哲学
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1974 巻, 24 号
選択された号の論文の17件中1~17を表示しています
  • 藤澤 令夫
    1974 年 1974 巻 24 号 p. 1-23
    発行日: 1974/05/01
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
    形而上学がどのような存在理由をもつか、あるいはもたないかという問へのわれわれの答は、「形而上学」という言葉の中身のとらえ方いかんに、ほとんどそのすべてがかかっているといってよい。漠然と一口に「形而上学」といっても、その実際のありようはさまざまであり、存在理由の有無を有効に語るためには、どのような形而上学についてそういえるのかという、当の「形而上学」の内実を明確に規定しなければならない。
    ただし、この「形而上学」 (Metaphysics, Metaphysik, etc.) という言葉は、はっきりとした歴史的な由来をもった言葉である。つまり哲学の歴史のあるときから、ある学問の内容と課題を示すために新しく用いられるようになった名称である。とすれば、われわれ自身が形而上学の内実をどのようにとらえようとするにしても、まずこの歴史における大本のあり方を押えて、われわれ自身の理解しようとする内容がその物差しに照らしてどのような意味をもつかを、できるだけ確定的に提示することが望ましいであろう。この手続きによってわれわれの理解が公共性を獲得し、恣意的であることを免れるというだけでなく、人間が世界を知ろうと努め始めて以来今日に至るまでの、「形而上学」をめぐる哲学的営為の長い行程のあり方を全体的に術瞰して、照明を当てるための視座を得ることができると期待されるからである。そしてまさにそのことによって、形而上学的思惟が本来もつべきあり方を規定しようとするわれわれの努力そのものが、そのまま同時に、現代の状況に対するできるだけ有効な哲学的対処としての意味をもつことが目指されなければならない。「存在理由」は、そのことのうちにおのずから示されるであろう。
    そのような課題を望見しつつ、しかし以下において試みられるのは、そのためのささやかな一基礎作業である。
  • 大森 荘蔵, 寺沢 恒信
    1974 年 1974 巻 24 号 p. 24-25,44
    発行日: 1974/05/01
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 永井 博
    1974 年 1974 巻 24 号 p. 26-43
    発行日: 1974/05/01
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 松本 正夫
    1974 年 1974 巻 24 号 p. 48-63
    発行日: 1974/05/01
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
    インマヌヱル・カント生誕二百五十年、没後百七十年の年に当り、日本哲学会ではカント哲学に関するシムポジウムが行なわれるが、提題者の一人として私は日頃の不勉強を恥じながらも、カントの時代が前提していた、従ってカント自身が必ずしも意識していなかったとみられるカント哲学の理論的前提について考えてみたいと思う。
    カントの哲学がいまなお私達の哲学的生活を支配するほどに革命的でありえたのは、カント以前の哲学が存在の周囲を意識が回転する存在中心の存在論哲学であったのに対し、こんどは意識の周囲を存在が回転する、いわゆるコペルニクス的転回を彼自身がなしとげたと考えられた限りにおいてである。もちろんこのような変革を彼がなしとげるまでに大陸合理主義のデカルト哲学、英国経験論のロック、ヒュームの哲学を経過しなければならなかったであろうが、私はむしろカントが尊敬しながらも敵対したクリスティアン・ウオルフに到るスコラ学的伝統のうちに批判哲学の対面教師になりえたであろう、いくつかの偏向が既にあったことを指摘したい。さきにカントの無意識的な理論的前提といったのはこのことである。
  • 門脇 卓爾
    1974 年 1974 巻 24 号 p. 64-77
    発行日: 1974/05/01
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 山本 信
    1974 年 1974 巻 24 号 p. 78-84
    発行日: 1974/05/01
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
    カント哲学に関してしばしば二元論が語られる。それは物自体と現象、感性と悟性、必然と自由など、さまざまの対概念で表現されるが、多くの場合、どちらかといえば否定的に評価されがちである。人は術語化された物自体という概念の矛盾や不整合をとがめ、感性と悟性を切り離すことの抽象性とその破綻を指摘し、自然の必然と人間の自由とが別々の世界に配当されるのは問題の回避ではないかとあやぶむ。ところがカント自身は、これらの対概念であらわされる両項を原理的に区別したことこそ、自説の特長をなすものとして誇っているのである。彼の哲学が歴史的にいかに重要な意義をもつにせよ、また、今でも彼の議論から直接に多くの問題と示唆が汲みだされうるにせよ、その二元論は,したがってまたそれを基調とする学説は、現代ではすでに乗り超えられるべきものなのであろうか。
    しかし二元論ということが、カントにおいてさほど完結した体系性を意味しなければならなかったのだろうか。彼の場合にかぎらず、いわゆる二元論とは、何か根元となるものを二つ設定し、そこからあれこれの事柄を説明してみせることに尽きるのだろうか。そもそも彼をして二元論的な思考をとらしめた所以のものは何であったのか。
  • 岩野 秀明, 小川 侃, 笹田 利光, 三浦 秀春, 若松 謙
    1974 年 1974 巻 24 号 p. 85-94
    発行日: 1974/05/01
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 佐竹 昭臣
    1974 年 1974 巻 24 号 p. 95-105
    発行日: 1974/05/01
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
    ここで取りあげようとする問題はカントの歴史観の問題ではない。カント哲学において人間の歴史が問題となって来らざるをえなかったその根源を明らかにしようとするのがこの小論の目的である。
    カントの歴史観は合目的的な歴史観であった。この点から見るとカントも同時代の啓蒙家の一人であったことは間違いない。が、カントはそれら啓蒙家達の楽観論に簡単には同ずることができなかった。それは、それら啓蒙家達の「楽観論が人間の本性のもつ分裂を見過している」のに対し、カント哲学はまさにこの人間の本性の根底に存する根源的な分裂の中に己れの問題を読み取ろうとしていたからである。このことはカントの歴史の問題の中に特に顕著に現われている。しかもこのカントの歴史の問題は我々の現代にとっても決して無縁ではないはずである。したがって私はカントの歴史の問題を人間本性の分裂という人間本性の根源的な事態から究明しようと思う。そうすることによって同時に、カントの歴史観のカント的な意義も明らかになるはずである。
  • 渋谷 久
    1974 年 1974 巻 24 号 p. 106-116
    発行日: 1974/05/01
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • カントの空間論の一章
    水野 明
    1974 年 1974 巻 24 号 p. 117-125
    発行日: 1974/05/01
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 「隣人愛」の考察をめぐって
    辻 厚治
    1974 年 1974 巻 24 号 p. 126-136
    発行日: 1974/05/01
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 『人倫の体系』試論
    大平 伍郎
    1974 年 1974 巻 24 号 p. 137-148
    発行日: 1974/05/01
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
    『人倫の体系』と呼ばれるヘーゲルのノートは独特の方法概念の使用によって極めて特徴的である。それは同時に難解さをももたらしていると思われる。直観と概念との包摂関係、勢位 (Potenz) といった用語が全面的に使われているのはこの『体系』のみである。一先ずはルカッチの言う様に、シェリングの用語を実験的に使用したのだと見るのが妥当であろう。しかしすでに「分析的とも総合的とも名付けられない方法」である所謂弁証法がここに見られるとすれば、つまり、ヘーゲルが独自の方法的自覚に達していたとすれば、ある方法概念の借用については、単に他からの影響といった消極的な理由だけでなく、もっと積極的な理由がなければならないであろう。
    我々はこの方法概念の問題を先ず扱い、次にそこから『人倫の体系』 (以下『体系』と略す) 全体の体系構成について論及し、最後に、体系構成の要をなすと思われる第一章の相互承認としての知性の概念について論じたい。この小論の意図はイエナ・ヘーゲルの思想的な自立の「実践哲学」的な内容を確定することにある。それは同時に、カント『人倫の形而上学』との全面的対決の書として『人倫の体系』を読むことでもある。この『体系』が最晩年の完成された体系たる『法の哲学』に対して独自な意義と価値とをもつことが明らかになれば幸いである。
  • 田村 一郎
    1974 年 1974 巻 24 号 p. 149-159
    発行日: 1974/05/01
    公開日: 2010/01/20
    ジャーナル フリー
  • 細川 亮一
    1974 年 1974 巻 24 号 p. 160-172
    発行日: 1974/05/01
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 科学技術論を中心に
    知念 英行
    1974 年 1974 巻 24 号 p. 173-182
    発行日: 1974/05/01
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 平下 欣一
    1974 年 1974 巻 24 号 p. 183-188
    発行日: 1974/05/01
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • アンセルモ マタイス
    1974 年 1974 巻 24 号 p. 189-200
    発行日: 1974/05/01
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
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