日本古生物学會報告・紀事
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1941 巻, 20 号
選択された号の論文の7件中1~7を表示しています
  • 矢部 長克, 杉山 敏郎
    1941 年 1941 巻 20 号 p. 1-5
    発行日: 1941年
    公開日: 2011/03/18
    ジャーナル フリー
    昨秋10月筆者等は北海道札幌にて開催の貝本古生物學會に出席を兼ねて北海道膽振國右左府・日高國岩知志を中心として略ぼ南北に焚達する所謂緑色片歌岩類の調査を試みた。此緑色片状岩類は嘗ては神居古潭系に屬するものではなからうかと見做されたことあり, 主として片状の輝緑凝灰岩・粘板岩及び硬砂岩よりなるが, この外に數枚の角岩 (chert) 並に荻色乃至暗灰色石灰岩を伴ふ。ペペシュル川 (鵡川上流パンケシュル川の1支流) に露出するものには藍閃石 (glaucophane) を含む緑色片岩 (吉井正敏理學士の鑑定による) を挾在してゐる。筆者等は既に (1) 膽振國勇拂郡占冠中央ペペシュル川下流 (入口より) 25km, (2) 日高國沙流郡幌去村岩知志ニセウ川入口, (3) ニセウ川入口東方約6kmの3地點から夫々採集せられた石次岩中の化石を研究し, 下の如き種屬を識別した。
  • 畑井 小虎, 小村 達夫
    1941 年 1941 巻 20 号 p. 6-9_1
    発行日: 1941年
    公開日: 2011/03/18
    ジャーナル フリー
    満洲國高等師範學校江口元起教授は本溪湖産の興味ある腕足類の1種を著者等の1人畑井に送附されたが, 同種は明らかにIsogramma屬に入るべきものである。此屬名は1870年MEEK・WORTIIEH兩氏に依り提唱され, 從來DITTMAR氏のAulacorhynchusのsynonymと考へられて居たが, Aulacorhynchusなる屬名は既に1834年に於てGOULD氏に依り烏類の1屬に與へられて居た爲, SCHUCHERT・LE VENE兩氏に依りIsogrammaなる屬名が復活した。然して今日迄に報告せられた種類數は極めて少く, 其等と比較すれば本種は小形なる事其他の相違に依り一見他と區別せらるゝ故, 愛にIsogramma manchoukuoensisと新たに命名した。
    本屬は從來石炭系及二疊系より報告せられ, 北支那に於て恐らく上部石炭系のものと考へられて居る。本標品は其産出状態より推察して, 野田光雄學士の所謂Penhsi seriesに屬するものと考へられる。
  • 大塚 彌之助
    1941 年 1941 巻 20 号 p. 10-13
    発行日: 1941年
    公開日: 2011/03/18
    ジャーナル フリー
    北支山西省の首都太原は扮河の上流に位し, 太原盆地の中央に位してゐる。太原盆地の西側及び東側は中性の山地で境されてゐる。こゝに述べる東山地域は太原府の東々北10km附近の山地の総稱であるが, この地域からは石炭・鐵鑛床等を産し, 太原府を中心とした1つの重要な鑛産資源の分布匠域に當つてゐる。
  • 大炊御門 經輝
    1941 年 1941 巻 20 号 p. 14-16
    発行日: 1941年
    公開日: 2011/03/18
    ジャーナル フリー
    此處に報告した有孔蟲化石の産地は新潟縣中蒲原郡金津村金津と同縣同郡大蒲原村大澤の2ヶ所で, 前者は大村一藏學士の小口層に屬し, 後者は遠藤六郎學士の第三系中部銃皆川屬で共の位置は同氏の調査に依る大日本帝國油田第37區新潟縣新津油田南部地形及地質圖 (昭和14年) に示されてゐる。金津から32種, 大澤から34種を鑑別した。其の中Loxostomaの1新種が含まれてゐる。兩産地の有孔蟲群は互によく類似し, 特に優勢種が共通であるので此の兩産地は略同一層準にあるものと思はれる。
  • 藤本 治義
    1941 年 1941 巻 20 号 p. 17-26_1
    発行日: 1941年
    公開日: 2011/03/18
    ジャーナル フリー
  • Franz SPILLMANN
    1941 年 1941 巻 20 号 p. 27-32
    発行日: 1941年
    公開日: 2011/03/18
    ジャーナル フリー
    本化石はエクアドル國太平洋岸サンタ・エレナ半島, ラ・リベルタ戸附近の崖に露出するデルタ堆積中の化石帯に發見さる。本化石帯の時代はPleistoceneに屬し, 筆者はβ化石帯と呼ぶ。化石帯の厚さ約50cm, アスファルトの存在により化石は茶褐色を帯ぶ。随伴せる動物群は主として草原性にしてNeohippus・Protauckenia・Smilodon。Protolycaloper・Palaeospeothus-Palaeoodocoileus・Megatherium・Mylodon・數種の小型齧齒類・其他鰐・龜・多數の昆蟲・現棲種の鳥類・蛇・蛙等發見さる。
    。化石は大臼齒を完全に有する左側下顎骨1個及び3個の分離せる下顎臼齒にしてCaviidae科の亜科・Hydrochoerinaeに屬す。
    著者は本化石によりProhydrochoerus sirasakaeなる新屬新種を創れり。現生Hydmhoerus屬は水中及び濕地に棲息し, 短頭, 短躯, 四肢短し。齒隙は下顎に於て齒列より短し。Protohydrochoerus屬は草原性にして, 頭骨及び四肢長く, 齒隙は齒列より長し。Hydrochoerus及びProtohydrochoerusに於てはlamellaeに狹き連絡あるもProhydrochoerusは純然たるelasmodontなり。齒隙及び齒の構造より見てProhydrochoerusHydrochoerus及びProtohydrochoerusの中間型なるべし。
    本稿をエクアドル・エスメラルダス州に於て調査に從事中不幸にも犠牲となりし故白坂虎吉技師の靈に捧ぐ。
  • 遠藤 誠道
    1941 年 1941 巻 20 号 p. 33-34
    発行日: 1941年
    公開日: 2011/03/18
    ジャーナル フリー
    此絶滅屬Macclintockiaの分類上の位置は未だ確定して居ない。Oswald HEERは「グリーンランド」の「アタニケルドルク」産標品にDaPhnogeneと命名しCinnamomumに似て居るのでLauraceae (楠科) と考へた。SAPORTA及びMARIONはCocculusに似てゐるからとて之をMenispermaceaeと見た。又Macclintockia trinervisに對してOswald HEERは最初Proteaceaeと見, 次にMenispermaceaeと考へSAPORTA及びMARIONに賛成し, 最後にUrtieaceaeを選んだ。SEWARDは初めMacclintockiaがDioscoreaceae又はLiliaceaeと見て居たが, 最近ではBoehmeriaに似て居るからとて是をUrticaceaeと考へて居る。併しMacclintockia lyalliiに對してはSEWARD及びCONWAYはMelalemca cunningiana(Malayan species)に近似であるとの理由で, Myrtaceaeに屬するものと考へて居られる。最近著者は日本産 (神戸附近のもの) のMacclintockialyalliiの保存良好な標本について反射顯微鏡により詳細に槻察せる結果, その細脈が日本産ヒルムシロPotamogeton franchetii A. Potamogeton franchetii A. BENN et BAAG. に似て居るし, 葉形も大體類似して居るから少くともMacclintockiaの或種にはPotamogetonaceaeに屬するものが含まれて居る可能に性があることを確認するに到つた。東亜産のMacclintockiaで東北帝國大學理學部地質學占生物學教室所藏のものには別記の如き種がある(英文参照)。
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