本論文は、大韓帝国が施行した森林法について、その施行期間中(1908年1月から1911年1月まで)の3年間にわたって発表された言論の動きから読み取れる、森林法施行についての問題点、また、その過程で見られる測量と教育分野での新たな動きを調べたもので、森林法がもたらした大韓帝国時代の朝鮮の測量事情と測量教育に関する内容を論じたものである。本論で詳述する著者の調査結果によれば、森林法は企画も対策も準備もないまま制定された無謀な法律であったといえる。法律の施行面において、政府はこれを施行するために何の助成も用意していなかったため、民有森林所有者たちは測量費を自費で充てており、しかもその結果得られた地籍図面は何の法的効力も持たず、1911年の朝鮮林野調査令(第10条)によって白紙に戻ってしまったのである。しかしながら、森林法が施行されたこの時期、大韓帝国において測量と教育は大変革を迎えるようになる。私立測量学校の設立から始まり、教科書の編集、測量機器の普及など、測量技術が一般に広く伝わるきっかけとなった。また、測量の必要性についての認知度もかなり高まった。結果的に、当時新しく設立された測量学校の卒業生はその後の朝鮮土地調査事業に多く起用され、測量と教育及び測量技術者の養成という面においては大きく貢献した。
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