弥生時代の開始期には,朝鮮半島南部からの文化の伝播によって,土器や石器などの道具だけでなく,生業や葬制にいたるまでの,広範な変革がみられる。そして,その時期には,遠賀川式土器という斉一性の高い土器様式が西日本に広がる。近年,この斉一性の再検討が進み,地域性のあることが指摘されるようになってきた。これは九州北部から東に行くほど,地理的勾配によって,無文土器を起源とする文化が薄れていくという状況のみではなく,在地的な影響力の重要性を指摘している。しかし,この時期の葬制をみた場合,その展開は極めて多様である。地理的勾配と在地的な影響もあるが,それのみでは,葬制の多様性と変化の大きさを説明することは難しい。
そこで本稿では,弥生時代開始期になって現れる副葬品である,朝鮮半島南部の文化に由来する磨製石剣,磨製石鏃,丹塗磨研壷,碧玉管玉に着目した。そして,(1)副葬習俗の展開における地域差,(2)土器様式と葬制の広がりの対応状況の有無を明らかとすることを目的とし,西日本各地におけるそれらの副葬品として扱い方,品目ごとの受容の様相を検討した。同時に,各副葬品の展開が,朝鮮半島との直接的な交流を示す部分がある可能性を考慮し,朝鮮半島での副葬品の在り方や地域性についても注意を払った。
そして,これらの検討を行った結果,弥生時代開始期の西日本では,九州北部を経由した文化を一様に受容するだけではなく,それぞれ地域性をもって受容することがわかった。そして,その様相は重層的であり,遠賀川式土器に代表される土器の影響は確かに九州北部から西日本に伝播するが,水稲農耕を中心とした農耕社会が形成され始めたのちは,九州北部を介さず,朝鮮半島南部の文化を各地域が選択して受容すると考えられた。一方,弥生時代前期を境に,九州北部では,石剣・石鏃などの武器副葬こそあまり受容しなかったものの,副葬習俗が一般化し始める。山陰地方では副葬品として管玉を主体的に受容するのみでなく,玉作りも展開させ,原材などの交易がみられるようになる。これらの様相から,弥生時代開始期に形成された地域性は,前期末の青銅器の伝播に伴う変化も加えつつ,弥生社会の副葬品による東西の不均衡や,地域的展開の基盤となると結論づけた。
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