Toggle navigation
J-STAGE home
資料・記事を探す
資料を探す:資料タイトルから
資料を探す:分野から
資料を探す:発行機関から
記事を探す
データを探す(J-STAGE Data)
J-STAGEについて
J-STAGEの概要
各種サービス・機能
公開データ
利用規約・ポリシー
新規登載の申し込み
ニュース&PR
お知らせ一覧
リリースノート
メンテナンス情報
イベント情報
J-STAGEニュース
特集コンテンツ
各種広報媒体
サポート
J-STAGE登載機関用コンテンツ
登載ガイドライン・マニュアル
閲覧者向けヘルプ
動作確認済みブラウザ
FAQ
お問い合わせ
サイトマップ
サインイン
カート
JA
English
日本語
資料・記事を探す
資料を探す:資料タイトルから
資料を探す:分野から
資料を探す:発行機関から
記事を探す
データを探す(J-STAGE Data)
J-STAGEについて
J-STAGEの概要
各種サービス・機能
公開データ
利用規約・ポリシー
新規登載の申し込み
ニュース&PR
お知らせ一覧
リリースノート
メンテナンス情報
イベント情報
J-STAGEニュース
特集コンテンツ
各種広報媒体
サポート
J-STAGE登載機関用コンテンツ
登載ガイドライン・マニュアル
閲覧者向けヘルプ
動作確認済みブラウザ
FAQ
お問い合わせ
サイトマップ
サインイン
カート
JA
English
日本語
詳細検索
宗教研究
Online ISSN : 2188-3858
Print ISSN : 0387-3293
ISSN-L : 2188-3858
資料トップ
巻号一覧
特集号
この資料について
J-STAGEトップ
/
宗教研究
/
巻号一覧
検索
巻、号、ページもしくは巻、ページを入力してください。
検索条件と一致する記事が見つかりませんでした。
検索結果に複数のレコードがあります。号を指定してください。
詳細検索
OR
閲覧
巻
97 巻
96 巻
95 巻
94 巻
93 巻
92 巻
91 巻
90 巻
89 巻
88 巻
87 巻
86 巻
85 巻
84 巻
83 巻
82 巻
81 巻
80 巻
79 巻
78 巻
77 巻
号
3 号
2 号
1 号
Suppl 号
検索
検索
閲覧
巻、号、ページもしくは巻、ページを入力してください。
検索条件と一致する記事が見つかりませんでした。
検索結果に複数のレコードがあります。号を指定してください。
詳細検索
巻
97 巻
96 巻
95 巻
94 巻
93 巻
92 巻
91 巻
90 巻
89 巻
88 巻
87 巻
86 巻
85 巻
84 巻
83 巻
82 巻
81 巻
80 巻
79 巻
78 巻
77 巻
号
3 号
2 号
1 号
Suppl 号
巻、号、ページもしくは巻、ページを入力してください。
検索条件と一致する記事が見つかりませんでした。
検索結果に複数のレコードがあります。号を指定してください。
巻号一覧
97 巻 (2023)
3 号 p. 1-
2 号 p. 1-
1 号 p. 1-
96 巻 (2022)
3 号 p. 1-
2 号 p. 1-
1 号 p. 1-
Suppl 号 p. 9-
95 巻 (2021)
3 号 p. 1-
2 号 p. 1-
1 号 p. 1-
Suppl 号 p. 9-
94 巻 (2020 - 2021)
3 号 p. 1-
2 号 p. 1-
1 号 p. 1-
Suppl 号 p. 8-
93 巻 (2019 - 2020)
3 号 p. 1-
2 号 p. 1-
1 号 p. 1-
Suppl 号 p. 12-
92 巻 (2018 - 2019)
3 号 p. 1-
2 号 p. 1-
1 号 p. 1-
Suppl 号 p. 12-
91 巻 (2017)
3 号 p. 1-
2 号 p. 1-
1 号 p. 1-
Suppl 号 p. 13-
90 巻 (2016)
3 号 p. 1-
2 号 p. 1-
1 号 p. 1-
89 巻 (2015)
3 号 p. 421-
2 号 p. 191-
1 号 p. 1-
Suppl 号 p. 12-
88 巻 (2014)
3 号 p. 521-
2 号 p. 239-
1 号 p. 1-
Suppl 号 p. 12-
87 巻 (2013)
3 号 p. 497-
2 号 p. 249-
1 号 p. 1-
Suppl 号 p. 13-
86 巻 (2012)
4 号 p. 734-
3 号 p. 505-
2 号 p. 191-
1 号 p. 1-
85 巻 (2011)
4 号 p. 835-
3 号 p. 623-
2 号 p. 237-
1 号 p. 1-
84 巻 (2010)
4 号 p. 839-
3 号 p. 637-
2 号 p. 205-
1 号 p. 1-
83 巻 (2009)
4 号 p. 1091-
3 号 p. 741-
2 号 p. 289-
1 号 p. 1-
82 巻 (2008)
4 号 p. 825-
3 号 p. 663-
2 号 p. 223-
1 号 p. 1-
81 巻 (2007)
4 号 p. 785-
3 号 p. 531-
2 号 p. 211-
1 号 p. 1-
80 巻 (2006)
4 号 p. 815-
3 号 p. 573-
2 号 p. 221-
1 号 p. 1-
79 巻 (2005)
4 号 p. 893-
3 号 p. 629-
2 号 p. 231-
1 号 p. 1-
78 巻 (2004)
4 号 p. 915-
3 号 p. 715-
2 号 p. 217-
1 号 p. 1-
77 巻 (2003)
4 号 p. 801-
3 号 p. 535-
2 号 p. 243-
87 巻, 2 号
科学・技術と宗教
選択された号の論文の18件中1~18を表示しています
メタデータをダウンロード
RIS (EndNote、Reference Manager、ProCite、RefWorksとの互換性あり)
Bib TeX (BibDesk、LaTeXとの互換性あり)
テキスト
すべての抄録を非表示にする
すべての抄録を表示する
|<
<
1
>
>|
編集意図(<特集>科学・技術と宗教)
編集委員会
原稿種別: 本文
2013 年 87 巻 2 号 p. 249-250
発行日: 2013/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.87.2_249
ジャーナル
フリー
PDF形式でダウンロード
(167K)
技術時代に死すべき者たちとしてこの大地の上に住む : ハイデッガーの技術論再考(<特集>科学・技術と宗教)
秋富 克哉
原稿種別: 本文
2013 年 87 巻 2 号 p. 251-278
発行日: 2013/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.87.2_251
ジャーナル
フリー
抄録を表示する
抄録を非表示にする
技術を哲学的に主題化するとき、そこには、技術の本質がどのように規定されるかという課題と、それに対して人間の本質ないし可能性がどのように理解されるかという課題が含まれる。ハイデッガーは、戦後四年目にドイツ・ブレーメンで行なった一連の講演で、技術的世界における「近さ」の不在という洞察のもと、そのような状況を産み出した現代技術の本質を「総かり立て体制」として取り出し、その根底に「危険」を指摘する一方、「近さ」の回復を、「四方界」と呼ばれる世界と「物」の独自な関わりにおいて描き出した。問題は、技術的世界のなかで四方界の世界がいかにして回復されるか、そこに人間がどのように関わり得るかということである。本稿は、上記二つの課題の観点から、ブレーメン講演を中心に同時期の主要テキストを読み解き、特に「死すべき者たち」としての人間に注目し、技術的世界における人間の本質と可能性を取り出すことを試みた。
抄録全体を表示
PDF形式でダウンロード
(1661K)
科学技術の神学にむけて : 現代キリスト教思想の文脈より(<特集>科学・技術と宗教)
芦名 定道
原稿種別: 本文
2013 年 87 巻 2 号 p. 279-301
発行日: 2013/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.87.2_279
ジャーナル
フリー
抄録を表示する
抄録を非表示にする
本稿は、キリスト教思想の文脈から科学技術を論じることを目標としているが、聖書の創造物語と人間存在の分析とを積極的に結びつけることによって論述が進められる。それは、聖書の創造物語から人間存在の両義性(有限性=善性と罪責性)を読み取り、そこから人間の営みとしての科学技術の両義性を提示する試みにほかならない。両義的な科学技術の影の面(「人間の条件」を改変することを通した人間の善性の脅かし)に対して、キリスト教思想は科学技術の批判者監視者としての役割を担っている。しかし、科学技術は「創造された共同創造者」としての人間が神の継続的創造の現実化に参与するという光の面を有しており、この点で、キリスト教思想は科学技術の協力的理解者ともならねばならない。こうした両義性を前提にした「科学技術の神学」を構想するために必要となるのが、自然神学刷新という作業であり、ここに現代キリスト教思想の重要課題が存在しているのである。
抄録全体を表示
PDF形式でダウンロード
(1496K)
機械の中の幽霊(<特集>科学・技術と宗教)
石井 研士
原稿種別: 本文
2013 年 87 巻 2 号 p. 303-327
発行日: 2013/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.87.2_303
ジャーナル
フリー
抄録を表示する
抄録を非表示にする
本論では、情報環境と宗教との関わりを、印刷技術の発展、電波メディアとしてのラジオとテレビ、テレビにおける新しい制度的基盤の構築、そして断片的であるが、コンピュータを中心としたネットワーク社会における宗教について論じている。我々を取り巻く技術の進歩は、かつてないほど急速である。とくにコンピュータを中心とする情報環境の変化は、我々の宗教性に大きな変容を迫っている。本論が問題とするのは、たんに情報環境の変化が宗教性に変化を及ぼしているということではない。現在のテクノロジーが、従来、宗教文化を支えてきた宗教者や宗教団体とは異なった制度的基盤を構築したことを明らかにしようとするものである。宗教文化を支える新しい制度の原理は、苦しむ人々の救済やこの世の安寧ではない。我々の心性に潜む民俗宗教的な世界であったり、憎悪や極端に偏る関心が、新たらしい制度を基盤にして増幅され誇張されて現出している。
抄録全体を表示
PDF形式でダウンロード
(1575K)
<変質した科学>の時代の宗教(<特集>科学・技術と宗教)
金森 修
原稿種別: 本文
2013 年 87 巻 2 号 p. 329-354
発行日: 2013/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.87.2_329
ジャーナル
フリー
抄録を表示する
抄録を非表示にする
科学はその偉業と覇権にも拘わらず、二〇世紀半ば過ぎ頃から、客観性、普遍性、公益性を本質とするはずの古典的科学観から部分的に逸脱し、変質し始めている。マンハッタン計画、一九七〇年代以降のバイオテクノロジー、今回の原発事故が露わにしたような原発関連科学の複合体などの諸事例が<変質した科学>を象徴するものだ。他方でエリュールの技術論は、人間主体を周辺化するような、希望のない決定論的枠組みの中に文化を押し込めるものだった。科学もその種の技術体系に倣うものなのかもしれない。この現状の中では、もはや科学の特権性はなんら自明のものではなくなった。現代社会の中でも、宗教的な成分は、人間の感情が住み着く位相や、実証を逃れる知の中にしっかりと作動している。現状の酷薄さの中で、むしろ宗教者は従来よりも一層毅然とした批判的態度を貫徹しつつ、生命の尊重や弱者への寄り添いのような独自の活動を継続すべきなのである。
抄録全体を表示
PDF形式でダウンロード
(1694K)
福島原発災害後の宗教界の原発批判 : 科学・技術を批判する倫理的根拠(<特集>科学・技術と宗教)
島薗 進
原稿種別: 本文
2013 年 87 巻 2 号 p. 355-376
発行日: 2013/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.87.2_355
ジャーナル
フリー
抄録を表示する
抄録を非表示にする
福島第一原子力発電所の事故により「脱原発」の声は諸方面から上げられたが、宗教界からの声もそれに加わった。全日本仏教会の宣言文「原子力発電によらない生き方を求めて」(二〇一一年一二月)はとくに広く関心を集めたものだ。この稿では、そうした宗教界からの脱原発の訴えの内容を検討し、二〇一一年五月にドイツの「安全なエネルギー供給のための倫理委員会」が公表した「ドイツのエネルギー転換-未来のための共同事業」とも照らし合わせ、科学技術の産物である原発に対してどのような倫理的批判がなされているかを検討する。目指すところは、(1)そもそも原発批判の倫理的根拠は何なのかについて考えを深めていくことである。だがそれとあわせて、(2)日本の宗教界からの原発批判はどのような特徴をもっているのかについても考えたい。また、(3)科学技術に対する倫理的批判の根拠は宗教的なものとどう関わるのか、という問いにも迫りたい。
抄録全体を表示
PDF形式でダウンロード
(1273K)
神経生理学とユダヤ教 : 決定と自由の狭間を生きたB・リベットの場合(<特集>科学・技術と宗教)
星川 啓慈
原稿種別: 本文
2013 年 87 巻 2 号 p. 377-401
発行日: 2013/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.87.2_377
ジャーナル
フリー
抄録を表示する
抄録を非表示にする
神経生理学者ベンジャミン・リベット(1916-2007)たちは、手首を曲げるなどの随意運動における「自由意志」は脳内に準備電位が蓄積されてから約五五〇ミリ秒後で発現する、という一連の実験結果を発表した。この「自由意志は無意識的な脳活動の後から生じる」という衝撃的な実験結果は、多くの分野の研究者の耳目を集め、従来の決定論や自由意志論の解釈に大きな波紋を投げかけた。自然主義的傾向が強い研究者たちは、これを「自由意志の否定」と結びつけた。しかし、リベット自身は自由意志の存在を否定するのではなく、行為を「拒否/中断する」という特殊な形態においてではあるが、自由意志の存在を一貫して肯定した。その裏には、ユダヤ教信者としての彼の「自由意志を死守するという信念」が存在していた。さらに、彼は自らの実験結果と結びつけて「倫理体系としてのユダヤ教はキリスト教よりも優れている」とみなした。彼の神経生理学上の実験解釈や思索を決定づけたものは、ユダヤ教であった。
抄録全体を表示
PDF形式でダウンロード
(1548K)
知覚・労働・科学 : シモーヌ・ヴェイユ「デカルトにおける科学と知覚」から(<特集>科学・技術と宗教)
脇坂 真弥
原稿種別: 本文
2013 年 87 巻 2 号 p. 403-430
発行日: 2013/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.87.2_403
ジャーナル
フリー
抄録を表示する
抄録を非表示にする
本稿はヴェイユの「科学と知覚」論文を検討し、後の「盲目的メカニズム」としての世界観やそこでの神と人間の関係を読み解くための準備とする。この論文で自らデカルト的懐疑を試みるヴェイユは、《力》を根源的な現象とし、人間と事物を《力》の結節点として理解する。人間は「想像力」においてこの《力》を自覚的に用い(=労働)それによって自分を世界の一部として見出す。ヴェイユによれば、「真の科学」は個人のこのような「知覚する労働」の延長線上にある《人類の知覚》である。人間をこのように《力》の網目の中に位置する存在として理解する一方で、自分を含むその世界をありのままに捉え、想像力を正しく用いて「労働」することにヴェイユは人間の役割を見る。このような理解は、必然性の冷酷なメカニズムに捉えられつつも、人間がこの必然性に自ら同意し「従順」であることによって世界の一部となるヴェイユの後の思想の萌芽だと言えるだろう。
抄録全体を表示
PDF形式でダウンロード
(1627K)
芦名定道・星川啓慈編, 『脳科学は宗教を理解できるか?』, 春秋社, 二〇一二年八月刊, 四六判, vii+二八五頁, 三五〇〇円+税
保呂 篤彦
原稿種別: 本文
2013 年 87 巻 2 号 p. 431-436
発行日: 2013/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.87.2_431
ジャーナル
フリー
PDF形式でダウンロード
(606K)
岡本亮輔著, 『聖地と祈りの宗教社会学-巡礼ツーリズムが生み出す共同性-』, 春風社, 二〇一二年四月刊, A5判, 三七八+xix頁, 五〇〇〇円+税
浅川 泰宏
原稿種別: 本文
2013 年 87 巻 2 号 p. 437-441
発行日: 2013/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.87.2_437
ジャーナル
フリー
PDF形式でダウンロード
(570K)
門田岳久著, 『巡礼ツーリズムの民族誌-消費される宗教経験-』, 森話社, 二〇一三年二月刊, A5判, 三九三頁, 五六〇〇円+税
岡本 亮輔
原稿種別: 本文
2013 年 87 巻 2 号 p. 441-447
発行日: 2013/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.87.2_441
ジャーナル
フリー
PDF形式でダウンロード
(634K)
小松和彦著, 『いざなぎ流の研究-歴史のなかのいざなぎ流太夫-』, 角川学芸出版, 二〇一一年九月刊, A5判, xvi+七〇二頁, 六五〇〇円+税
白川 琢磨
原稿種別: 本文
2013 年 87 巻 2 号 p. 447-452
発行日: 2013/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.87.2_447
ジャーナル
フリー
PDF形式でダウンロード
(630K)
菊地章太著, 『妖怪学の祖 井上圓了』, 角川学芸出版, 二〇一三年一月刊, 四六判, 二一四頁, 一七〇〇円+税
岡田 正彦
原稿種別: 本文
2013 年 87 巻 2 号 p. 452-456
発行日: 2013/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.87.2_452
ジャーナル
フリー
PDF形式でダウンロード
(475K)
オリオン・クラウタウ著, 『近代日本思想としての仏教史学』, 法藏館, 二〇一二年九月刊, A5判, 三三四+iv頁, 五八〇〇円+税
森 和也
原稿種別: 本文
2013 年 87 巻 2 号 p. 456-462
発行日: 2013/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.87.2_456
ジャーナル
フリー
PDF形式でダウンロード
(701K)
三木英・櫻井義秀編著, 『日本に生きる移民たちの宗教生活-ニューカマーのもたらす宗教多元化-』, ミネルヴァ書房, 二〇一二年六月刊, A5判, xiv+二九六+iv頁, 五〇〇〇円+税
伊達 聖伸
原稿種別: 本文
2013 年 87 巻 2 号 p. 462-469
発行日: 2013/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.87.2_462
ジャーナル
フリー
PDF形式でダウンロード
(879K)
鈴木正崇著, 『ミャオ族の歴史と文化の動態-中国南部山地民の想像力の変容-』, 風響社, 二〇一二年四月刊, A5判, 五五八頁, 八〇〇〇円+税
佐野 賢治
原稿種別: 本文
2013 年 87 巻 2 号 p. 469-474
発行日: 2013/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.87.2_469
ジャーナル
フリー
PDF形式でダウンロード
(655K)
東賢太朗著, 『リアリティと他者性の人類学-現代フィリピン地方都市における呪術のフィールドから-』, 三元社, 二〇一一年六月刊, A5判, 三七四頁, 五〇〇〇円+税
岩谷 彩子
原稿種別: 本文
2013 年 87 巻 2 号 p. 475-481
発行日: 2013/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.87.2_475
ジャーナル
フリー
PDF形式でダウンロード
(717K)
竹下政孝・山内志朗編, 『イスラーム哲学とキリスト教中世』(全3巻), 岩波書店, A5判, I 理論哲学, 二〇一一年一一月刊, xi+三〇三+二八頁, 七五〇〇円+税 / II 実践哲学, 二〇一二年三月刊, xi+二六七+三二頁, 八二〇〇円+税 / III 神秘哲学, 二〇一二年一月刊, xi+三五七+二六頁, 八二〇〇円+税
山崎 達也
原稿種別: 本文
2013 年 87 巻 2 号 p. 482-492
発行日: 2013/09/30
公開日: 2017/07/14
DOI
https://doi.org/10.20716/rsjars.87.2_482
ジャーナル
フリー
PDF形式でダウンロード
(903K)
|<
<
1
>
>|
feedback
Top
J-STAGEへの登録はこちら(無料)
登録
すでにアカウントをお持ちの場合 サインインは
こちら