大阪歴史博物館研究紀要
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最新号
選択された号の論文の9件中1~9を表示しています
  • 北上 真生
    2026 年24 巻 p. 0001-0026
    発行日: 2026年
    公開日: 2026/06/20
    研究報告書・技術報告書 フリー
     株式会社大阪の駿河屋は、天保八年(一八三七)に総本家駿河屋(伏見・京町)の十二代店主・岡本善右衛門の三男である岡本善三郎が分家し、大阪の淡路町に店を構えた老舗菓子商である。令和五年(二〇二三)から令和七年(二〇二五)にかけて悉皆調査を行った際に、「菓子絵手本」とともに三つ葉葵紋入りの漆塗り箱に収められた「御本丸御用御菓子納帳」と題された文書を発見した。同帳には、十四代将軍の徳川家茂が大坂城に入城した文久三年(一八六三)より十五代将軍の徳川慶喜が在城した慶応三年(一八六七)に至る四年にわたって駿河屋が大坂城本丸(御台所・御膳所)より受注した菓子の詳細や受注価格・納品方法などが克明に記されている。さらに、台所役人と駿河屋との菓子調製にかかる折衝の過程も詳細に綴られている。なお、一次資料において、大坂城の御用菓子司を務めた菓子商として確認できるのは同店のみである。そこで、本稿においては、株式会社大阪の駿河屋所蔵資料から大阪城本丸御用菓子司の実態を詳らかにした。
  • ―平城宮・恭仁宮・紫香楽宮との比較と、新たな歴史像への試み―
    佐藤 隆
    2026 年24 巻 p. 1-20
    発行日: 2026年
    公開日: 2026/06/20
    研究報告書・技術報告書 フリー
     後期難波宮の造営過程に関しては、筆者は2010年に論文を発表し、西方官衙での造替えや所用瓦の年代観から神亀3年(726)から始まった造営と、それが一段落した後、天平4年(732)から10年(738)頃までに行なわれた2段階の造営を考えた。あわせて平城宮東区上層の大極殿院・朝堂院の造営年代を天平17年(745)の還都後からという説を否定して、恭仁宮造営と概ね並行したものと結論づけている。本論ではその論文を継承するかたちで、批判に応えて自説を補強するとともに、恭仁宮・紫香楽宮といった他の聖武朝の宮殿遺跡と比較して、平城宮東区上層の大極殿院・朝堂院の造営年代をあらためて平城京還都前に位置づけた。また、難波宮がこうした都城となぜ並行して造営しえたのかについて、この宮殿を首都にしようとする摂河泉を中心とした在地勢力の存在を考古資料や史料から検討した。加えて、後期難波宮が長岡京遷都よりも前の奈良時代後半の時点で、すでに機能を終えていた可能性について新たな歴史像を示した。
  • 杉本 厚典
    2026 年24 巻 p. 21-38
    発行日: 2026年
    公開日: 2026/06/20
    研究報告書・技術報告書 フリー
     本稿は19世紀の大坂中之島・堂島蔵屋敷跡から出土した陶磁器や特産品の容器の事例を紹介し、当時の献上・贈答文化の実態について検討した。佐賀藩の梅干し(梅干壺・蓋)は大坂城代に献上していた可能性があり、蔵屋敷や武家地での出土例が多い泡盛(泡盛容器)や宇治茶(腰白茶壺)は贈答品であると同時に格式の高い品として大坂市中に流通していたと想定した。吉向焼碗、南紀男山焼染付皿、尾戸焼土師質土器皿、新宮焼桃形鉢は藩窯で製作され、蔵屋敷に限って出土していることから贈答品として用いられていたとみられる。三官飴、保命酒も武家地での出土が多いが、大坂市中に広がっていることから、一般にも流通しており、三官飴・保命酒は多くの階層に受容されていたと推測した。  また、佐賀藩や福岡藩・久留米藩に関連する史料から、大坂城代、奉行、銀主らに対して贈答を行う事例が認められ、これらの献上品・贈答品には明確なランクが存在し、相手や状況に応じて使い分けられていた。献上・贈答とは単なる物品のやり取りにとどまらず、政治的・社会的関係を明確にするための重要な手段であったことがうかがえる。
  • 中野 朋子
    2026 年24 巻 p. 0027-0040
    発行日: 2026年
    公開日: 2026/06/20
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  • ―流行神研究を参考に―
    俵 和馬
    2026 年24 巻 p. 39-54
    発行日: 2026年
    公開日: 2026/06/20
    研究報告書・技術報告書 フリー
     本稿は、大阪市内で発生した「初姫大明神」への願掛け習俗について、流行神研究を援用し考察するものである。多くの場合、流行神などの現世利益信仰には、その霊験譚を伝えるメディアが伴うが、初姫大明神にはその痕跡がみえない。したがって、信仰の様子がわかるテキストを参照し、顕現の時期や祭神の性格、祈願方法・祈願内容の変遷などを通時的に示した。  さらに、得られた情報をもとにフィールドワークを行い、現在はその信仰が忘れ去られ、稲荷社として地域で受容されていることも判明した。この状況を踏まえ、近世大坂で出版された『神仏霊験記図会』にみえる神仏の現況調査結果と比較した。以上のことから、知られぬ神であった初姫大明神への願掛け習俗の変遷について照射するのみならず、従来は「すたり」「祀り棄て」というタームで一括りにされ見過ごされてきた、信仰の衰退や変化の経経緯についての研究の必要性を提示した。
  • 岩佐 伸一
    2026 年24 巻 p. 0041-0050
    発行日: 2026年
    公開日: 2026/06/20
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  • 豆谷 浩之
    2026 年24 巻 p. 55-64
    発行日: 2026年
    公開日: 2026/06/20
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     本稿では、大阪歴史博物館が所蔵する江戸時代の大坂図を主たる資料として、大坂蔵屋敷に設けられた船入について、以下のような新たな知見を提示した。 ①元禄3~6年頃の絵図には、これまで知られていなかった中津藩・小笠原家の蔵屋敷にあった船入が描かれている。この船入は、小笠原家の減封等に伴い、18世紀後半までに廃絶した。これに関連すると思われる遺構が、遺跡の発掘調査で確認されている。 ②貞享元年頃の絵図には、新たに開削されたばかりの佐賀藩蔵屋敷の船入が描かれており、同年に着手された堂島川改修に伴う拡張工事途上の状態と推定される。また、改修以前の佐賀藩蔵屋敷には、のちの船入に相当する施設がすでにあった可能性がある。 ③堂島川改修以前の熊本藩蔵屋敷に船入があった。船入建設の目的の一つには、土地造成用の土の確保があったと考えられる。広島藩蔵屋敷跡の発掘調査でも同様の所見が得られている。
  • ―当館所蔵の鋳銭関連遺物の紹介と銭司遺跡出土資料との比較を中心に―
    田中 裕子, 岡本 健, 杉本 厚典
    2026 年24 巻 p. 65-74
    発行日: 2026年
    公開日: 2026/06/20
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  • ―タイム・カプセルEXPO’70収納品2点について―
    奥本 未世
    2026 年24 巻 p. 75-88
    発行日: 2026年
    公開日: 2026/06/20
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