理論と方法
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3 巻, 2 号
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特集 権力現象:権力を維持し、内蔵し、産出する制度
  • 志田 基与師
    1988 年 3 巻 2 号 p. 2_1-2_2
    発行日: 1988/10/09
    公開日: 2009/03/06
    ジャーナル フリー
  •  
    宮台 真司
    1988 年 3 巻 2 号 p. 2_3-2_30
    発行日: 1988/10/09
    公開日: 2009/03/06
    ジャーナル フリー
     社会学の主流的伝統では,権力が服従者の了解を経由して働くことを,暗黙にせよ前提する。ウェーバーの定義は周知であるが,パーソンズでさえ,機能的側面として資源配分機能に着目したとはいえ,機能の帰属先である対象的外延としては「シンボルによって一般化された」権力(=公式権力)だけを問題化した。権力に想定される了解構造は,権力についての様々な問題設定を境界づけるが,了解構造自体を明確に主題化した業績は実に少ない。
     我々は第1に,この了解構造を明確に取り出して,従来の諸定義を比較可能にすると共に,それ自身を権力の定義に据える。その結果,権力は権力者の意図や自覚から分離されて,服従者の体験にだけ定位した概念となる。
     第2に,それを利用して,伝統的な権力理論の様々な主題──威嚇/報償の差異・予期の機能・正当性/公式性/合法性の差異・国家権力など──を相互に関係づけて論じ,発見された諸問題を記述する。
    (*前半部(10. 迄)は1987年10月の社会学会報告のレジュメとほぼ同一である)
  • ─他者の意思はいかにして自己の意思を捉えるか─
    大澤 真幸
    1988 年 3 巻 2 号 p. 2_31-2_48
    発行日: 1988/10/09
    公開日: 2009/03/06
    ジャーナル フリー
     権力と呼ばれる社会現象は、行為者が、自らの行為の決定を、自身の意思に帰属した選択として認知する以前に、直接には他者の意思に帰属する選択として認知しているときに生ずる。言い換えれば、行為者が、自身の行為を、「他者の意思に従った選択」の選択として認知しているとき、その行為者は他者の権力に従属していると、自らを認定することになる。しかし、何故に、ある行為者の選択は、このように他者の意思を経由する「回り道」を辿るのだろうか?
     この論考は、「権力」に確定的で形式的な定義を与えることを通じて、この疑問に答えようとするものである。我々は、権力が、行為者自身の選好のみに依存した行為選択の無媒介の合理性と、他者の選好(選択)を予期した場合の行為選択の媒介的な合理性の乖離から生じていることを、明らかにするだろう。同時に、権力の二つの典型──抑止的なタイプの推力と誘導的なタイプの権力──を分かつ基本的な特性を明確にする。また、権力の作動が、権力保持者と従属者にともに回避されている(と従属者が認知している)社会状態の存在、およびその社会状態に対する権力保持者と従属者の非対称的な関与によって、条件づけられていることを示すこととなろう。
  • 西阪 仰
    1988 年 3 巻 2 号 p. 2_49-2_68
    発行日: 1988/10/09
    公開日: 2009/03/06
    ジャーナル フリー
     「権力」という概念は、いかにも厄介である。なぜ厄介かといえば、便利すぎるからだ。あの人はなぜそんなふうにふるまったのか──それはそういうふうに権力が働いたから、という具合に、それは何でも説明してしまう。これは結局、「権力」ということで何かを説明しても、実際には何も説明したことにならない、ということにほかならない。それにもかかわらず、「権力」は日常において「説得力ある」説明に用いられる。本稿では、この不思議な事態を、独自の現象として取り扱っていくことがこころみられる。まず権力の意味論的分析により、次のことが示される。つまり、権力関係があるということは、当事者間に権力源についての相互的知識があるということと同値なのである。この相互的知識を当事者たちがもっていること、このことが第三者に見て取れるとき、権力について第三者による報告が可能になるわけだ。ところでじつは、権力のリアリティはまさしくこの「第三者による」報告に内属的なものにほかならない。そうであるならば、権力がリアリティをもつのは、第三者による報告が可能であるときということになる。そこで、次に問うべきことはこうである:当事者たちの、権力源に関する相互的知識は、どういうときに第三者にたいして示されるのか。これについて、逐次「成員カデゴリー」と「会話の順番取得システム」にもとづき検討が加えられる。
  • ─権力が成立するための条件─
    永田 えり子
    1988 年 3 巻 2 号 p. 2_69-2_84
    発行日: 1988/10/09
    公開日: 2009/03/06
    ジャーナル フリー
     好むと好まざるとにかかわらず、権力者の行動に応じて服従者が特定の行動を行わざるをえないこと──これが権力の本質である。この見地に立ってわれわれは、権力を自由の不均等な配分として定義することを提案する。たとえば上司に命令する自由があり、上司が命令したならば部下はそれにしたがうという以外に行為の可能性をもたないとき、上司は部下に権力をもっているのである。この提案は袋小路に入っていた権力論に、新たに制度という視点を導入する。誰が・どんなときに・どのような行為の可能性をもっているかは、制度によって決っている。したがって権力は制度の一部として記述され、制度の集合から権力構造の集合への関数を発見することによって権力を説明・予測する可能性を開く。その一端としてここでは(1)各人が自由であるような制度のもとでは権力は存在しない、(2)任意の個人が行為を変更するならば、それに応じて他の全ての個人もまた行為を変更せざるをえないような拘束的な制度のもとでは、全体集団が他の全ての集団・全ての個人に権力を及ぼすという、全体主義的権力構造が成立する、という定理を主張する。
  • 盛山 和夫
    1988 年 3 巻 2 号 p. 2_85-2_100
    発行日: 1988/10/09
    公開日: 2009/03/06
    ジャーナル フリー
     権力という概念は、われわれが日常的に社会的世界を理解する上できわめて重要な役割を果たしている。そこでは、権力は、世界に作用を及ぼすところの実体であり、独立した要因であると概念化されている。「権力の大きさ」とか「権力の大小」といった概念は、実体としての権力を前提にしている。
     しかしながら、このような実体としての権力の実在は疑わしい。ニュートン力学におけるような物理的な力は実在するかも知れないが、社会学理論においてそれと同等の役割を果たすべき実体としての権力は、存在しないと考えた方が、これまでの権力理論の混乱と失敗をよりよく説明することが出来る。ここで、実体としての権力と、被説明項としての権力現象とを区別することが重要である。後者は、実際に観測され、説明を求められているさまざまな権力現象である。それに対して、前者はそうした権力現象を説明するために、日常的な社会理解において考え出された説明要因である。しかも、これは説明要因として、厳密な検討に耐えうるものではなく、結局のところ幻想的な要因であると考えられる。
     したがって、ありうべき権力理論においては、もはや説明要因としての権力概念を保持することはできない。むしろ、さまざまな権力現象を現象に即して説明していく試みの蓄積が必要である。
  • ─社会的決定関数にかきこまれた権力─
    志田 基与師
    1988 年 3 巻 2 号 p. 2_101-2_114
    発行日: 1988/10/09
    公開日: 2009/03/06
    ジャーナル フリー
     権力を,権利や意思という概念と関連させて考察するためには,社会的決定関数という社会装置に基づくのがよい.社会的決定関数は,社会状態を,社会にたいして開かれた機会集合から人々の選好の組を参照しつつ,一義的に導き出す手続きであり,その機能に着目すれば制度と等置できる.権力とは,社会的決定の中に自らの意思を貫徹する能力と理解できるから,この関数の入力の一つである意思と出力である社会的決定とを比較することにより,その記述を与えることができる.たとえば,他者の意思がどんな配置になっていようと特定の社会状態を帰結できる行為者は一定の権力を有しているといえよう.ある個人の選好と社会的決定の一致の度合から,われわれは,狭義の権力,権限,権利という次第に強さを増す一連の権力概念を提案した.ところでこの入出力の対応は制度である社会的決定関数によって定まっているから,権力は制度の属性として記述を与えられることになる.それゆえ,権力は制定の一部分である.それは,社会的決定関数が,幾分かは個別の個人行為者による部分的な決定へと分解可能なものであることに基づいていて,われわれはそこに権力関係を読み取るのである.権力の布置は,したがって,人々の選好の布置に基づいているわけではなく,社会的決定関数の関数形の一部であり,これを選好の布置に依存すると考えるのはいわゆるカテゴリー錯誤を犯すものである.権力関係はまた社会的決定関数のもつ形式的特性によって制約をうけるし,逆に権力関係のあり方が社会的決定関数に制約を加えることもある.その例としてSenのLiberal Paradoxと戦略的操作の可能性が挙げられる.
特集 意味と自己組織性
論文
  • 佐藤 俊樹
    1988 年 3 巻 2 号 p. 2_151-2_170
    発行日: 1988/10/09
    公開日: 2009/03/06
    ジャーナル フリー
     理解社会学という方法は,社会学の最も古典的な方法の一つで,かつ,現在でも多くの社会学者が意識的または無意識的に用いている方法である。にもかかわらず,この方法はこれまで,理解をめぐる哲学的議論や学説史的な視点からのみ問題にされ,具体的な社会記述の方法として反省的に定式化され理論的に検討されることは,ほとんどなかった。本論考ではまず,理解社会学の方法を,Weber固有のジャーゴンを離れ,行為論の一般的な術語を用いて,公理系として捉える。そして,この公理系の検討を通して,通常全く自然な作業と思われている「理解社会学的に理解している」ということが実際にはどういうことなのか,その射程と限界について明らかにする。
研究ノート
  • ―ファラロ=高坂モデルによる分布の予測を評価する係数について―
    海野 道郎
    1988 年 3 巻 2 号 p. 2_171-2_175
    発行日: 1988/10/09
    公開日: 2009/03/06
    ジャーナル フリー
     階層帰属意識に関するファラロ=高坂モデルによって予測される階層帰属意識の分布が観察結果をどのくらいよく予測しているかを評価するために、1つの係数を考案し、その形成過程を示した。この係数は分布の類似性を考慮して予測の的中度を示すもので、ファラロ=高坂モデルに限らず、順序づけ可能な離散測度上の分布の予測一般に適用が可能である。
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