平戸オランダ商館は,東イソド会社の東洋における最前線基地として1609年設置された。本商館は1641年長崎出島に移転するまで,日蘭交流の拠点として重要な役割を果たしており,大正11年に国史跡に指定された。
従来,本商館諸施設の実態は明らかでなかったが,最近オランダ国立中央文書館所蔵史料の分析や発掘調査の進展によって,その内容が明らかにされつつある。
商館時代の遺構は,発掘成果と文献史料を考慮して3期に区分され,海岸埋め立てに伴う商館所有地の拡大と良く一致している。第1期は既存の施設を使用した時期,第2期は商館による諸施設建設工事の開始される1612年より1636年までの時期である。第3期は洋風石造倉庫の建設が開始される1637年より1641年までの短期間であるが,洋風や和風の建物が増改築され,史料も豊富で,その実態が最も明らかにされている。
平戸市教育委員会は,商館跡の復元整備を目的に1639年に建造された石造倉庫の発掘調査を進めていたが,2002年の調査でその全容が明らかとなっている。
本倉庫は1610年代築造の2棟の倉庫を壊し,1638年末より1639年にかけて建築された洋風の石造倉庫であるが,1640年江戸幕府によって最初に破壊命令を受けた建物である。
史料(会計帳簿等)に,内壁の長さ148フート,幅41フート,石壁の厚さ2フートの長方形の建物と記されている。発掘調査で検出されたのは壁基礎部の地業であり,石壁の位置を特定できないが,幅41尺,長さ148尺と日本の尺度とすれば比較的良く整合している。
石壁の基礎地業は,上面幅100~160cm,下面幅60~100cm,深さ30cmの溝の最下面に10cmの砂層が存在し,その上位に各種石材を積み重ね,そのすき間に漆喰を塗り固めてあった。
本建物遺構の南側中央に,上面幅210cm,下面幅170cm,深さ50cm,長さ10m強の同様の構造を呈する,外付石造階段の地業と思われる遺構が検出された。
礎石の地業は上面の直径2m強,深さ40cmの掘り込みで,下部に板状玄武岩が3段ほど敷かれ,最上部に漆喰が認められた。
1639年築造倉庫の基礎遺構は,日本に例のない工法が使用され,オランダ商館長日記や会計帳簿などの史料と発掘成果は良く整合していることが,本調査によって明らかとなった。
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