日本近代文学
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97 巻
選択された号の論文の27件中1~27を表示しています
論文
  • ――徳富蘇峰、森田思軒、樋口一葉――
    木村 洋
    2017 年 97 巻 p. 1-16
    発行日: 2017/11/15
    公開日: 2018/11/15
    ジャーナル フリー

    坪内逍遥『小説神髄』の登場を経た一八八〇年代後半から一八九〇年代は、写実主義小説の時代だったと要約できる。しかし徳富蘇峰は逍遥の小説観に沿わない考え方を抱いていた。そしてこの人物を主な推進者とする形で一八九〇年前後に始まった、ユゴー流の認識の導入によって日本文学の刷新を図るという企ては、「社会の罪」という提言(森田思軒)を得ることで多くの賛同者を集め、のちの樋口一葉たちの小説に結実する。こうした「社会の罪」をめぐる資料群を掘り起こしていくと、従来互いに関連するものとして論じられてこなかった蘇峰と一葉の文業も同じ「社会の罪」という系譜の上にあったことが見えてくる。

  • ――石川啄木「漂泊」にみるゴーリキー文学の影響――
    ブルナ ルカーシュ
    2017 年 97 巻 p. 17-32
    発行日: 2017/11/15
    公開日: 2018/11/15
    ジャーナル フリー

    石川啄木の様々な文章で言及される外国の文学者や思想家のなかでロシア作家マクシム・ゴーリキーの名は特別な地位を占める。僅か一六歳にゴーリキーに出会って以来、その作品の読後感を率直に書き綴ったり、作中に描かれる人物と自分自身の境遇を引き比べてみたり、その思想について友人らと熱く語り合うなど、啄木は短い文学生涯を通してゴーリキーの文学に親しみつづけた。北海道に渡った一九〇七年、ゴーリキーの「高俊偉大なる放浪者哲学」への関心は啄木の中でとくに強かったと思われる。本論では函館で書かれた短編「漂泊」を取り上げ、作品冒頭から展開される海の描写や主人公の後藤肇の人物像はゴーリキーの文学を強く意識して構想されたことを実証し、啄木文学における〈漂泊性〉の一つの原点はゴーリキーの作品にあることを明らかにした。

  • 藤田 佑
    2017 年 97 巻 p. 33-48
    発行日: 2017/11/15
    公開日: 2018/11/15
    ジャーナル フリー

    本稿は、ギリシア悲劇を翻案した三島由紀夫『獅子』(昭二三)の分析によって、昭和二三年前後の戦後文壇における三島の立ち位置、及び三島が「戯曲」というジャンルへと接近した必然性を考察した。三島における「戯曲」への傾斜は、心理といった模糊たる内面を言葉で表現する「小説」への忌避に由来している。作中人物から発せられる「肉声」のリアリティを理想化する作品の展開に、ロマン主義的な文学理念の否定という主題を見出し、現代作家として戦後文壇に乗り出した三島の文学観の変遷をたどった。また三島における「古典主義」の構えが、ラディゲを戦後作家の範と見做す、意図的な錯誤のふるまいに準拠していることを論じた。

  • ――倉橋由美子『暗い旅』と初期短編――
    片野 智子
    2017 年 97 巻 p. 49-64
    発行日: 2017/11/15
    公開日: 2018/11/15
    ジャーナル フリー

    ジュディス・バトラーによれば、主体ならびに身体・性とは権力が産出する構築物であるという。それ自体は確かに正しいが、そこで看過されているのは、妊娠・出産する女性の物質的な身体――〈妊む身体〉である。そこで本稿は倉橋由美子の『暗い旅』と初期短編における〈妊む身体〉の不随意性に着目し、それを見失うことなく権力に抵抗するあり方を提示した。まず初期短編を通して〈妊む身体〉をめぐって構築される男/女=主体/客体という権力構造を分析している。その上で『暗い旅』の考察に入り、匿名の語り手から呼びかけられることで主人公の「あなた」が女という性を否応なく引き受けさせられるも、〈妊む身体〉の不随意性を足がかりに、女の性を演ずる行為に転換する過程を論じた。更に、こうした「あなた」の演技性が主体を撹乱すると同時に、主体を根拠としない権力への抵抗にもなり得ることを明らかにした。

  • ――二つの「族譜」との断絶をめぐって――
    廣瀬 陽一
    2017 年 97 巻 p. 65-79
    発行日: 2017/11/15
    公開日: 2018/11/15
    ジャーナル フリー

    本論では金達寿が「族譜」の題名で発表し、二度の改稿を経て『落照』の題名で刊行した小説を取り上げ、二つの「族譜」と『落照』の思想的断絶が意味するものを考察した。まず改稿に伴う物語や主題の変化を、執筆・改稿時の時代状況や金達寿の政治的・思想的立場を踏まえて比較した。その上で『落照』への改稿時に、主人公の伯父・貴厳が「主人公化」されたことに注目し、彼を、韓国建国の過程で虐殺され、社会主義/民族主義というイデオロギー対立の中で見捨てられた朝鮮人の原型的存在として造形し直すことで、彼らこそ朝鮮の歴史の真の主人公だという認識が新たに提起されたことを指摘し、ここに二つの「族譜」と『落照』との思想的断絶が認められることを示した。

  • ――小説/シチュエーションCDにおける受容経験の相違――
    広瀬 正浩
    2017 年 97 巻 p. 80-93
    発行日: 2017/11/15
    公開日: 2018/11/15
    ジャーナル フリー

    小説の読者は文字を目で追いながら、想像上の音声的な発信主体「語り手」の存在を感じ、それが語る幻の声を聴き取る。このとき読者は、想像上の存在である語り手に向き合う、「聴き手」の身体を獲得する。だが、この聴き手としての経験とはどのようなものなのか。この問題を考える手掛かりとして、シチュエーションCDという現実的な音声の表現に注目する。シチュエーションCDは一人称小説と類比的な関係にある。本稿では、この二つの表現の受容者がそれぞれどんな発声主体と向き合い、どんな身体を獲得するのかを検証する。そして、この聴き手についての考察が、虚構世界に没入する者の経験を問う上で重要であることを確認する。

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