日本臨床外科医学会雑誌
Online ISSN : 2189-2075
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40 巻, 1 号
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  • 菊地 浩吉
    1979 年 40 巻 1 号 p. 1-6
    発行日: 1979/01/01
    公開日: 2009/03/31
    ジャーナル フリー
  • 岩 喬
    1979 年 40 巻 1 号 p. 7-10
    発行日: 1979/01/01
    公開日: 2009/03/31
    ジャーナル フリー
  • 武藤 輝一
    1979 年 40 巻 1 号 p. 11-16
    発行日: 1979/01/01
    公開日: 2009/03/31
    ジャーナル フリー
  • 陣内 傳之助
    1979 年 40 巻 1 号 p. 17-23
    発行日: 1979/01/01
    公開日: 2009/03/31
    ジャーナル フリー
  • 森田 建
    1979 年 40 巻 1 号 p. 24-28
    発行日: 1979/01/01
    公開日: 2009/03/31
    ジャーナル フリー
  • 葛西 洋一
    1979 年 40 巻 1 号 p. 29-34
    発行日: 1979/01/01
    公開日: 2009/03/31
    ジャーナル フリー
  • MMCおよびMFC療法を中心として
    竹口 甲二
    1979 年 40 巻 1 号 p. 35-48
    発行日: 1979/01/01
    公開日: 2009/03/31
    ジャーナル フリー
    胃癌の治療に当っては,現在迄のところ手術療法が最も有効であるということは異論のないところであるが,この手術療法から見はなされた切除不能および手術不可能な所謂末期胃癌の治療成績向上のために癌化学療法を行ない,臨床的効果,延命効果,副作用,病理組織学的効果などについて検討を行った.
    62例の非切除および非手術末期胃癌に対して癌化学療法(I群MMC単独療法36例, II群MFC療法26例)を行ない21例のコントロール群と比較検討した.
    日本癌治療学会効果判定基準による軽快率はMMC群27.8%, MFC群34.6%, Karnofsky基準の1-A以上はMMC群22.2% MFC群34.6%と対照群に比べ明らかな効果を示した.また, MFC群ではKarnofskyの1-Cを2例認めた.
    延命効果は,対照群に比し, MMC群では50%生存日数で56日,平均生存日数で69.3日, MFC群では50%生存日数で63日,平均生存日数で98.2日の延長を見た.
    副作用は血液学的副作用として白血球減少,自覚的副作用として食欲不振が主なものであり,両群共に認められるがMFC群では, MMC群に比べ出現率が高く認められた.
    経時的に内視鏡による胃生検を行ない病理組織学的効果について検討を行なったが,効果は大星らのGrade IIB迄であった.また,臨床的効果と病理組織学的効果はほぼ相関関係を示した.
    MMC療法, MFC療法ともに末期胃癌の寛解導入療法として有効であった.
    治療効果の点では, MFC療法が優れ,副作用の点ではMMC療法の方が軽度であった.従って症例に応じた使い分けが必要である.
  • 腹部単純撮影時の診断域拡大について
    野々瀬 宣夫, 平形 征
    1979 年 40 巻 1 号 p. 49-53
    発行日: 1979/01/01
    公開日: 2009/03/31
    ジャーナル フリー
    日常診療の場において,外科,内科をとわず,簡単に,胃の概観及びその周辺臓器との関係を知りたいときはままある.
    我々は非常に簡便性をそなえた,注気による胃ガス充満像がその目的に有用ではないかと考え,その診断能の検討をおこなった.
    その結果,今後一層の検討が必要であると思われるけれども,概観撮影として,十分有用であるとの結論が得られた.
  • 宇賀 四郎, 大賀 興一, 中村 昭光, 池田 識道, 佐々木 義孝, 玉利 公正, 和田 行雄, 坂部 秀文, 前田 米造, 内藤 和世, ...
    1979 年 40 巻 1 号 p. 54-59
    発行日: 1979/01/01
    公開日: 2009/03/31
    ジャーナル フリー
    B型WPW症候群を呈する器質的心疾患のない17歳,女性に対し, 1977年5月26日,副伝導路切断術を行った.手術により心電図の完全な正常化は得られなかったが,術後は何ら薬剤を使用しなくても頻拍発作は皆無となり,すでに18カ月を経過した.誘発させ得た発作性上室性頻拍は, 7秒以上持続することはなく,臨床的には満足する結果を得た.
    本症例の頻拍発作は乳幼児期にはじまり,年に数回の発作性上室頻拍や心房粗動により,ショック状態に陥るなど,日常活動が著しく制限をうけていた.発作の持続時間は最高8時間に及ぶが,大半は約2時間以内であった.
    術前のepicardial mappingでは,最早期興奮部位は右心室外縁にあり,典型的なB型を示した.同部にて右心房と右心室を完全に離断することにより,最早期興奮部位は右心室流出路へと変化した.心電図では, PQ時間は0.08秒より0.10秒に延長し, V1誘導はrS型よりqr型へと変化した.
    術前後の結果から,右心室遊離壁以外に副伝導路の残存していることが考えられる.複数の副伝導路が存在する場合の術中の問題点について,検討を加え報告する.
  • 田中 忠良, 森重 一郎, 宮原 義門, 坂口 勲
    1979 年 40 巻 1 号 p. 60-66
    発行日: 1979/01/01
    公開日: 2009/03/31
    ジャーナル フリー
    本邦での発生頻度は低いが,甲状腺髄様癌は臨床病理学的にきわめて特異な病態を示す.とくに,家族性発生の頻度が高いことと他の内分泌腺腫瘍を合併することが特徴的であるが,われわれは甲状腺髄様癌に副腎褐色細胞腫を合併したSipple症候群の1例を経験し,その家系調査によって,姉と父方の叔母に甲状腺髄様癌を発見した.
    家系発端者(症例1)は23歳,女子で,左副腎褐色細胞腫の術後, 11カ月目に甲状腺髄様癌で甲状腺全摘術と頚部廓清術を施行した.髄様癌は両側多発性であった.
    症例2は28歳,女子で右結節性甲状腺腫で手術を行ない,病理組織学的に甲状腺髄様癌と診断された後に症例1の実姉であることが判明した.しかし,家庭の事情により他院で根治手術を受けたが,血漿カルシトニンは6.0ng/dlと高値を示した.
    この姉妹の父方の叔母は昭和31年, 33歳の時某院で甲状腺腫の手術を受けており,病理組織標本のみ入手し得た.当時の組織診断は乳頭状腺腫ということであったが,再検にてアミロイドの沈着を認める髄様癌と診断された.この症例3は甲状腺腫の術後2年目に高血圧で死亡しており,副腎褐色細胞腫の疑が濃厚である.
  • 森 秀樹, 伊藤 国彦, 三村 孝, 西川 義彦, 浜田 昇, 鳥屋 城男
    1979 年 40 巻 1 号 p. 67-71
    発行日: 1979/01/01
    公開日: 2009/03/31
    ジャーナル フリー
    最近われわれは,術前に穿刺吸引細胞診で,その局在および組織像を診断し得た上皮小体腺腫と甲状腺非髄様癌の合併した一例を経験したので報告する.
    症例は50歳の女性で前頚部腫瘤を主訴として来院した.既往歴では7年前大腿骨骨嚢腫による病的骨折, 2年前Al-Pの高値を指摘された.前頚部両側に腫瘤をみとめ右は鳩卵大,硬,左はそら豆大,軟であった.検査所見では血清Ca 15.6mg/dl. P 1.8mg/dl. Mg 3.4mg/dl. %TRP 81%, PTH 5.4ng/ml, Al-P 18.7KAUであり,他に異常所見はみとめられなかった.全身の骨に軽度の粗造化がみとめられた. 75Se-セレノメチオニンシンチグラムでは明らかな集積像はみられなかった.術前,穿刺吸引細胞診にて,右は甲状腺乳頭癌,左は上皮小体腺腫あるいは過形成と診断した.細胞診前後の血清Caの変動はみられなかった.全身麻酔下に手術を施行し,右腫瘍には甲状腺右葉切除およびリンパ節廓清を,左腫瘍には甲状腺の一部を含めた,腫瘍切除を行なった.組織診断は,右は甲状腺乳頭癌,左は上皮小体腺腫であった.
    甲状腺髄様癌と上皮小体腺腫の合併は, MEN, type 2 (multiple endocrine neoplasia, type 2)として知られている.甲状腺非髄様癌と上皮小体腺腫の合併に関しては,注目されていなかったが, Ogdenらがその合併頻度を1.3%と報告して以来関心がよせられている.
    現在のところ長期にわたる上皮小体腺腫による高Ca血症が甲状腺にCarcinogenとして働くのではないかと考えられている.
    上皮小体腺腫の手術にあたっては,甲状腺疾患,特に甲状腺癌の合併頻度の高いことを念頭におくことが必要であると考えられる.
  • 自験3症例と本邦報告例の検討
    倉田 悟, 繩田 泰生, 森 文樹, 守田 知明, 兼行 俊博
    1979 年 40 巻 1 号 p. 72-79
    発行日: 1979/01/01
    公開日: 2009/03/31
    ジャーナル フリー
    胃嚢腫は比較的よく見られる病変であるが末だ一般の認識に乏しく,その分類も確立されていない.我々は臨床的見地より胃嚢腫の分類を試みると共に本邦報告例の統計的検討を行なった.術前診断は大部分のものが胃粘膜下腫瘍,胃ポリープ,胃癌であり,胃嚢腫と診断されたものは64例中わずか4例にすぎなかった.合併病変は胃潰瘍,胃癌,萎縮性胃炎,ポリープなど多彩で,とくに本症が多発した症例には胃潰瘍と胃癌が高率に見られ,両者を今わせれば過半数に及んだ.従って多発性胃嚢腫は積極的に切除し検討を加えるべきものと考える.
  • 笠川 脩, 木田 宏之, 加藤 佳典
    1979 年 40 巻 1 号 p. 80-86
    発行日: 1979/01/01
    公開日: 2009/03/31
    ジャーナル フリー
    先天性消化管閉鎖症は稀な疾患であるが,なかでも幽門閉鎖症の発生は更に少い.新生児期に本症と診断され手術が行われた症例は,自験例を含めて54例(国外38例,国内16例)が報告されているにすぎない.
    本症は,幽門部あるいは近接する胃前庭部における消化管壁の断絶または膜様隔壁による閉鎖を意味するが,文献によると膜様閉鎖の頻度がたかく,女児にやや多く,概して胎生期の上部消化管閉塞の結果としての羊水過多症を伴っており,ほとんどに生後数日のうちに,膜切除,幽門形成あるいは胃腸吻合が行われているが,術後生存率は約70%である.
    自験例は,満期,正常分娩,生下時体重3,600gの女児で,妊娠経過中に羊水過多症を認めている.生後2日目,授乳開始時より胆汁を混じない嘔吐が持続し,体重減少,脱水が著明となり, 4日目に来院.腹部に膨隆や腫瘤を認めなかったが,レ線撮影で胃泡以外に消化管内のgas像が全く認められず,造影剤を注入しても胃が充盈されるのみで十二指腸への移行はみられず,頻回の無胆汁性嘔吐の症状と,これらレ線撮影所見から先天性幽門閉鎖症と診断,全身状態を改善したうえ生後6日目に開腹.胃十二指腸の連続性は,視診では一見正常にみえたが,幽門部の触診と胃切開による内腔の所見により索状結合織による消化管壁断絶が確かめられ,索状部分を切除して胃十二指腸端々吻合と胃瘻造設を行った.幽門部以外の腹部臓器に異常所見はなく,切除部分の組織所見は結合組織と平滑筋組織で幽門構造は認められなかった.閉鎖形態はGerberの分類によればI B型であった.術後,胃瘻より内容を吸引し,経静脈栄養を行ない.造影剤の吻合部通過を確かめたうえ術後7日目に経口摂取を開始した.術後経過は良好で,発育も順調である.
    先天性幽門閉鎖症治験例の概要に若千の文献的考察を加えて報告する.
  • 山下 忠義, 宮村 忍, 嵯峨山 徹, 辰己 葵, 石川 羊男, 伊藤 信義
    1979 年 40 巻 1 号 p. 87-93
    発行日: 1979/01/01
    公開日: 2009/03/31
    ジャーナル フリー
    昭和48年8月から53年3月までの4年7カ月間に13例の術後良性胆道狭窄症を経験し,そのうち11例に胆道再建術を施行した.
    13例の原疾患は胆石症9例と十二指腸潰瘍4例であり,これらを3群に分けて検討した.
    A群:手術中に胆道損傷を看過した4症例, B群:手術中に胆管の切断に気づき,胆道再建術を付加した5症例, C群:胃切除時に胆道損傷を看過した4症例.
    黄疸発生までの平均期間はA群1.8病日, B群9.3カ月, C群7.2病日であった.
    入院時の症状について黄疸はすべての症例に,発熱は8例,疼痛は11例にみられ, 13例中12例にPTCで損傷部を確認してPTC-Dで減黄処置を行つた.またPTC時に採取した胆汁から9例中6例にGram陰性桿菌が検出され,特にB群に多かった.
    黄疸発生後胆道再建までの期間はA群43日と36日, B群平均11.3カ月, C群4.1カ月であり,それらの胆道再建法は胆管空腸Roux-Y型6例と胆管十二指腸間空腸有茎移植法5例であつた.
    11例の胆道再建術症例について総Bilirmubin値で黄疸の推移をみると黄疸発生後再建までの期間が長い症例はその改善状態が遅延していた.また再建後2年以上経過した8症例のうち5例は社会復帰可能であったが,ほかの症例は再建後頻回の胆管炎の再発がみられ, 1例は他病死した.
  • 佐藤 守, 小橋 陽一郎, 柏原 貞夫, 倉本 信二, 松末 智, 田中 英夫, 中村 義徳, 北野 司久
    1979 年 40 巻 1 号 p. 94-100
    発行日: 1979/01/01
    公開日: 2009/03/31
    ジャーナル フリー
    胆嚢癌の手術成績は極めて悪く,根治術を施行しえた症例でも5年生存することは稀である.著者らは,手術時,広範な肝転移のため切除不能と考えられたにもかかわらず,術後6年4カ月生存しえた例を経験した.
    症例は50歳,女性で, 5年前より右季肋部痛を認めていたが,昭和46年,疼痛が持続したため,胆嚢胆管造影を施行したところ結石陰影が指摘されたので, 46年9月入院手術した.手術時,胆嚢の肝床部に径2.5cm程の腫瘍があり,されに肝右葉に拇指頭大から雀卵大の腫瘍が数個認められたので,切除不能と考え,右胃大網動脈から肝固有動脈にチューブを挿入して手術を終え,術後1カ月余の間にチューブよりMitomycin計60mgを投与した.腫瘍は組織学的にも腺癌であった.術後2カ月頃より患者の容態は悪化し,体重も20kg程減少し,癌悪液質との診断のもとに近医にて対症療法をうけていた.その後消息不明が1年程続き,すでに死亡したものと考えていたところ,昭和48年6月元気な姿で来院し,体重も増加していたので,その後4年近く, 198Auコロイドによる肝シンチ,腹腔動脈造影,腹部超音波検査等で経過を観察したが,胆嚢部に腫瘍は存在し,肝両葉にも転移を思わせる所見があり,腫瘍の発育は中止または極めてゆるやかなものと考えられた.ところが昭和52年になると肺転移を認め,ついで脳転移のために同年12月死亡した.剖検および組織学的所見より,胆嚢癌(組織学的には乳頭状腺癌)とその全身転移が確認された.
    癌の自然治癒または長期担癌症例は極めて稀であり,なかでも胆嚢癌で5年以上にわたって癌と共存しえた例は現在までに報告がなく,興味ある症例と考えられたので,若干の考察を加えて報告した.
  • 天野 純治, 猪野 俊治, 森山 昌樹
    1979 年 40 巻 1 号 p. 101-106
    発行日: 1979/01/01
    公開日: 2009/03/31
    ジャーナル フリー
    原腸系内分泌細胞腫群として解釈されるようになった,カルチノイド腫瘍のうち,胆嚢に原発するものは極めて稀有で, Joel (1929)以来現在までの報告は,欧米で13例,本邦で著者例を含め3例の合計16例にすぎない.又全カルチノイドに対する割合は0.2%である.
    症例は62歳女性で, 1年前から胆石様発作が数回あり,胆石症の診断で胆嚢摘出術を施行,所属淋巴節の腫脹,肝転移等はなかつた.胆嚢内容は,乳白色粘液性であり,コレステリン結石12コと胆嚢内腔に半球状に突出する4×3×2cmの軟性,充実性の腫瘍を認めた.組織検査で, HE.でN/C比は小,充実性胞巣状構造を認めた.又Grimelius (argyrophil反応)陽性, Masson-Fontana (argentaffine反応)陰性,電子顕微鏡で腫瘍細胞中に円形乃至卵円形の分泌顆粒を多数認めた.カルチノイドと診断した.
    術後検査で,血中セロトニン, 5-HIAA値は共に正常, Epinephrine誘発試験(-),肝シンチグラム検査でも転移は認められず,臨床的にもカルチノイド症候群は全く見られていない.臨床検査上でも特記すべき病的所見は全く認められず,化学療法も特に行なつていない.
    胆嚢カルチノイドとして報告された16例について分析を行なつた.欧米の報告例は殆んどが剖検で発見され,それも腫瘍の大きさは3mmから2cmまでの小さなもので,又発育も遅く,然もその経過は悪性である.カルチノイド症候群は一例のみで,結石との関係はない.一方本邦例3例では,腫瘍は大きく,又私共を含め全例に胆嚢摘出術を施行, 1例にカルチノイド症候群を認め,胆嚢摘出後,この症状も消退している.他の2例は術後の経過は順調で欧米例とはやや異なった臨床像を呈していた.
  • 青木 洋三, 浅江 正純, 南方 茂樹, 福永 裕充, 佐々木 政一, 今井 敏和, 勝見 正治
    1979 年 40 巻 1 号 p. 107-114
    発行日: 1979/01/01
    公開日: 2009/03/31
    ジャーナル フリー
    昭和46年1月から52年10月までに胆石症により手術を施行した272例について遠隔成績を検討するためアンケートによる回答を求め,併せて訴えの内容を明らかにする目的でCornell Medical Index深町氏変法(以下C. M. I.と略)を用いた性格検査の成績と対比した.回答が得られたのは172例, 63.2%で,結石の局在別では胆嚢が最も多く59.9%,手術時の年齢をみると50歳代, 60歳代が全体の50%を占めた.直接死亡例は1例, 0.37%,再手術例は10例, 3.68%で再手術の原因の半数は結石の遺残によるものであった.遠隔成績をみるとその12例(7%)が所謂不満足例となり,残りは全快例,軽快例と判定されたが,結石の所在別にみると肝内結石の成績が最も悪く,不満足例が40%にみられた.不満足例12例中肝硬変死した1例を除く11例でC. M. I.度数分布をみると, IV度の神経症領域に属するものが高率にみられ,術後愁訴の全てが必ずしも手術に起因したものではないように思われた.逆にC. M. I. IV度の症例では不満足例となるものが多かった.従ってC. M. I.は患者生来の性格の把握および術後愁訴が多いにかかわらず何ら器質的病変を証明し得ぬ症例における訴えの本体の究明に有効であり,ひいてはpolysurgeryを回避するための有力な手掛かりを与え得るものと考えられた.
  • 大藪 久則, 千原 久幸, 山崎 良定, 米田 紘造, 本田 雅之
    1979 年 40 巻 1 号 p. 115-119
    発行日: 1979/01/01
    公開日: 2009/03/31
    ジャーナル フリー
    最近我々は遺伝性球状赤血球症に胆石を合併した症例に対し,輸血を行いつつ,脾臓と胆嚢を同時に剔出し,良好な成績を得たのでここに報告する.
    患者は45歳女性で,右季肋部痛と黄疸を主訴として来院した.入院精査の結果,黄疸,脾腫,貧血,赤血球直径の減少,赤血球抵抗の減弱,クームステスト陰性等を認め,さらに赤血球像で多数の球状赤血球を認めたので遺伝性球状赤血球症と診断した.一方胆道造影にて胆嚢内,総胆管内結石を認めている.術前3日間に1,200mlの輸血をし,脾臓,胆嚢同時剔出術を施行し,総胆管結石剔出後, Tチューブ挿入し,手術終了した.術後遺残結石を認めたのでTチューブより剔出した.術後経過良好で1年後, 2年後, 3年後の血液検査では,赤血球抵抗の減弱はなお残存するも,貧血は著明に改善され,元気に日常生活を送っている.
    また遺伝性球状赤血球症の診断基準,治療方法,胆石合併,至適手術時期,最近十年間の本邦における本疾患の手術症例及び胆石合併率,輸血に関する諸問題,先天異常等に関して文献的に考察を加えた.
  • 林 幹彌
    1979 年 40 巻 1 号 p. 120-124
    発行日: 1979/01/01
    公開日: 2009/03/31
    ジャーナル フリー
    膵体尾部腫瘍の診断,切除は特有の症状を示さない場合は極めて困難であるが,巨大な十二指腸潰瘍を併発したため早期に発見され切除出来た症例を経験したので報告する.
    患者は56歳男性,昭和48年7月頃から空腹時上腹部痛あり,十二指腸潰瘍と診断され内科的治療をうけていたが,上腹部痛,呑酸嘔気持続し体重約9kg減少し,昭和50年9月4日上腹部激痛,嘔吐を来たして来院した.
    初診時所見:体重37.5kg,血圧130~70mmHg腹部平坦,柔軟で右上腹部に圧痛著明なるも腫瘤,抵抗触知せず,胃X線検査で十二指腸球部小弯側に小指頭大のニッセあり,胃体部,十二指腸下行部,横行部に異常所見は認めなかった.検査成績:血色素量14.2g/dl,赤血球数348万,白血球数14,200,血清アミラーゼ値175単位,空腹時血糖115mg/dl,血清ビリルビン総量0.45mg/dl, GOT 62単位, GPT 20単位,尿糖腸性,胃液は過酸症であった.手術所見:開腹時十二指腸起始部,小弯側に肝十二指腸靱帯に穿通した潰瘍(3cm×4cm)あり之を含めて広汎胃切除術を施行す.膵体,尾部に鶏卵大の腫瘤を発見,硬度は硬で周囲組織への浸潤なく,リンパ節腫脹を認めず,腫瘤は脾と共に膵体部切除術を行い摘出した.術後経過は良好で3年後の現在体重50kgで無症状で生存している.
    組織所見並に診断:腫瘍組織は全体として塊状で結合織被膜で被われ,周囲組織から区画されていた.しかし腫瘍内部では豊富な間質内に腫瘍細胞が巣状ないし島嶼状に浸潤性発育を示し悪性腫瘍の像を呈していた.腫瘍細胞は場所により腺管構造をとり粘液を産生し,その一部で膵島芽細胞への分化を示し増殖しており,血管内,リンパ腔内にも腫瘍細胞が認められた.このような所見から本腫瘍はZollinger Ellison症候群を呈した悪性膵島芽細胞腫(malignant nesidioblastoma)と診断さた.
  • 佐藤 茂範, 大内 孝文, 舟山 仁行, 田渕 崇文, 徳毛 公人, 長田 省一, 井上 仁, 湯本 克彦, 小沢 靖, 大石 山, 相馬 ...
    1979 年 40 巻 1 号 p. 125-130
    発行日: 1979/01/01
    公開日: 2009/03/31
    ジャーナル フリー
    腸間膜嚢腫は病理学的にそのほとんどがリンパ管腫であることから,最近ではWegnerの分類に従って, (1) 単純性リンパ管腫, (2) 嚢腫状リンパ管腫, (3) 海綿状 リンパ管腫の3種に分けるのが一般的である.
    本邦での報告は明治36年,三村によるものが最初であり,以来200例に満たぬ報告例があるのみである.
    我々は最近,腸間膜に発生した,嚢腫状リンパ管腫の1例を経験したので,若干の文献的考察を加えて報告したい.
    患者は5歳の女児で,腹痛,嘔吐を主訴として来院した.既往歴に特記すべきことなく,父方の祖母が子宮癌で死亡の家族歴を得する.患者は入院の8カ月前より,たびたび嘔吐し,近医より目家中毒の診断のもとに加療されていたが,腹痛強度となったため紹介入院となった.
    検査所見では特に異常を認めず,腹部単純X線像で左季肋下にニボーを認めた.腹部は軽度に膨満し,さらに軽い圧痛を訴えるが,腫瘤その他は触れなかった.
    2日目に開腹,トライツ靱帯より肛側約160cmの小腸間膜に大人超手拳大の黄色,軟な波動を有する腫瘤を認めた.同部の小腸は,腫瘤の頚部を軸として捻転し,口側腸管は著明に腫脹を示していた.腫瘤を含めて約20cmの小腸切除,端々吻合した.腫瘤は約15×9×7cm,多房性で,黄色,粘稠の液約800mlを入れていた.
    病理学的に一層の内皮細胞と間歇的に存在する平滑筋を有する壁の大小さまざまに拡張されたリンパ管を認め,嚢腫状リンパ管腫を診断した.
  • 溝手 博義, 植田 紘一, 龍 忠彦, 酒井 清太郎, 吉成 元希, 矢野 博道, 猪口 哲三
    1979 年 40 巻 1 号 p. 131-138
    発行日: 1979/01/01
    公開日: 2009/03/31
    ジャーナル フリー
    腸管癒着は術後早期に起こり,その癒着は何らの症状をも呈さないで経過するのが大多数であるが,腸管癒着が完成した数カ月ないしは数十年してから術後癒着性イレウスとなるのはいかなる機序によるのであろうか.
    今回は私共が過去10年間に経験した術後癒着性イレウス120例の分析からイレウスの型を分類し,術後腸管癒着がどのようにしてイレウスに発展したかを検討した.すなわち,観血的療法がなされた82症例の開腹所見から,直接イレウスに関係のあった癒着の型を分類すると6型に分けられ,単純性と複雑性イレウスとの間にもそれぞれ特徴のあるTypeに分けられた.また,腸管の癒着部位は後腹膜が最も多く,ついで腹壁,腹腔内他臓器となっていた.
    上記のような6型と腸管の癒着部位の関係から6型を1型づつ検討したところ,第1型,第II型は主に内ヘルニアの発生機序と同様な機序をとるものと考えられ,第III, IV型は腸管の屈曲,腸管の長軸方向への捻転あるいは腸軸捻症などによって発生すると考えられた.第V, VI型は腸管の直接の癒着自身はイレウスに関与せず,癒着のないところに内ヘルニア状態とか,腸軸捻が起こってイレウスとなると解された.
    以上,術後癒着性イレウスの発生機序について,殊に内ヘルニアと同じ発生機序によると思われる点を強張し,イレウスを6型に分類した.
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