日本古生物学會報告・紀事
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1940 巻 , 18 号
選択された号の論文の5件中1~5を表示しています
  • 長尾 巧
    1940 年 1940 巻 18 号 p. 33-36
    発行日: 1940年
    公開日: 2011/03/18
    ジャーナル フリー
    本邦ジュラ紀層にはaptychusは極めて少く只Cornaptychus nagatoensis NAGAO (長門ライアス層産) が知られてゐるに過ぎない。今囘東北帝大矢部教授の御好意により北上南部上部ジュラ小積層産出のaptychusを検し得た。これを産した地ではPerisphinctes (Aulacosphinctss?) sp.が採集されたのみで, 從てこのaptychusもこの類のアンモナイトのものと考へる。本標本を検するとTRAUTHのStriaptychus (s.l.) であつて, 不完全である爲夫れ以上のことは不明であるが, Granulaptychusといふよりも寧ろPraestriaptychusでないかと思ふ。
    Praestriaptychusは中部ジュラより上部白堊紀に至る長期間からは從來確に知れてゐなかつた。しかし最近TRAUTHは上部ジェラより産出する數例を報じ, 特にWüttenburg上部ジュラ層よりはPerisphinctesの殻中に入つてゐる例をあげてゐる。これはPraestriaptychus fraasi TRAUTHと命名されたが, 本邦産のものは之れに類似してゐる。
  • 中村 萬次郎
    1940 年 1940 巻 18 号 p. 37-38
    発行日: 1940年
    公開日: 2011/03/18
    ジャーナル フリー
    筆者は曩に宮城縣富谷地塊より産する帆立貝化石に就いて報告したが, 更に同地塊七北田層より新種と思はるゝものを發見したので, 是を報告する。本種に類似せるものとしては, Pecten crassirenius, P. hastatus strategus, P. cosibensis, P. heteroglyptus及びP. otutumiensisがある。筆者は本丈中に記載せる如く該種に對してPecten nanakitaensisと命名した。
  • 畑井 小虎, 中村 萬次郎
    1940 年 1940 巻 18 号 p. 39-42
    発行日: 1940年
    公開日: 2011/03/18
    ジャーナル フリー
    筆者等は青森縣西津輕郡深浦町近傍に發達する所謂深浦層の石灰質砂岩及粗粒砂岩中より化石を採集したので, 今囘其等化石を報告し, 且つ該地層の時代について論ずるものである。
    本文中に記載したる化石から観て, 深浦層は鮮新統より若くはないであらう。然し下部鮮新統か或は中新統のいつれに屬ずるかは今後の精査によつて明らかにしたい。ただPecten ingeniosaを含有する點から見て下部鮮新統に近いものゝ如く思はれる。
  • 大炊御門 經輝
    1940 年 1940 巻 18 号 p. 43-50
    発行日: 1940年
    公開日: 2011/03/18
    ジャーナル フリー
    尼瀬油田は新潟縣三島郡出雲崎町に在り, 出油區域には寺泊層が露出してゐる。尼瀬油田の附近には比較的狭い區域に越後の油田を構成する第三系の大部分が獲達し, 特に中越統上部の灰爪層には貝殼の破片を多量に混ぜた砂層, 所謂夏川層がよく發達し, 廣く追跡される。
    灰爪層の有孔蟲化石に關しては嘗て矢部長克教授及び半澤正四郎博士の研究があり, 出雲崎町の北東約3kmの久田から多數の有孔蟲化石が報告されてゐる。然し其の後此の地方の有孔蟲化石は久しく省みられす, 有孔蟲化石群を取扱つた報告は矢部・半澤兩博士の研究以來絶へてゐた。筆者は尼瀬油由・西山油田附近に露出する第三紀層, 主として灰爪層から多數の有孔蟲化石を採集したが, 今囘は尼瀬油田附近のものを簡單に報告する次第である。
  • 高井 冬二
    1940 年 1940 巻 18 号 p. 51-54
    発行日: 1940年
    公開日: 2011/03/18
    ジャーナル フリー
    新潟縣は象齒化石の産出に乏しく, 僅に松本彦七郎博士が嘗て柏崎産としてStegodon orientalis shodoensisの産出を報告したのみである。然るに縣立柏崎中學校の松浦謙三學士の好意に依り該標本を再調査した處, 之は明治39年4月13日刈羽郡高柳村に於て發掘されたもので, それを柏崎町の關甲子次郎氏が同校へ寄贈したといふ事實が判明した。
    今囘此處にその産出を報告する所の2標本は何れも近年の發掘に依るものではないが, 資料としては未發表のものであり, 且又越後含油地域の層序にも多少の關係を持つ故, それ等の記載と共にそれ等の産出層準に就ても記述をして置く。
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