宗教研究
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特集号: 宗教研究
91 巻, 2 号
特集:宗教と経済
選択された号の論文の20件中1~20を表示しています
論文〔特集:宗教と経済〕
  • 編集委員会
    2017 年 91 巻 2 号 p. 1-2
    発行日: 2017/09/30
    公開日: 2017/12/30
    ジャーナル フリー
  • 著作間の相互連関を問う
    荒川 敏彦
    2017 年 91 巻 2 号 p. 3-25
    発行日: 2017/09/30
    公開日: 2017/12/30
    ジャーナル フリー

    マックス・ヴェーバーにおける宗教と経済という問題は、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の再解釈という性格を帯びる。その再解釈に際しては、『倫理』以外の業績と『倫理』との関係を考慮する必要がある。本稿では次の三点を指摘した。第一に、ヴェーバーは経済や法の概念とは異なり、宗教概念に対してのみその本質規定の拒否を明記したが、そこには同時代の宗教研究状況に対する彼の宗教社会学の位置が反映されている。第二に、ヴェーバーの宗教社会学には歴史的研究と理論的研究の二つの方向があるが、歴史的研究は理念型を駆使した理論的性格をもち、理論的研究には『倫理』など歴史的研究の成果が盛り込まれている。相異なる方向性をもつ諸著作は完結しているのではなく、著作間の相互連関によって問いが深化しているのである。第三に、神義論問題は経済格差の問題として解釈可能であり、経済的不平等を正当化する宗教倫理の形成と作用の問題は、現代の宗教と経済の問題を考える上で重要なヒントになる。

  • 正しい道理の富
    市川 裕
    2017 年 91 巻 2 号 p. 27-51
    発行日: 2017/09/30
    公開日: 2017/12/30
    ジャーナル フリー

    ユダヤ人は近代西欧の市民権取得時において、既にブルジョア的経済倫理を身に着けた成熟した経済共同体を形成した。マルクスはこのことを平日のユダヤ人の経済観念として理論化した。では、この平日のユダヤ教の経済観念とはどのように形成されたのか。本論は、ラビ・ユダヤ教の啓示法が、時間的聖性を厳守し聖と俗を厳格に分離する宗教共同体を形成していたことが彼らの経済観念をもたらした原因と捉え、ユダヤ教の行為規範であるハラハーがユダヤ人の日常の商業活動に与えた意味を明らかにした。聖書では、利子取得は、弱者に対する強者の不法行為とされたが、ミシュナでは商取引の不正行為の一つと理解された。中世以降ではマイモニデスが無利子の金銭貸与は貧者に対する喜捨より優れた行為とみなし、シュルハン・アルーフでは、ついに同胞でも商行為での金銭貸与は危険負担を伴うがゆえに利子取得は許されるという合理的解釈に至る。これによって二重道徳は解消されたのである。

  • 宗教経営学の視点から
    岩井 洋
    2017 年 91 巻 2 号 p. 53-72
    発行日: 2017/09/30
    公開日: 2017/12/30
    ジャーナル フリー

    本稿では、宗教と経営の関係について宗教経営学の視点から論じる。宗教研究において、「経営」という言葉は奇異なものとしてとらえられやすい。この背景には、二つの要因があると考えられる。ひとつは、経営という言葉が、すぐさま「営利目的」や「利潤追求」といったイメージと結びつきやすいからである。いまひとつは、宗教教団の運営と企業体の経営は、本質的に異なるとの考えによる。しかし、宗教教団と企業体は、ともに人間の行為によって社会的に構築されるものであり、共通の基盤に立って両者を分析すべきである。したがって、宗教研究者は企業研究から知見を得ることができるし、またその逆も可能である。本稿では、最初に宗教経営学の視座について論じる。次いで、思想と経営理念の関係について論じたあと、宗教教団と企業の類似性について考察する。そして最後に、両者の類似性に関わる議論を深めるために、「秘密のマネジメント」について論じる。

  • 禅清規における唱衣法の記述から
    金子 奈央
    2017 年 91 巻 2 号 p. 73-98
    発行日: 2017/09/30
    公開日: 2017/12/30
    ジャーナル フリー

    本稿では、唱衣法の意味と働きについて経済面と送葬儀礼という二つの観点から考察した。第一に、テキストの記述によれば、唱衣法の実施によって関わる三者に利益がもたらされる。一般僧侶には分配金が、叢林には唱衣の純利益から収入を得る事が記載されるとともに、遺品を叢林に委託することによって死者も利益を得るといえる。

    第二には、送葬儀礼という観点からは、唱衣法とは、共同体の直面する死という危機からの回復に関わる儀礼だといえる。唱衣法は一次葬(遺体の骨化)以後、すなわち共同体の直面する死の最も危険なモメントが過ぎた後に行われる。この段階で問題となるのは、共同体内に「死の表象」として遺された行き場のない遺品である。一時的に出現する競売のための市場が唱衣であると考えれば、そこでは、行き場のない「死の表象」の性格が貨幣との交換によって転換されることとなる。すなわち、唱衣法は、死の危機に直面した共同体の再生や秩序の回復の一助となっていると考えられる。

  • 経済的側面を中心に
    川又 俊則
    2017 年 91 巻 2 号 p. 99-124
    発行日: 2017/09/30
    公開日: 2017/12/30
    ジャーナル フリー

    仏教各派が毎年公開している事業計画・報告や予算・決算などの教団会計は、その宗派の現状を示す貴重なデータである。各教団が二十世紀後半から実施してきた意識調査も経済状況を理解できる。小稿はこれまで研究論文ではあまり顧みられなかったこれらのデータを用い、現代日本の仏教およびキリスト教について、主に経済側面を論じた。その際、筆者自らの二十年にわたる現地調査を分析枠組みにおいた。個別寺院の賦課金などで教団運営を行ってきた仏教各派は維持困難への対策を立てるも、低成長・人口減少がさらに進むことを見据えた抜本的改革に至っていない。キリスト教界では、独自の年金制度維持すら困難である。個々の宗教者の生活を守り、各寺院・教会の維持だけでなく、教団全体の維持を考えるならば、学校法人や他組織でも実施している組織縮小をも視野に入れた抜本的改革も必要だろう。

  • 合理性の理論的位置づけについての試論
    住家 正芳
    2017 年 91 巻 2 号 p. 125-151
    発行日: 2017/09/30
    公開日: 2017/12/30
    ジャーナル フリー

    宗教経済学は宗教の合理的選択理論を理論的核とし、個々人は合理的に行為するものであり、取り得る行為のコストと利益をはかりにかけ、自分にとっての純利益を最大化してくれる行為を選択する、という人間観を起点とする。そして、こうした合理的選択という観点から宗教を捉えることの利点は、宗教行為の多くが合理的であり、単なる無知や迷信、手前勝手な願望からのものではないことを示すことであるという。本稿は宗教経済学のこうした主張を、伊藤邦武による「パスカルの賭け」の議論と論争の整理を参照しながら検討することによって、宗教と合理性についての理論上の位置づけについて試論的な考察を加える。そのうえで、宗教経済学は外部の観察者の視点から見出される論理としての合理性を仮説的に提示する点において意義を有するが、そのことをもって宗教行為は合理的であるとする点において間違っていると結論する。

  • 否定神学、悪の問題を手掛かりとして
    津田 謙治
    2017 年 91 巻 2 号 p. 153-175
    発行日: 2017/09/30
    公開日: 2017/12/30
    ジャーナル フリー

    本稿は、初期キリスト教思想において神学的意義をもつようになった「オイコノミア」概念を、古代ギリシアから遡って用語と文脈の変遷を分析し、概念史上でどのように位置付けられるかを模索するものである。ギリシア語元来のオイコノミアのもつ意味は「家政」であり、家族や家財などを含む広い意味での家を取り仕切ることを指していた。ストア主義において「家政」元来のもつ意味を保持したまま、「家」が世界全体に拡張され、自然による世界統御を指すようになったが、この思考は初期のキリスト教でも神が被造物を支配することと結び付いた。この極めて一般的な語が神学的に重要な意義を獲得した背景の一つには、世界における不条理や悪などが神による統御とどのように両立され得るかという問題があったと考えられる。グノーシスなどによって不完全な造物主に帰せられた世界統御は、教父たちによってロゴス・キリスト論を通じて神に帰着することが確認される。

  • 異端派が切り開く新たな将来ビジョンとポスト資本主義時代におけるその可能性
    長岡 慎介
    2017 年 91 巻 2 号 p. 177-200
    発行日: 2017/09/30
    公開日: 2017/12/30
    ジャーナル フリー

    信仰にもとづく経済システムを現代世界に再興させるべく約半世紀前に登場したイスラーム金融の実践は、急速な成長を伴って世界中に広まっている。その実践に先立って、イスラーム金融を構想した人々の間には、そのあるべき姿についての二つの共通理解があった。それは、ムダーラバ・コンセンサスと利子=リバー・コンセンサスである。イスラーム金融の実践が進んでいく中で明らかになったのは、これらのコンセンサスが必ずしも実践に反映されなかったということである。そうしたコンセンサスと実践の乖離の現状を打開しようとする新たな議論や取り組みが始まっている。中でも、二つのコンセンサスの再考を迫る「異端的な」主張は、これまで正当な評価を与えられてこなかったが、彼らの掲げるイスラーム金融のビジョンの可能性を地球社会におけるその役割にまで射程を広げて考えるならば、それはイスラーム金融の普遍化プロジェクトという野心的な試みとして捉えることができるのである。

  • 現代チベットの経済開発と民衆的信仰空間の特性
    別所 裕介
    2017 年 91 巻 2 号 p. 201-228
    発行日: 2017/09/30
    公開日: 2017/12/30
    ジャーナル フリー

    共産主義政権下で過渡的かつ急速な近代化状況に置かれている現代チベットの聖地に形成される民衆的な宗教実践の空間を、その空間自体の商業主義的な変化に着目して検討する。従来、欧米研究者を主体とする聖地研究では、仏教文献に見出されるコスモロジーの理解を主軸として、これに従属する自然空間と巡礼者がどのような儀礼的対応性を構築しているかが最大の関心事であり、その聖地をめぐる信仰環境の多様化が考慮に入れられることはほとんどなかった。本論では、「自然空間」を「浄土的空間」に読み替えることで成立してきた聖地の宗教性が、僧院経済の多角化や外から入り込む商業民の影響を受けて、実際の信仰実践の場となる個別霊跡のレベルで経済利潤の獲得対象となっている実状を示す。これにより、過渡的開発圧力に晒されている現代チベットの聖地内部においては、浄土的コスモロジーに基づく価値体系に併走して、経済的需給関係に基づく商業空間が自律的に形成されており、従来の研究で不動の中心軸とされてきた浄土的コスモロジーが信仰空間を一元的に組織していくという見方は修正されるべきことが主張される。

  • その理論的展開と歴史的意義
    堀江 宗正
    2017 年 91 巻 2 号 p. 229-254
    発行日: 2017/09/30
    公開日: 2017/12/30
    ジャーナル フリー

    二〇〇〇年代に入ってから主に英語圏の経営学で「職場スピリチュアリティ」をめぐって活発な議論が交わされている。本稿はその理論的展開と歴史的意義を明らかにするサーヴェイ論文である。この概念は経営者や従業員を対象とする調査から構築された多次元的概念であり、同時にコミュニタリアン的な徳倫理学の価値観のセットとしても提示される。その構成要素はコミュニティ感覚、従業員の疎外の改善、従業員の多様性の尊重、企業の不正への不寛容などである。だが批判者は企業中心主義、スピリチュアリティの道具化、従業員のコントロールの強化、カルトとの類似、訴訟の増大の危険を指摘する。一連の議論は経済活動と宗教を両立させようとする歴史的な試行錯誤のパターンを反映している。世俗化や近代化を生き延びつつ経済活動を支えてきたスピリチュアル資本の現代的な育成の形とも見られる。最後に日本で研究するべきいくつかの関連テーマについて展望を示したい。

  • 山中 弘
    2017 年 91 巻 2 号 p. 255-280
    発行日: 2017/09/30
    公開日: 2017/12/30
    ジャーナル フリー

    本稿は、現代社会に大きな影響を与えている消費という問題に注目して、マーケット論的視点から消費社会における現代宗教の変容を理論的に論ずることを目的としている。まず、宗教社会学理論において著名なR・スタークの経済的マーケットモデルを批判的に検討する。その上で、彼のモデルに代えて、ベビー・ブーマーたちの宗教意識とアメリカの宗教状況を明らかにしたW・ルーフの「スピリチュアル・マーケットプレイス」という概念と「探求」という心理的な志向性に注目する。次いで、現代社会の消費をめぐる議論を紹介しながら、「セラピー的な自己」とそれをターゲットとした聖地巡礼ツーリズムを検討する。最後に、宗教的マーケットと世俗的なそれとの融合という状況において出現している「軽い宗教」の存在が示すように、世俗化か再聖化か、という二項対立的な理論的議論は消費社会における宗教の変容の理解には有益でないことを示唆したい。

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