1-16
    発行日: 2024/11/15
    公開日: 2025/11/15
    ジャーナル フリー

    本論では尾崎紅葉と硯友社の文体論理を明らかにし、泉鏡花が硯友社の文体のうちに自らの文体を創出する過程を論じた。一節では鏡花の初期作『窮鳥』の原典と鏡花が参照した訳を指摘し、当該の政治小説において殺人を決意する人物に鏡花がユゴーの作に似た、自己内審判により行動を起こす人間像を象嵌したと述べた。二節では硯友社の文章批評法について、江見水蔭への同人間の合評資料を紹介し、彼らが坪内逍遙風の話者の現勢化による叙法を避け、語彙・文体を洗練し文のリアリティに専心したと指摘した。三節では紅葉による諸家への添削資料から、読者が物語に同調しうる文体が必要とされたことを指摘した上で、鏡花が一息に読み下せる文体のなかに語られざるモチーフを織りこみ、社会通念をこえた人物の内的な葛藤を暗に読者に伝えうる文体を作りだしたことを論じている。

  • ──『台湾愛国婦人』における国木田治子の〈戦術〉──
    下岡 友加
    2024 年111 巻 p. 17-32
    発行日: 2024/11/15
    公開日: 2025/11/15
    ジャーナル フリー

    国木田治子は女性作家に特有の「見られる」立場のみならず、「未亡人」「遺族」という自身の独自の立場をわきまえて執筆を行った作家である。その〈戦術〉が如実に見てとれる場が『台湾愛国婦人』であった。治子が寄稿したテクストは、亡夫である国木田独歩の言説の引用や模倣によって著者自らが「遺族」であることを明示し、訓戒や反省を述べる姉妹を登場させることで女性への注意、啓蒙を促す。さらに寄稿の最終期には、夫亡き後に再縁することなく、家族のために自ら働くことを選び、生き延びる女性像を肯定的に描いた。このような治子のテクストは、戦死者の家族や傷痍軍人の救護・慰問を女性に求める媒体側にとって理想的な〈広告〉であったことを論じた。

  • ──蘆花没後における「灰燼」のメディアミックス──
    平石 岳
    2024 年111 巻 p. 33-48
    発行日: 2024/11/15
    公開日: 2025/11/15
    ジャーナル フリー

    本稿では、近代日本のベストセラーとなった徳冨蘆花『自然と人生』の巻頭作「灰燼」が、蘆花の没後ブームのなかで、夏川静江という役者をめぐって特異なメディアミックスがなされていく過程を検討した。

    蘆花没後に、映画、演劇、ラジオ物語などの様々な舞台で展開された「灰燼」では、夏川演じるお菊が次第に物語上での役割を拡大させていった。その展開には夏川という役者の意欲的な姿勢やアクトが大きく関わっており、いわば夏川のために「灰燼」は作りかえられていった。文学や物語を流通させる当時の環境のなかで、原作者没後における「灰燼」のメディアミックスは、近代文学とショー・ビジネスにおけるスターシステムの実例と、その構造を推し量る現象として注目できる。

  • ──太宰治『走れメロス』論──
    國部 友弘
    2024 年111 巻 p. 49-63
    発行日: 2024/11/15
    公開日: 2025/11/15
    ジャーナル フリー

    太宰治『走れメロス』の王とメロスは、しばしば〈信実/不信〉という対立で語られてきたが、注目すべきは王とメロスの勝負を見る第三者の差異である。王は群衆に対して自らの力を誇示するために勝負をし、メロスは神に自らの道徳性を証明するために勝負する。このとき神はメロスの超自我として機能し、友を裏切ろうとする思考を無意識に抑圧させる。

    メロスの無意識の裏切りが実現されるかどうかは、偶然によって左右されていた。しかしメロスは自身の非道徳性を「否定」というかたちで抑圧しつづけ、この偶然性を隠蔽している。他方で王はこの帰還を予期しつつその事実に改心したものとも考えられる。『走れメロス』は道徳への複雑な批評的作品なのである。

  • ──看過されてきた新短歌をもとに──
    野間 颯
    2024 年111 巻 p. 64-79
    発行日: 2024/11/15
    公開日: 2025/11/15
    ジャーナル フリー

    本稿は大日本歌人協会が編纂した『支那事変歌集 戦地篇』(改造社、一九三八年一二月)と、大日本歌人協会編『支那事変歌集 銃後篇』(大日本歌人協会、一九四一年一〇月)に収められた新短歌を検討対象とした。

    まず大日本歌人協会の結成から解散までにあった紛議を追いかけ、新短歌歌人が形式と思想の両面で時局にふさわしくないものとして排斥されていたことを確認した。一方で新短歌が上記のテクストに収録されていることに注目し、それぞれの新短歌の初出雑誌に立ち返りコンテクストを再現することで、編集によって新短歌の文学的文脈が秘匿されていたことを明らかにした。以上のことから、当時の歌壇が有していた複層性を指摘した。

  • ──谷崎潤一郎「春琴抄」のラジオ化をめぐって──
    大木 エリカ
    2024 年111 巻 p. 80-95
    発行日: 2024/11/15
    公開日: 2025/11/15
    ジャーナル フリー

    本論文では、谷崎潤一郎「春琴抄」(『中央公論』四八年六号、一九三三年六月)と同時代の音声メディアの関係性を、ラジオの観点から分析する。「春琴抄」は、一九三四年一二月一四日に大阪放送局(JOBK)から「物語 春琴抄」として放送されたが、従来テクストのラジオ化の問題は等閑視されてきた。そこで、本稿ではNHK放送博物館所蔵の「物語 春琴抄」台本と「春琴抄」の初出本文との比較を行い、当時のJOBK文芸課課長・奥屋熊郎の脚本戦略を明らかする。また、映画「春琴抄 お琴と佐助」(一九三五年六月)との差異にも注目しつつ、語りを担当した女優・岡田嘉子の〈声〉が喚起する同時代の映画的イメージについても分析し、「物語 春琴抄」に見られる奥屋と岡田の共謀(コラボレーション)の問題を検討することを試みる。

  • ──文学のダブルスパイ──
    白井 耕平
    2024 年111 巻 p. 96-111
    発行日: 2024/11/15
    公開日: 2025/11/15
    ジャーナル フリー

    本稿では、五木寛之の直木賞作「蒼ざめた馬を見よ」(一九六七)を対象とし、本作が「政治と文学」という戦後文学の問題機制を異化していることを明らかにした。本作は、スターリン主義批判を企図した井上光晴「黒い森林」(一九六六)との間において作品の主題を共有している。それは政治的に弾圧されるがゆえに文学が「真実」を体現するという命題である。しかし本作は、同時代に流行したスパイ小説に見られるどんでん返しの物語構成を用いて、この文学的「真実」の価値を崩していく過程をエンターテインメント化した。本稿では本作のこうした検討を通じ、戦後文学的な価値観を批判的に異化しながらも、同時にそれをエンタメ化し延命させる作家という意味において、五木寛之とは文学のダブルスパイであると結論付けた。

  • ──三人称形式、語りなおし、トポス──
    亀有 碧
    2024 年111 巻 p. 112-127
    発行日: 2024/11/15
    公開日: 2025/11/15
    ジャーナル フリー

    近代小説の制度を相対化する作家とみなされてきた中上健次にとって、一見近代的な三人称形式をとる初期短篇小説群の評価は定まっていない。そこで本稿は、初期短篇小説「修験」(一九七四)を対象に、近代小説の規範との距離を測るべく、その三人称形式および、それと同時に導入された、噂話や伝承を語りなおすという語り口や、歴史的なスティグマを背負ったトポスとしての舞台設定という、後年まで引きつがれていく中上作品の骨格の働きを分析した。その結果、それらは総じて、現前の物語内容が他のかたちでもありえたという可能性を示し、語り手の物語行為の恣意性を明らかにしていることが判明した。三人称形式をつうじて、近代小説の規範的形式とは異なる語りを模索する、中上の近代内在的な批評性が明らかになった。

  • ──戦後カニバリズム文学と中上健次「聖餐」──
    寧 宇
    2024 年111 巻 p. 128-143
    発行日: 2024/11/15
    公開日: 2025/11/15
    ジャーナル フリー

    本稿では、中上健次「聖餐」(一九八三)を、カニバリズムの側面から再評価・再定位することを目的とする。幕末の日本や大航海時代の南米にまで遡り、本作は多様な食人言説を手繰り寄せ、植民地主義的な食人表現が定着する以前の、食人をめぐる想像力のメカニズムを提示した。一方、本作はまた食人者/被食者の関係に光を当て、他者=死者の供犠=犠牲を「喪の作業」で受け止め、未来の他者=未来の死者に寄与する姿勢を呼びかける。被食者への哀悼を以て、食人者を絶えず現出させる構造的暴力に満ちた「喫人の世界」を熟視するように示唆する「聖餐」の試みは、戦後カニバリズム文学が提起しつつ、未発に終わった先駆的な取り組みを回収した。

  • ──津島佑子『寵児』のクィア・エコフェミニズム──
    村上 克尚
    2024 年111 巻 p. 144-159
    発行日: 2024/11/15
    公開日: 2025/11/15
    ジャーナル フリー

    本稿は、津島佑子『寵児』を、クィア・エコフェミニズムという新たな枠組みから読み直すことを試みる。『寵児』の主人公である高子の欲望は、知的障害を持っていた、死んだ兄との喜ばしい日々によって形づくられている。それは、あらゆる境界線を越境していくという点で、クィアな欲望だとみなせる。高子は、想像妊娠を通じて、死者と生者の分割線のあいまいさを可視化する。さらに、水槽と魚のイメージを用いて、人間と動物の位階秩序に亀裂を走らせる。最後に、光と水という環境的要素を自分の生と関わらせながら、全てがアクターとして存在する世界を現出させる。このように、『寵児』は、個人のクィアな欲望を基盤とし、世界との交わりを組み替えてしまうという、津島文学のクィア・エコフェミニズム的な性格を胚胎する作品として位置づけ直すことができる。

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