日本近代文学
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論文
  • ──「嘆きの孔雀」「青白き公園」を中心に──
    青木 怜依奈
    2025 年112 巻 p. 1-14
    発行日: 2025/05/15
    公開日: 2026/05/15
    ジャーナル フリー

    牧野信一は大正八年から約二年半の間、子ども向け雑誌『少年』『少女』に多数の童話を発表した。本稿ではこれらの童話の展開を概括し、後の幻想的小説につながる表現上の特質について考察した。牧野の童話には、読者と作者の関係性をいかに規定するかという表現上の葛藤が刻み込まれている。特に、小説家がお話を構想する過程を描いた「嘆きの孔雀」と「青白き公園」では、読者との応答の場が設定され、小説家の身体感覚と言葉の関係性に焦点が当てられる。作中作の成立プロセスを読者と共有していく「嘆きの孔雀」「青白き公園」の方法は、牧野の童話の達成であり、小説家の〈夢〉が問題として浮上する点に、幻想的小説の萌芽が認められるのである。

  • ──ジャンルをめぐる攻防としての「自然主義」言説──
    松田 祥平
    2025 年112 巻 p. 15-30
    発行日: 2025/05/15
    公開日: 2026/05/15
    ジャーナル フリー

    本稿は、一九二五年周辺における「自然主義」言説が、探偵小説に果たした役割について検討した。まずは当時の探偵小説界において「自然」なる概念が規範性を高め、「自然主義」として括られるまでの経緯を追いかけた。続いて、当時の文学場において「自然主義」が批判的に言及されていた事実を確認し、にも拘らず、斯界ではそれが肯定的に持ち出されるのは、単線的な文学史認識に基づき既成文学の後追いを求める点で、探偵小説の属領化を志向するものと意味付けた。そして、そうした要請自体は結局反発されたものの、探偵小説の本義を再確認させ、自律を促したという点に、「自然主義」言説のジャンルにとっての意義を見出した。最後に、その後抬頭した対抗的な規範にも「自然」性への意識が看取されることから、「自然主義」言説は隠微な形で斯界に影響を与え続けていたと指摘した。

  • ──初出雑誌『新青年』の特徴から読み解く──
    松原 大介
    2025 年112 巻 p. 31-46
    発行日: 2025/05/15
    公開日: 2026/05/15
    ジャーナル フリー

    本稿は内田百閒の作品発表誌が多様化しつつある時期である一九二九年五月『新青年』に掲載された作品「猫」について、初出雑誌の特徴から考察するものである。「猫」の「私」は自身の「気持」への捉え難い違和感を「いつもと違つたところがある」という日常性からの逸脱の感覚として捉え、その感覚は「薄暗」く「明り」のない不明瞭な自室外空間の認識へも及ぶ。作中の「野良猫」はそのような捉え難い外部から、「私」の乱脈な感情の変遷や本来は来ていない知人の来訪という形をとって、「いつも」の日常性を侵食する。百閒「猫」は、同時代の『新青年』の特徴である人間心理や超自然的現象を論理的・合理的に把握可能とする発想を踏まえつつ、それらでは捉え難い存在による日常性の侵食を描いた作品であった。

  • ──響かない読者へ書くこと──
    趙 書心
    2025 年112 巻 p. 47-62
    発行日: 2025/05/15
    公開日: 2026/05/15
    ジャーナル フリー

    吉屋信子「或る愚しき者の話」(『黒薔薇』、一九二五年)は、女教師と教え子である少女との同性愛を描いた連載小説である。テクストの後半には、不自然な人称転換や少女の一方が突如殺害されるという唐突な結末がみられ、従来の研究では完成度の低い問題作として評価されてきた。しかし、連載当時、『黒薔薇』の読者欄には多様な感想が掲載されていたにも関わらず、それらの読者投稿が本作の生成プロセスに与えた影響について十分に検討されていない。本論文では、「或る愚しき者の話」を読者との交渉において読み直し、テクストにみられる破綻や唐突な展開が、読者に対する批判的な応答として書かれている可能性を検証する。

  • ──未来派受容と散文化の論理──
    梁 馨蓉
    2025 年112 巻 p. 63-78
    発行日: 2025/05/15
    公開日: 2026/05/15
    ジャーナル フリー

    本稿は、稲垣足穂が『文芸時代』に加わる契機となった短編「WC(極美の一つについての考察)」(一九二五・一)を対象とする。足穂は一九二三年に『一千一秒物語』(金星堂)で文壇に登場し、一九二五年に発表された「WC」が川端康成に高く評価され、翌年新感覚派同人に加わった。本作では、大便というスカトロジー的要素から美を見出す方法として「遊離」と「散文化」が提示されている。従来の研究が「遊離」の解釈に集中されてきたが、本稿では「遊離」と対置されている「散文化」に焦点を当て、その意味と生成プロセスを、同時代に隆興した未来派芸術運動との関連から考察する。これにより、新感覚派という磁場における足穂の前衛性の所在と限界を示したい。

  • ──小林秀雄「からくり」論──
    佐々木 梓
    2025 年112 巻 p. 79-94
    発行日: 2025/05/15
    公開日: 2026/05/15
    ジャーナル フリー

    小林秀雄「からくり」(一九三〇)は、小説集『一つの脳髄』(一九三三)ではなく目次に小説や評論の区分がない『文藝評論』(一九三一)に収録される。そこで唯一の小説である本作は冒頭に位置する。本稿では、単に本作と批評作品との関連を指摘するにとどまらず、なぜ冒頭に置かれたのかを、作品の内実から考究する。まず『ドルジェル伯爵の舞踏会』の人間の見えざる内面の働きを描く特徴と、本作の〈からくり〉との関係を論じる。さらに、その読書体験を経た「俺」が、自己の認識の中で対象を再生成する営為を体得したことを示す。まさにその再生成が批評営為の初発期の表現であるといえる。小説の形態でありながら、本作には〈批評〉営為の萌芽が表れている。

  • ──寺山修司『空には本』論──
    瀬口 真司
    2025 年112 巻 p. 95-110
    発行日: 2025/05/15
    公開日: 2026/05/15
    ジャーナル フリー

    本稿は、寺山修司の歌集『空には本』(的場書房、一九五八年)に収録された短歌〈マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや〉における「祖国」という詩句をめぐって蓄積してきた解釈の歴史に参入し、前衛短歌における「個」の表現ではない「われら」という主体の多義性に注目する読解を展開する。その際、短歌の「私性」解体の理論家/実践者としての寺山修司が示した「歌われものとしての短歌」という理念を参照し、引用/コラージュという手法および(作中)主体構成の問題を、戦後における帝国主義の残滓の表象と同時に検討することで、日本の帝国主義をめぐる諸問題が、戦後の前衛短歌においてどのように表象されてきたのかということを部分的に明らかにした。

  • ──性の権力構造に抗して──
    片野 智子
    2025 年112 巻 p. 111-126
    発行日: 2025/05/15
    公開日: 2026/05/15
    ジャーナル フリー

    これまで『アマノン国往還記』は、男=主体/女=客体という二元論的な性の権力構造を反転させようとする目論見が、実のところその構造の強化に荷担してしまっていることを暴き出す一種のフェミニズム批判小説として捉えられてきた。本稿では更に一歩進んで、本作が性の権力構造を単純に反転させただけの作品であるかのように見えながら、その実そこにある終わりなき権力闘争の虚しさを暴き出すものであることを提示した。その上で、主人公であるPが男性主体としての地位を失い、男でも女でもない曖昧な身体の持ち主になってしまう過程を追いかけることで、本作が性の権力構造それ自体を撹乱するクィアな可能性を持つことを明らかにした。

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