日本近代文学
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99 巻
選択された号の論文の34件中1~34を表示しています
論文
  • ――徳冨蘆花「黒潮」のメディアミックス――
    平石 岳
    2018 年 99 巻 p. 1-16
    発行日: 2018/11/15
    公開日: 2019/11/15
    ジャーナル フリー

    近代日本において、「不如帰」の多種多様なメディアミックスが行われたことは広く知られている。しかしそのなかで、蘆花の他作品の文学的実践や試みは、時に意図的に無視され、あるいは改変されて流通してもいた。「不如帰」のヒット後に新派劇化された「黒潮」の物語は、メロドラマ的な原作のサブ・ストーリーを中心にして構成され、独自の展開も設けられた。この構成は、以降の「黒潮」群におけるフォーマットとなり、そこには作り手の思惑や、当時の流行が色濃く投影されていが、それは同時に、「政治小説」としての原作への期待感や作品の可能性を失わせてもいた。「黒潮」のメディアミックスは、蘆花という作家が、また蘆花文学がどのように求められていたのかの証左でもあった。

  • ――永井荷風「父の恩」の日露戦後空間――
    清松 大
    2018 年 99 巻 p. 17-32
    発行日: 2018/11/15
    公開日: 2019/11/15
    ジャーナル フリー

    永井荷風「父の恩」は一九一三年に発表され、中絶を経て一九一九年に続稿が公にされた小説である。本稿は大正期の都市騒乱という観点から作品の成立過程を跡づけ、日比谷焼打ち事件の描写等により仮構された日露戦後空間と続稿発表時の時代状況が〈民衆〉というモチーフにより横断的に関連づけられる作品構造を鮮明にした。また、作中に言及されるヴェルハーレンや裸体画の分析を通じ、日露戦後的な〈国民〉と、新たな時代精神としての〈民衆〉の差異を浮き彫りにするテクストとして意味づけた。この作品は、大正の世において時代の本質を見定めようとする関心と隠逸への意志との間で揺れる荷風の葛藤を反映しており、大正中期以降に顕著となる隠遁的作家像から逸脱する可能性を持つものとして位置づけることができる。

  • ――時局の中の川柳と俳句――
    田部 知季
    2018 年 99 巻 p. 33-48
    発行日: 2018/11/15
    公開日: 2019/11/15
    ジャーナル フリー

    本稿では、従来看過されてきた短詩形文学と日露戦争の関わりを、井上剣花坊と河東碧梧桐の動向に即して検証した。剣花坊の川柳革新は『日本』の「新題柳樽」欄を舞台に展開し、戦争の時流に乗って躍進する。その中で彼は既存の「文学」に欠ける「滑稽趣味」を拠り所に、川柳というジャンルを「興国的文学」として価値づけた。一方、戦時下の俳壇では国威発揚を企図した「武装俳句」が試みられるも、実作上の成果を得られずにいた。他方、従軍の計画が頓挫した碧梧桐は、安易に俳句を戦争と結びつけることなく、自立的な「文学」としての俳句像を堅持した。彼はそうした反動の延長線上で全国行脚へ乗り出し、新傾向俳句を鼓吹することとなる。

  • ――《党派》の非共約性と地上の共棲をめぐって――
    畑中 佳恵
    2018 年 99 巻 p. 49-63
    発行日: 2018/11/15
    公開日: 2019/11/15
    ジャーナル フリー

    女性キリシタン・采女の殉教を迫害側の捕方の視点で描いた小島信夫の短編小説「殉教」(一九五四年)は、これまで本格的に論じられてこなかった作品である。本稿では研究の手始めとして、同時代評の調査やレオン・パジェス『日本切支丹宗門史』との照合など基本的な情報を整理した。また史実に反する舞台設定の特徴をふまえ、世俗の統治組織とキリシタン信仰集団という、共約性と非共約性が複雑に入り混じる《党派》間のコミュニケーションの齟齬を論じた。対立のドラマによって非共約性が強調されるとともに、両者の認識が橋渡される可能性が示されることは、他者との共棲をめぐる今日的な課題にとって注目される。この側面を明らかにすることで、作品を多面的に評価するための序論とした。

  • ――契約するマゾヒスト――
    片野 智子
    2018 年 99 巻 p. 64-79
    発行日: 2018/11/15
    公開日: 2019/11/15
    ジャーナル フリー

    本稿では、『聖少女』における「ぼく」とその姉、未紀とその父による二つの近親相姦を比較することで、少女が実の父への近親相姦的欲望を諦めることで父に似た別の男性と結婚するという、女性のエディプス・コンプレックスの克服を無批判に描いているかに見えるこの作品が、実はマゾヒストたる未紀が自らの求める苦痛=快楽のために父への近親愛や近親相姦の禁止という〈法〉さえも利用するラディカルな物語であることを明らかにした。更に、未紀は苦痛=快楽を得るために「ぼく」との結婚をマゾヒズム的な契約関係へすり替えもする。そうした未紀のマゾヒズムは、近親相姦の禁止という〈法〉が実は父権的な家族を維持するためのシステムにすぎないことを暴くと共に、男性中心的な快楽のありようや結婚という制度を内側から解体していく契機を孕んでいることを示した。

  • ――目取真俊「群蝶の木」論――
    栗山 雄佑
    2018 年 99 巻 p. 80-94
    発行日: 2018/11/15
    公開日: 2019/11/15
    ジャーナル フリー

    (要旨)本稿は、沖縄における戦時慰安婦の問題を描いた目取真俊「群蝶の木」について、現代の沖縄の部落においていかに過去の記憶を引き受けることが可能かを考察した。その方策として、主人公の男性は元慰安婦の女性との身体的な接触を、友人から聞かされた自殺した知人の情報を重ね合わせる。そして、彼が両者の姿、情報によって自身の心奥に〈何か〉が生じたことを知覚したことに注目する。その〈何か〉を読み解くためにアフェクトの概念を援用しつつ、主人公が得たものが他者の背景に対する〈わからなさ〉という無力さであることを明らかにした。この〈わからなさ〉を起点にすることで、慰安婦の女性の語りに誘発された一義的な読解を読み替える可能性が提示されていることを示した。

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