洛北史学
Online ISSN : 2436-519X
Print ISSN : 1345-5281
1 巻
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特集「東寺百合文書と東寺」
  • 水本 邦彦
    1999 年 1 巻 p. 3
    発行日: 1999/06/30
    公開日: 2023/03/23
    ジャーナル フリー
  • 上島 享
    1999 年 1 巻 p. 4-46
    発行日: 1999/06/30
    公開日: 2023/03/23
    ジャーナル フリー
    事相・教相を両親とする空海教学が、日本的な環境のなかで、いかに歴史的に変遷してきたかを考察することが、本稿の目的である。空海が深く関わった東寺・金剛峯寺では、空海教学を体現する寺院として修学システムが整備されていくが、九世紀後半より建立された真言系の定額寺・御願寺では、顕教の影響を強く受け、学解重視の傾向が強い。しかし、一〇世紀後半の国家・社会の変化を背景に、真言系の定額寺・御願寺は、事相法流の拠点寺院となり、修法を重視することで発展する一方、東寺・金剛峯寺は衰退し、教相活動は停滞する。院政期には、顕教・密教の広範な交流のもと、仏教界全体が発展するが、真言宗の中心的な位置にあった仁和寺では、教相復興の気運が起こる。しかし、事相活動を重視する仁和寺は教相研究の拠点寺院にはなり得ず、教相活動は金剛峯寺で展開し、鎌倉後期に、金剛峯寺は教相研究の拠点寺院としての性格を明確にする。金剛峯寺での教学・法会のあり方が、東寺に移植され、東寺の教学復興も図られる。 平安後期以降、真言教相研究が復興・進展し、鎌倉後期には、真言教学は新たな段階を迎える。そのさい、教学研究方法として採用されたのが、談義・論義に基づく顕教的な修学システムであった点は重要である。学侶が顕教的な方法で研鑽を積むことで、彼ら共通の宗教的基盤が形成され、それが寺院構造に与えた影響も大きく、鎌倉後期以降、金剛峯寺・東寺は、南都権門寺院と類似の構造を持つようになる。 顕教も密教の影響を受けるとともに、密教も顕教の影響を受け、両者はその独自性を保持しつつも、均質なあり方を示すことになる。これが、日本における真言密教の変遷であり、顕密仏教の展開であったと考える。
  • 櫛木 謙周
    1999 年 1 巻 p. 47-67
    発行日: 1999/06/30
    公開日: 2023/03/23
    ジャーナル フリー
    「七条令解」「七条一坊家地手継券文」について、一〇世紀までの段階と一二世紀初頭との間には、様式上の大きな差異とともに、価格の上でも大きなギャップがあることがわかる。宅地売券が増える一一世紀末以降の個別事例や統計的数値を検討すれば、「七条一坊家地手継券文」の値が孤立した例でないことが知られる。また田畠価格との格差に注目すれば、一〇世紀までの段階と一一世紀末以降とでは、やはり格段の差があることがわかる。なお、一〇世紀までの平安京、長岡京・平城京段階については史料が少なく一般化に問題を残すが、田畠等との価格格差に関しては大きな差がみられなかった。 このように一一世紀をはさんで、平安京宅地価格が高騰する原因を考える上で、受領層の宅地売買が目につくようになることが注目される。すなわち、一般に考えられている左京への人口集中、商工業の発展などの要因のほか、受領層の富がそれら京の発展と連動して、宅地そのものが経済的な意味での価値を有する方向に大きな役割を果たしたのではないかと推測した。
  • 菱田 哲郎
    1999 年 1 巻 p. 68-76
    発行日: 1999/06/30
    公開日: 2023/03/23
    ジャーナル フリー
    東寺の創建時の瓦は、再利用瓦、平安宮と共通する瓦、東寺専用の瓦の三種に分けられる。東寺専用の瓦は、弘仁一四(八二三)年の空海の東寺入寺以降に用いられたと考えられ、その瓦のもとになったと考えられる大伴銘軒瓦は、珍皇寺、大鳳寺、広隆寺など、平安京近傍の古代寺院で出土する。『東寺文書』の「灌頂院御影仏供料菓子等調進廻文」の記載や広隆寺の記録から、これらの寺院は東寺と密接な関係にあったことがわかる。このような関係は、東寺創建にあたって、平安京近郡の有力者が造営に関与したことを反映していると考え、空海の入寺を境に官による造営からの転換があったことを示していると推測した。
論説
  • 河村 貞枝
    1999 年 1 巻 p. 77-92
    発行日: 1999/06/30
    公開日: 2023/03/23
    ジャーナル フリー
    ヴィクトリア時代中葉から、第一次対戦前夜にかけてのイギリス・フェミニズム運動の展開は、主としてミドルクラスにその社会的基盤をもつものであったことは周知のことである。他方、近年の諸研究では、労働者階級女性が当該時代の女性運動のいくつかの領域において積極的かつ率先的な役割を演じてきたことも明らかにされてきた。本稿の目的は、イギリス・フェミニズムの本流ともいうべき人参政権運動における労働者階級女性の役割、その活動の中でアニー・ケニーという一女工が果たした役割を詳細に検討することによって、婦人参政権運動における総同社階級女性の演じた役割の強調への反論という結論に至った。
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