本稿は,1890年代から顕在化した華人商人による在華外国企業の商標権侵害が,清朝中央政府に中国史上最初の商標登録法である「商標註冊試〓章程」起草に踏み切らせるまでと,イギリスを筆頭とする西洋列強諸国の強硬な反対によって,その実施が無期延期に追い込まれるまでの経緯を,明らかにしたものである。特に,自社製品の商標を侵害する華人商人の手口と,これに対する在華イギリス企業,日本企業の対応の違い,そして在華イギリス実業家団体,日本企業のそれぞれの対応策が,最終的に「商標註冊試〓章程」の構想内容をめぐる対立へと発展するプロセスを跡付けている。紛争に関する記録は,在華西洋企業側よりも,中国市場に参入して間もない日本企業・日本政府の方が,詳しい実態記録を残していた。「商標註冊試〓章程」とは,日本政府が差し回した特許局官僚が,日本企業保有の商標の保護を在華西洋企業のそれより優先させる目的で起草したものであり,これを察知した西洋諸国政府代表の反発を引き起こしていたというのが,実施無期延期に至る対立の背景であった。
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