平和研究
Online ISSN : 2436-1054
63 巻
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巻頭言
依頼論文
  • 樋口 敏広
    2025 年63 巻 p. 1-21
    発行日: 2025/04/30
    公開日: 2025/04/26
    ジャーナル フリー

    アメリカにおける平和史研究は、両大戦間期にアメリカ政治思想史家マール・カーティによって先導され、第二次世界大戦後の学際的な平和研究の登場によって本格的に始まった。1964年に設立された「歴史学における平和研究会議」(CPRH)は、核軍備競争や公民権運動といった社会情勢を背景に発展し、平和史研究をより包括的なものとした。

    1970年代後半には、ベトナム戦争終結や米ソ間の緊張緩和などの影響を受け、平和史研究は転換期を迎えた。ジェンダー研究の発展とともに女性研究者の多くが平和史分野から離れていった一方で、軍事史・外交史との接近や国際的な広がりの模索といった新たな展開も見られた。

    現在、アメリカの平和史研究は、学際性と専門性、西洋と非西洋、研究と運動という3つの岐路に立たされている。初期の平和史研究は学際的な平和研究を歴史学に導入することを目的としていたが、他の歴史学分野との協働が進むにつれて社会科学系分野から遠ざかっている。また、研究対象はアメリカ史が中心であり、国際的な広がりは限定的である。さらに、平和運動などの社会運動との関わり方も変化しており、従来の平和史の枠組に囚われないH-PADが運動面で主流となる中、平和史研究の今後のあり方が問われている。

  • 藤原 辰史
    2025 年63 巻 p. 23-49
    発行日: 2025/04/30
    公開日: 2025/04/26
    ジャーナル フリー

    本論文は、イスラエルがパレスチナの地に「建国」をして以降の食権力の発動について論じる。食権力とは、食を通じて人間および自然を管理する諸力のことである。イスラエルは、パレスチナの人びとから武力を用いて土地と水を奪い、経済封鎖をして飢餓を蔓延させ、耕作可能地を緩衝地帯にしてパレスチナ人をよせつけないようにしたうえで、そこに農薬を散布し、風にのせて、パレスチナで育てられている野菜を汚染した。さらに、イスラエルが、パレスチナの農民たちにイスラエルの輸出産業のための作物を作らせ、種子やビニールハウスなどをパレスチナの農民に買わせるという経済構造を用いるという権力構造についても触れる。世界最先端ともいわれるイスラエルの農業の影の部分を明らかにし、その植民地的統治の実態に迫りたい。

  • 佐伯 奈津子
    2025 年63 巻 p. 51-80
    発行日: 2025/04/30
    公開日: 2025/04/26
    ジャーナル フリー

    本論文は、アジア太平洋戦争後もインドネシアに残留し、インドネシア独立戦争に参加した元日本軍将兵(残留日本人)、なかでもその生涯を通じてアチェを離れなかった白川正雄を中心に、アチェと日本の関係史を再構築することを目的としたものである。

    旅順で生まれた白川は、上海の東亜同文書院に入学、学徒出陣して特攻隊員となり、シンガポールで特務機関・茨木機関員となった。日本の降伏後、単身でアチェに入り、イスラームに入信、アチェ人女性と結婚するが、インドネシア独立戦争期については断片的にしかわかっていない。インドネシア国軍を除隊した白川は、診療所・薬店のほか鶏などの養殖、野菜の栽培と販売、運送業、コーヒー店や理髪店の経営など、さまざまな事業を展開した。白川はまた、アチェに進出する日本企業の現地顧問として、アチェと日本のあいだの理解と信頼の醸成に尽力した。

    白川は大東亜戦争の大義を信じ、その人生は大東亜共栄圏の実現という初志を貫くものだった。しかし、日本軍政開始直後にアチェで起きた抗日反乱に際して焼失したとされるモスクの再建にも尽力した姿から、白川が実は大東亜戦争に複雑な思いを抱いていたことも推測できる。旅順で生まれ育ち、アチェで生涯を終えた白川にとって、日本は実体をともなう祖国ではなかった。白川は、理想の祖国としての大東亜共栄圏をアチェで実現しようとしたのかもしれない。

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