日本近代文学
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93 巻
選択された号の論文の48件中1~48を表示しています
論文
  • ――山田美妙『白玉蘭(別名壮士)』にみる「大衆文学」への水脈――
    永井 聖剛
    2015 年93 巻 p. 1-15
    発行日: 2015/11/15
    公開日: 2016/11/15
    ジャーナル フリー

    山田美妙『白玉蘭(別名壮士)』(明二四)は、保安条例下の壮士の言説に焦点を当てた言文一致小説である。本稿では、この小説に見られる政治/小説/講談などのジャンル横断的な様相を、漢文脈/「だ」調/「です」調の異種混交体として描き出してみたい。こうすることで、「だ/です」という二分法の中で捉えるよりも、より連続的かつ多面的に美妙の文体的試行の歴史性を照射しえると考えるからである。

    この着眼は、「です」調で綴られるテクストが、「です」という文末詞のみによっては統括され得ないことをも導き出してくれる。「です」調では三人称内的焦点化を用いた小説文体が構築できない。つまり、美妙の言文一致は「です」抜きには語れないが、その小説は「です」を抛棄することによってしか語ることができないのである。

  • ――モホリ=ナギ《大都市のダイナミズム》を手がかりに――
    大川内 夏樹
    2015 年93 巻 p. 16-31
    発行日: 2015/11/15
    公開日: 2016/11/15
    ジャーナル フリー

    北園克衛の初期の代表作である「記号説」には、映画のモンタージュを思わせる簡潔な言葉の羅列、あるいは語句や言い回しの反復といった特徴的な表現が見られる。これらの表現は、北園が強い関心を寄せていたモホリ=ナギの「大都市のダイナミズム」の受容を通して生み出されたものだと考えられる。また「記号説」と「大都市のダイナミズム」との間には、作品中に都市的な建築物のイメージを用いているという共通点もある。このような建築物のイメージに注目することで、これまでの研究ではしばしば〈意味〉の無い〈抽象画〉のような詩とされてきた「記号説」を、都市を描いた詩として捉え直す可能性が見えてくる。

  • ――『源氏物語』の翻訳体験との交渉をめぐって――
    大津 直子
    2015 年93 巻 p. 32-45
    発行日: 2015/11/15
    公開日: 2016/11/15
    ジャーナル フリー

    本稿は、『猫と庄造と二人のをんな』の執筆と、当時取り組んでいた『源氏物語』の翻訳とが、相互に影響を及ぼしあう関係であることを明らかにした。この(猫と)作品は、「若菜上・下」巻、言い換えれば『源氏物語』第二部世界に影響を受けてきたと言われてきた。だが小説の執筆と源氏訳との進捗状況を確認すると、直接の影響は「帚木」巻から受けたと推察される。なぜなら雨夜の品定めにおける左馬頭と二人の女とのエピソードが小説の筋書きに反映されていると考えられたからである。さらに単行本収録段階で本文を削除した点についても言及した。一方、國學院大學蔵『谷崎源氏新訳草稿』から、小説の執筆が第二部世界の訳出に影響を及ぼした可能性についても言及した。

  • ――同時代を貫くもの――
    安 智史
    2015 年93 巻 p. 46-61
    発行日: 2015/11/15
    公開日: 2016/11/15
    ジャーナル フリー

    丸山薫(まるやまかおる)は、戦前から戦時下にかけて堀辰雄、三好達治とともに第二次『四季』を主宰したにもかかわらず、四季派の異色詩人と評価されることが多い。しかし、宇宙論的SF短編やシュルレアリストの主張するオブジェ、あるいは〝工場萌え〟の先駆といえる側面をふくむ、薫テクストの無機物への感性は、狭義の詩派の枠組みを超える詩史的な感性の同時代性と、戦前から戦後をつなぐ表現の展開の結束点に位置する側面を有している。研究史上見落とされがちであったその特質を、稲垣足穂、萩原朔太郎、立原道造、中原中也および、無機的風景詩の先駆者とされる小野十三郎や、瀧口修造、山中散生(ちるう)らシュルレアリストとの、同時代性と影響関係を中心に解明した。

  • 田口 麻奈
    2015 年93 巻 p. 62-76
    発行日: 2015/11/15
    公開日: 2016/11/15
    ジャーナル フリー

    病院船をモチーフとした鮎川信夫の連作〈病院船日誌〉(一九五三・七)は、従来、鮎川自身の体験に根ざした「戦争体験の言語化」の試みと見なされてきた。しかし鮎川自身は、戦争体験を一兵士の視点から語ることの限界や不確かさについて多く言及しており、同作の構想は、そのような表象不可能性の認識と無関係ではあり得ない。

    本論は〈病院船日誌〉六篇の詩の分析を通して、同作が、戦争体験そのものではなく、体験とそれを語る主体との困難な関係性を主題化していることを明らかにし、記憶の風化に抗する詩人と称されてきた鮎川の思想的射程を測り直す。また、そのように近代的な〈主体〉概念の限界とその根拠にせまることの同時代的意義、ひいては思想史的意義の検証に繋げたい。

  • ――忘却の覚書の忘却――
    吉野 泰平
    2015 年93 巻 p. 77-89
    発行日: 2015/11/15
    公開日: 2016/11/15
    ジャーナル フリー

    従来、全集をはじめとして単行本には全く収録されず、研究や批評も皆無であった「筆記原稿」(「小説公園」一九五七年九月)を発掘し、その「不敬」性について、戦時下・占領期・同時代の検閲をめぐるメディア(「朝日新聞」・「小説公園」・「真相」・カストリ雑誌)の様相を参照しながら検討した。「筆記原稿」は、表層のレベルで敗戦後に創出された規範に従いながらも、「無意識」下では敗戦前と同じように天皇・皇族を奉じる力がいまだに人々を規定している様態をメディアと皇族の関わりを軸にえがいた小説だといえる。想像力を奪いとる自己検閲の記憶が刻まれた装置を小説のなかで想像力を喚起する記号として反転させ、天皇・皇族に対する議論が減少し(自己)規制されていく時代のなかで、継続する自己検閲を前景化する装置として利用してみせたのだ。

  • ――新川明の「沈黙」に吸引される言葉――
    北山 敏秀
    2015 年93 巻 p. 90-105
    発行日: 2015/11/15
    公開日: 2016/11/15
    ジャーナル フリー

    大江健三郎の『沖縄ノート』(一九七〇)には、いわゆる沖縄の「反復帰論」の代表的論客として知られる新川明が登場する。しかし『沖縄ノート』では、「反復帰論」の論者としてよりも、むしろそれ以前の著作である「新南島風土記」(一九六四~六五)の書き手としてこそ、新川にスポットが当てられていた。大江は、新川が抱く、数百年単位での「南島」の人々の生きざまに向けられた歴史意識と、自らの歴史意識を交差させることで言葉を紡いでいくのだ。本稿では、改めて「反復帰論」が議論される現在において、「新南島風土記」がいかに『沖縄ノート』において語られているかを探ることで、『沖縄ノート』と「反復帰論」との位置関係を明らかにすることを試みた。

《小特集 記憶の表象》
  • ――『春琴抄』から『柳検校の小閑』へ――
    野田 康文
    2015 年93 巻 p. 106-121
    発行日: 2015/11/15
    公開日: 2016/11/15
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は、内田百閒の小説『柳検校の小閑』(一九四〇年)に描かれた盲者の視覚性の特徴と達成を、谷崎潤一郎の小説『春琴抄』(一九三三年)を補助線としつつ明らかにすることにある。まず、『春琴抄』に対する内田百閒の共感と対抗意識を踏まえつつ、『柳検校の小閑』のテクストの構造に盲者の視覚性がどのように方法的に組み込まれているのかを、記憶の表象との関わりから考察し、同時に盲者の視覚性に着目することによって拓ける読解の可能性を導き出す。次に、百閒と親交のあった盲目の筝曲家・宮城道雄の随筆との関連について、盲者の視覚性の形象をめぐって、内田百閒と宮城道雄双方が互いの作品に及ぼした相互作用・相乗効果を考察し、その共同作業によって、盲者の視覚性についての互いの認識を、単独ではたどり着けなかったであろう深みにまで達せしめたことを証明する。

  • ――安部公房作「目撃者」を読む/視る――
    瀬崎 圭二
    2015 年93 巻 p. 122-136
    発行日: 2015/11/15
    公開日: 2016/11/15
    ジャーナル フリー

    安部公房の脚本による「目撃者」は、一九六四年一一月二七日に放送されたテレビドラマである。このドラマは姫島に起こった実際の集団暴行致死事件を素材としており、この事件は当時のメディアで「西部劇」や「映画」になぞらえられていた。ドラマは、事件を再現表象するドキュメンタリー・ドラマの制作そのものを描いており、そのような方法を採ることで、関係者による事件の隠蔽を批評する立場に立つと共に、事件の再現表象の困難を伝え、さらには映像による再現表象そのものを問いかけようとするのである。このような方法を採用した「目撃者」は当時も高く評価されていたが、ドキュメンタリー番組が定着していった当時の状況を相対化する表現としても評価できよう。

  • ――井伏鱒二「黒い雨」における〈庶民〉・〈天皇〉・〈被爆者〉――
    中谷 いずみ
    2015 年93 巻 p. 137-151
    発行日: 2015/11/15
    公開日: 2016/11/15
    ジャーナル フリー

    本論では、井伏鱒二「黒い雨」を分析し、作品発表と同時期の〈天皇〉言説を参照しながらそこに潜む〈戦時〉の枠組みと〈戦争の記憶〉の占有について論じた。庶民を描いたと評される「黒い雨」は、戦後の日常語りや抑圧的上下関係を戦時特有のものとする語り、〈去勢〉としての〈敗戦〉表象などによって、原爆の惨状を含む〈戦時〉を〈異常〉な時間と意味づける。これは一九六五年前後に浸透したといわれる「象徴天皇(制)」をめぐる言説と近接していた。本論では、こうした〈戦時〉を異常とするまなざしが、〈天皇〉と一体化し得る〈われわれ〉の歴史として〈戦時〉を枠づけ〈戦争の記憶〉を占有するものであったことを指摘した。

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