本稿は、宗教が家族の変容に対してどのような意味づけを行うかを特に女性の性役割に焦点をあて考察することを目的としている。ここでは新宗教の一つであるPL教団をとりあげ、その「夫婦」を重視する教えに着目し、その背景にある問題と教団の意図を考える。教団の男女観はその夫婦観が反映されたものであり、女性の性役割のなかでは妻役割を非常に重視している。夫婦という構造のなかで「妻」はどめような意味をもつのであろうか。戦後、社会状況また女性の意識や生活形態は著しく変化した。高度経済成長期以降、子供に対する関心の高まりから教団では女性に「母」としての役割を強調していくが、この妻と母という役割にはどのような関係性があるのだろうか。そして、この妻・母役割の構造は教団の世界観にどのように位置づけられるのかを考察したい。
近代日本の法華・日蓮系の仏教運動を担うた「日蓮主義者」の一人、顕本法華宗(日蓮宗の一宗派)の本多日生(1867-1931)の研究はきわめて少こない。本多日生は、第二次世界大戦前の日本社会において、国柱会の田中智学(1861-1939)と並んで活発な「日蓮主義運動」を展開し、知識人や軍人・政治家・教育者・資本家を中心とする社会層に広範な影響力を誇った。本論考は、この日生の運動を事例として、近代日本の宗教運動の社会学的分析を行なう。とくに日生の運動において重要な位置を占めていた1910〜1920年代の社会教化活動に焦点を当て、その活動の意味を当時の歴史的・社会的文脈に即して検討することで、日生の「日蓮主義運動」の運動論的特質の一端を析出したい。また日生の「日蓮主義」は、社会思想としての性格をもっており、社会に対する宗教の応答(あるいは宗教の社会性)の検討が、本論考のもう一つのテーマである。
1970年11月13日、ソウルにある零細裁縫工場の労働者であった全泰壹は、勤労基準法の遵守を叫ぶ示威の最中、抗議のための焼身自殺を遂げた。体制をはじめとする他者たちに向けて演じられた彼の死は、60年代以降の飛躍的な経済成長め裏側で生存権を剥奪された民衆が、初めて歴史の主体として登場した事件と評される。伝統的な儒教の孝倫理に背く自殺という手段が敢行されたにもかかわらず、むしろ「冤魂」をめぐる両義性のゆえに、彼は韓国の民衆運動において尊崇されるべき殉教者のモデル、すなわち「烈士」に祀られた。本稿はその神話化過程を分析する試みであり、趙英来著『全泰壹評伝』(1983年)を資料とする。著者の析出した全泰壹闘争の在り方からは自己スティグマ化による価値逆転の過程が見出され、また生と死に関する記述から「民族民主主義」のための供犠としての意味づけが示唆された。ゆえに、それは80年代へ通ずる殉教者神話となりえたのだろう。
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