宗教と社会
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23 巻
選択された号の論文の57件中1~50を表示しています
論文
  • 岡本 圭史
    2017 年 23 巻 p. 1-14
    発行日: 2017/06/03
    公開日: 2019/05/31
    ジャーナル フリー

    文化人類学者による改宗研究においては、改宗を当事者の利益との関連において捉える功利主義並びに、人々の置かれた状況へのより適切な説明を通じてキリスト教が伝統宗教を置換すると捉える主知主義からの議論がなされてきた。2つの立場は、共に十分に成功していない。本稿においては、当事者にとっての改宗経験の意味の把握を通じて、功利主義的説明への補正を試みる。ケニア海岸地方に住むドゥルマと呼ばれる人々の間のキリスト教の事例を基に、人々自身が経験する改宗過程をより正確に把握する視座を開拓した。ドゥルマの間では、妖術等の霊的脅威への対抗策として、キリスト教が人気を集めている。信徒達の語りを基に、ドゥルマにおける改宗が、妖術への新たな対抗策の導入、霊的脅威との対立図式の変容、宗教的信念の受容という3つの側面を持つことを示した。更に、その内の第二の側面の更なる把握を、功利主義の補正に向けた今後の課題として提示した。

  • 内田 安紀
    2017 年 23 巻 p. 15-29
    発行日: 2017/06/03
    公開日: 2019/05/31
    ジャーナル フリー

    本稿は、1990年代以降に顕著な現象として見られる葬送と自然の接近について、その背景と意味を考察するものである。1991年の「自然葬」の登場、そして1999年の樹木葬の登場と普及から推測できるように、現代の日本社会では葬送の領域において自然的要素が求められるようになっている。本稿ではなぜ現代社会において葬送と自然が接近しているのか、またそのような文脈における「自然」は新しい葬送の受容者にとってどのような意味を持つのかを問う。前者に関して言えるのは、現代社会においては葬送の領域に「個人化」現象が見られ、そこでは共有されうる死生観や価値観が失われており、その空白地帯に「自然」の要素がはまり込んだということである。後者に関して実際の樹木葬墓地での調査結果から見えてくるのは、そのような「自然」は受容者にとっては表層的なものであり、彼らの個人性と他者との共同性を媒介する一つの資源となっていたということである。

  • 清水 亮
    2017 年 23 巻 p. 31-45
    発行日: 2017/06/03
    公開日: 2019/05/31
    ジャーナル フリー

    本論は、地域社会における戦死者慰霊施設を、地域の担い手の管理活動から捉える試みである。先行研究においては、管理主体は死者への思いをもった人々であるという観点から論じられてきたこともあり、地域の複数の管理主体が、地域的文脈の中でそれぞれいかなる固有の関心をもち、具体的にどのような管理活動を行っているかについては十分に検討されてこなかった。これに対して本論は、茨城県阿見町における予科練慰霊施設の事例研究を行い、特に自衛隊武器学校と婦人会という二つの地域の管理主体の関心と管理への関与を分析した。その結果、管理活動には、先行研究が主に論じてきた、現状を保持しようとする〈維持〉の側面だけではなく、慰霊施設をとりまく時代状況に応じて臨機応変に対応する〈経営〉の側面があることを示し、後者については、地域の諸主体ごとの関心の違いに応じて、その対応の仕方には競合する場合があることを明らかにした。

  • 北澤 直宏
    2017 年 23 巻 p. 47-61
    発行日: 2017/06/03
    公開日: 2019/05/31
    ジャーナル フリー

    本稿は、ベトナムの新宗教カオダイ教による社会活動を半世紀にわたり分析することで、教団が維持・拡大してきた要因を明らかにするものである。1920年代、フランス植民地下のベトナム南部で誕生したカオダイ教は、設立直後から善行を重視し、組織的な社会活動を展開してきた。しかし、教団発行の活動報告書を基に1940年代以降の活動内容及び費用の変遷を追っていくと、国家制度や社会の変化に伴い教団の社会活動が拡大してきた点は事実とは言え、実際に多くの資金・労力が投じられてきたのは、教団内の福利厚生の充実や関連施設の整備であった点が判明する。その理由として、①不安定な時期に教団存続を図る上では、富と力の誇示が不可欠であった点、②明確な布教手段を持たない教団が新たな人員を獲得するためには、政府をはじめとする教団内外に自らの権威を示す必要があった点を挙げることができる。

  • 大坪 加奈子
    2017 年 23 巻 p. 63-78
    発行日: 2017/06/03
    公開日: 2019/05/31
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は、カンボジア南東部村落の事例をもとに、僧侶や寺委員会が行う社会活動について明らかにすることである。具体的には、政教関係を中心に活動を取り巻く構造や関与する行為者間の関係性に着目する。大多数が上座仏教を信仰するカンボジアでは、1990年代より僧侶や寺委員会が行う地域社会での活動が「社会参加仏教」や「開発僧」の活動であるとして、NGOや開発学研究者の強い関心を集めてきた。こうした活動は、地域社会での相互扶助的な活動からNGOなどの団体を設立して地域社会を越えて行う大規模な活動まで多岐にわたっている。その背景には、寺院がもつ人・モノ・カネが集まるという特性に加えて、政府が僧侶の社会活動を推奨し、僧侶自身もそれを志向してきたこと、政府が仏教を政治的に利用してきたことがある。そこでは、関与する人びとが異なる意図をもちながらも、社会のための活動が行われていくという錯綜した状況がみられることを指摘する。

  • 諸岡 了介
    2017 年 23 巻 p. 79-93
    発行日: 2017/06/03
    公開日: 2019/05/31
    ジャーナル フリー

    本稿は、在宅ホスピスケアを利用して看取りを行った遺族を対象にした調査票調査から、死に関する自由記述回答を分析することで、現代日本における死生観の一側面を描き出そうとする試みである。調査は2010~2014年の間に家族を看取った主介護者に対して行い、663票の質問紙を回収した。

    分析から見出されたのは、次のようなパターンである。死の問題一般に対するときには、死はそれ自体として焦点化されず、目下の日常生活の是認へと向かう。自分自身の死に関する記述では、「迷惑をかけない死」という経済的・社会的な負担の問題に関心が集まっている。これに対して、身近な死者に関する記述では、死後も存続するものや、死者の行方について多く語られている。

    本調査結果の全体的傾向からは、実際の人々の死生観は、療養場所の選択や介護負担・経済的負担といった現実的問題と切り離しえないことが示唆された。

  • 新里 喜宣
    2017 年 23 巻 p. 95-109
    発行日: 2017/06/03
    公開日: 2019/05/31
    ジャーナル フリー

    本稿は1960年代から80年代までを対象とし、この時期に台頭した巫俗言説の構造を文化および宗教という観点から捉え、その多様な展開を明らかにしようとする試みである。1950年代において、巫俗はほぼ迷信としてのみ語られていた。しかし、1960年代を基点として国家の民俗政策、そして研究者による学術活動などが本格化することで、巫俗は韓国文化の源泉としてその価値が肯定されるようになっていく。国家や知識人が巫俗を文化として語る際、それが迷信として批判されていることも相まって、巫俗の歴史性にのみ焦点が当てられる傾向が見出せる。現存する巫俗は迷信だが、巫俗は韓国文化の源泉として意味があるという言説である。他方、主に研究者やシャーマンによる巫俗言説は現存する巫俗を肯定し、その宗教的世界観に目を向けようとする。文化と宗教という巫俗言説は、時に対立しながらも韓国社会において巫俗の位相を押し上げる役割を担った。

研究ノート
書評とリプライ
テーマセッション
1 日本海側の宗教を研究し学ぶこと
2 物語を読む、宗教を読む―宗教/文学研究の架橋のために―
3 近代日本社会における神道と国体論―宗教とナショナリズムをめぐる一断面―
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