大阪歴史博物館研究紀要
Online ISSN : 2435-8622
Print ISSN : 1347-8443
16 巻
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  • 中野 朋子
    2018 年 16 巻 p. 001-017
    発行日: 2018年
    公開日: 2021/04/01
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    大正二年(一九一三)夏、天王寺公園で「関西教育博覧会」が開催された。この博覧会は「教育」を主題とした日本で初めての博覧会であるものの、これまでの博覧会研究においてはほとんど注目されることがなく、したがって同博覧会に関する研究や報告は皆無である。本稿では、地方に活動の根幹を置いた「名家」が各地の美術工芸振興や博覧会の開催にあたってどのような役割を果たしたのかについて調査を進めていくなかで明らかとなった「関西教育博覧会」の開催経緯や運営組織、展観事業の概要について報告するとともに、同博覧会の開催にあたって大阪の「名家」がどのような関わりを持ったのかについて言及した。
  • 百済王氏の本拠地の所在をめぐって
    佐藤 隆
    2018 年 16 巻 p. 1-18
    発行日: 2018年
    公開日: 2021/04/01
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    延暦3年(784)に長岡京への遷都が行なわれた後、難波地域は大川沿岸と四天王寺周辺の2地区に大きく活動拠点が分かれて、中世に向けたまちの形成が始まる。そうした動きに対して、遷都によって失われた要素としては、細工谷遺跡における遺構・遺物の急激な減少から明らかとなった「百済尼寺」の廃絶をその代表例に挙げることができる。本論では同遺跡や田辺廃寺といった「百済郡」の範囲内と推定される遺跡の土器や瓦について、百済王氏のもうひとつの本拠地である河内国交野地域の百済寺跡の瓦と比較検討を行ない、新たな事実を指摘した。交野地域において百済寺の経営基盤となった禁野本町遺跡は、8世紀前半から東西、南北に道路を配した街区の形成が見られ、難波地域とともに百済王氏の拠点として整備されたことを、土器の年代観を再検討することであらためて明確にした。長岡京遷都前後に見られる百済王氏のふたつの本拠地における動向は、遷都という歴史的大事業がどのような背景で行なわれたかを知る重要な手がかりとなる。
  • 都市建設過程からみた一試論
    大澤 研一
    2018 年 16 巻 p. 019-033
    発行日: 2018年
    公開日: 2021/04/01
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  • 松尾 信裕
    2018 年 16 巻 p. 19-32
    発行日: 2018年
    公開日: 2021/04/01
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    豊臣秀吉が晩年に建設した城下町に大坂城下町がある。この大坂城下町の下層には、中世や古代、さらには弥生時代まで遡る遺跡が埋没している。各時代の遺跡の分布から大坂城下町が建設されるまでの大阪の景観を復元していく。そして、それぞれの時代の遺跡の特徴から大阪の都市化の歴史を踏まえて、近世城下町大坂への発展過程を明らかにする。
  • 金属及び器具・車両・船舶工業の事例
    杉本 厚典
    2018 年 16 巻 p. 33-64
    発行日: 2018年
    公開日: 2021/04/01
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    大阪の金属及び器具・車両・船舶工業の分布を明治後期の「大阪市商工業者資産録」及び大正期の『工場通覧』・『大阪市商工名鑑』で探り、三つのモデルを描き出した。一つ目が鋳造・金属吹き分け業、鍛冶、古金商に見られる東西ベルト型。臨海部から船場、上町台地へ東西方向に分布する。二つ目は造船・造船関連産業の臨海型。木津川と安治川の合流地点、大阪鉄工所、藤永田造船所で形成される三角地帯に、造船を核として、汽罐、船具などの産業が密集し、複合的な工業・商業地帯を形成していた。三つ目は都市周辺型。錫・アルミニウム・琺瑯産業、自転車製造、人力車製造、洋傘製造、魔法瓶製造がこの類型に該当する。これらの産業は人口密集度の高い市街地の外側に工場地域が形成され、都市外縁部から都心へ移行するにつれて、工場のみの状況から、工場と卸・小売といった流通も兼ね備えた業態へと推移していた。そして東西ベルト型が近世以降金属工業の盛んな地域に成立したのに対して、臨海型と都市周辺型が近代に現れる産業分布の類型と考えた。
  • 島﨑 未央
    2018 年 16 巻 p. 035-059
    発行日: 2018年
    公開日: 2021/04/01
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    摂津国東成郡鴫野村は大坂城の北東に近接する村である。その文書群の特徴は、一七世紀前期から一八世紀前期にかけての村政史料が豊富なことと、大坂城内の下掃除(屎尿処理)に関する史料がまとまって残っていることである。屎尿処理と流通に関する従来の研究は主に大坂の町方を対象としており、大規模な武士集団が駐留する大坂城内についてはよく知られてこなかった。本稿ではまず、貞享二年(一六八五)の宗旨人別帳を用いて一七世紀後期の村落構造を概観し、無高が半数を占めることを確認した。淀川沿いで水損が多発するため耕地が不安定なこと、近隣からの入り作が目立つことと関係するのだろうが、人びとの生業については解明の余地を残している。そうした鴫野村にとって大坂城内の下掃除は重要な収入源であり、一七世紀末から一八世紀初頭の掃除人足は所持高五石以下の平百姓と無高が担ったこと、請負人や他村との間で下掃除の権利をめぐる競合がみられたことを確認した。
  • 岩佐 伸一
    2018 年 16 巻 p. 061-066
    発行日: 2018年
    公開日: 2021/04/01
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  • 安岡 早穂
    2018 年 16 巻 p. 65-74
    発行日: 2018年
    公開日: 2021/04/01
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    瀬戸内海沿岸地域では、漁撈活動の証拠として多彩な土錘が出土するが、これらがそれぞれどのような環境でどのように使用されたかについては未だ議論の余地がある。本稿では、古代以前に見られる土錘の各型式のうち、瀬戸内海沿岸地域を中心として分布する棒状土錘・有溝土錘の一部を抽出し、遺跡ごとの重量・大きさについて比較した。同一型式でありながらそれぞれ遺跡ごとに微妙な差異をもっている点は、使用される環境の影響を受けていると考えられる。また、管状土錘と共存する場合は各型式で重量分布が異なっており、複数の網を使い分けていることがわかる。  今後遺跡ごとの組成を比較することで、漁撈活動の規模や変遷などの様相について類推可能となる点を指摘する。
  • 伊藤 廣之
    2018 年 16 巻 p. 067-072
    発行日: 2018年
    公開日: 2021/04/01
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  • 大阪出土の清朝青花と国産染付を中心に
    松本 百合子
    2018 年 16 巻 p. 75-86
    発行日: 2018年
    公開日: 2021/04/01
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    18世紀以降の近世遺跡から出土する過墻龍文磁器は、中国産青花と国産染付の₂種類が存在する。それらの出土地と文様・器形を紹介し、貿易陶磁としての青花磁器の受容と、「写し」製造について考察する。過墻龍文青花は製造後比較的早期に輸入され、間をおかず肥前で模倣品が製造された。手本は景徳鎮窯系の青花であり、福建・広東窯系の製品は模倣されることはなかった。
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