1980年代以降, フィリピンにおいて, 自文化にたいする意識が高まっている.この流れの一つとして, 伝統的生産物や手工芸品が「再発見」され, 団体や機関, それに著名なデザイナーらによって, 真正なる文化を表すモノとして, 生産の再生と利用の促進がはかられてきた.そうしたモノの一つにパイナップル繊維からなるピーニャがある.しかし, この素材は, 植民地支配との結びつきが強く, もともとこの地で作り出されたものではないとされてきた.そこで, 本論文は, ピーニャの再生までの歴史的背景を明らかにしながら, どのように, ピーニャが, フィリピンの真正なる文化を表す糸・布として, また, 一国を代表する衣服の素材として再生されうるのかを考察する.
歴史的背景の再構成から, ピーニャと植民地支配との結びつきが確かめられると同時に, この素材は伝統的であるとみなせる次の特徴をもつこともわかった. (a) 原材料の地元での生産, (b) もともと地元にあった生産技術の適用, (c) 支配層中心ながらも国内需要に応えてきたこと, (d) 内外で芸術品と認められるほどになったこと, である.また, 特定の地域文化に属していないという特徴をもつこともわかった.こうした特徴をもっていても, 植民地支配との結びつきのイメージが解消されなければ, 再生は可能とならない.どのようにそれが可能かを考えるとき, モノの意味を二項対立的にとらえること, また, モノを通した意味の移動性をとらえることだけでは不充分で, モノの置かれた脈略の変化に伴う意味の変容のモデルが必要であろう.これに従うと, 自国の文化的アイデンティティが求められるポスト植民地主義の時代において, ピーニャを植民地支配と結びつける価値体系は変容し, 意味を持たなくなうたと考えられる.ピーニャは, 上記の諸特徴に加え, 環境への優しさ, 国内の多元的文化の統合性などを含めた多面的な潜在力をもつモノとして再発見され, 再生されたのである.
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