これまでの弥生時代北部九州の『集塊状』甕棺墓地/墓域に関する研究視点は,埋葬集塊単位(グループ)をまず析出し,それらを世帯,家族といった特定規模・内容の集団と結びつけることを出発点として,社会類型・発展論へと展開してゆくことをその基本的枠組みとした。このような研究枠組みに対して,小論では,墓地空間構成形成過程の微細分析の手法を用いて,以上のように分析解釈されてきた一集塊単位の内部に分析のメスを入れた。
その結果,1)集塊単位内部にさらに,『埋葬系列』とも呼ぶべき単位が存在すること,2)それらは単純に,ある特定の血縁/居住集団の単位に擬せられるような性質のものではないこと,3)それらはむしろ,特定被葬者をどの場所に埋葬するべきか,すなわちこの場合,どの既存墓葬=特定祖霊の傍らに埋葬すべきかに関する決断の累積によるものであること,などが明らかにされるとともに,被葬者性別が男性に傾くこと,ただ1体の女性被葬者が14個のイモガイ横型貝輪を着装していたことから,栗山遺跡C群墓域に典型的に見るような集塊状墓群は必ずしも特定血縁/居住集団成員の墓域と単純に対応するようなものではなく,ある種の選択をへた諸個人の墓域であることが示された。
さらに,社会的諸関係の再生産に関わる諸領野の一つとしての葬送行為の特質に関する社会学・社会人類学の研究成果を参照しつつ,上の3)が,特定祖霊の傍らに特定の死者を葬ることを通じて,それら両者間の社会的関係を表示確認し,ひいては,後者の埋葬行為の執行を司った人物(達)の社会的位置を,それら死者との関係において表示,確認したことによる,と解釈した。加えて,甕棺型式,残存人骨の年齢推定に基づく推定,すなわち,古い墓葬の被葬者の死亡時の,それに挿入される新しい墓葬の被葬者の年齢推定から,後者と前者の間に生前に直接的に取り結ばれた社会関係が存在しなかった可能性があること,また,後者の葬送の執行者が,古い墓葬の被葬者の生前の事跡を直接には知らなかった場合があろうことが推定され,そのことから,特定祖霊に関する『記憶』がある種の『資源』として,葬送行為において動員されたであろうという解釈が導かれた。そして,『資源』としての祖霊観念が,集団/共(協)同性の表象から,個人の役割,事跡に関する記憶などに表象される『個』的なものへと移り変わったことに,社会システムの変容と,その再生産のための戦略の変化を読み取った。
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