本論は,建築史学が考古学の姉妹分野として認められることを出発点とし,その重要な側面の一つ,建物を遺物として分析の対象とすることを,イギリスの研究者に習って,「建造物の考古学」と定義する。日本の場合,建造物の考古学を進めるに当たって,重要文化財建造物の修理工事報告書を世界的に水準の高い貴重な資料として指摘し,その中から,1963年発行の「江川家住宅修理工事報告書」を例に取り上げ,それを通して,歴史的建築に関する理解を深める道具としての修理工事報告書のポテンシャルを探る。報告書を日本建築史における江川家住宅の位置付けの学際的な再検討の出発点とする。後に一棟に纏められたが,本来は独立した居室棟と台所棟から構成された江川家住宅は,近世の田舎に残る中世上層武士の住居形態を伝える稀な存在として注目を浴びた建物である。両棟に関する調査成果の再検討,類例との比較及び文献と発掘資料の分析を行った結果,台所棟を17世紀初期建立の酒醸造の釜屋を兼ねた代官屋敷の台所として認めるが,近世初期上層住宅の台所よりも,原型を前史・古代にある伝統的釜屋建築の系譜に求め,分棟型民家の別棟土間作業場と共通する最新技法を利用した極端に大規模な例として解釈する。一方,禅宗方丈,室町将軍御所の会所,大名居館の対面所との類似及びその規模と材質等を考慮し,居室棟を近くの韮山城御殿から移築された建物と推測する。よって,戦国大名居館建築の唯一の残存例である可能性が強いと指摘する。両建物当初の配置も復元し,寺院における住宅建築と武士住宅の配置との類似から,構成はそれらを意識したと見られるが,発掘遺構の再検討の結果,16世紀の江川家住宅を別棟サービス型よりも,主屋内サービス型の可能性を指摘し,居住形態に継続性が薄いという結論に達する。むしろ16世紀から成功した酒屋であった江川家が,17世紀初期に天領の代官に任命され,住宅の大きな再編を行い,新しく得た権力と企業の繁栄の両方を,建築を通して劇的に表現しようとし,それが継続よりも,前例のイメージを借りた新たな事情の表明として理解すべきと見なす。最後に,発掘と異なり,古建築の調査は資料破壊を伴う必要がないことを指摘し,「建造物の考古学」の基礎資料である歴史的建物を修復する際,エヴィデンスを壊さないアプローチが望ましいと主張する。
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