フィリピンから来日して間もなく、学校で「発達障害」の烙印を押されたきょうだい。特別支援学級や特別支援学校に入り、障害児としての人生を歩むことになった。だが実は、きょうだいの周囲には二人を「発達障害」だと確信していた大人はいなかった。 二人が不確実で不可視のスティグマを背負うことになったのはどうしてか。本稿は、その理由や経緯を検証する。目的は、誰かが誰かを背負わなくてもよかったはずのスティグマの持ち主に仕立て上げる方法を可視化することだ。 きょうだいにかかわった教員、通訳、母親の計一〇人の大人にインタビューした。教員たちは、来日した瞬間から「外国人」というスティグマを背負う二人が抱える困難を、「発達障害」という新たなスティグマを引き受けることで得られる支援策(「二次的利益 secondary gain」)で乗り越える計画を立てていたとわかった。 作戦を推し進めた教員たちは、二人を親身に惜しみなく支える〈事情通〉の立場にあった。彼らはE. Goffmanが定義した通り「外国人」のスティグマを無効化するべく協力的に振舞ったが、いつの間にか役目は変わった。皮肉にも〈事情通〉は、善意で支援していた相手に新たな「発達障害」のスティグマを強硬に押し付ける権力者に成り代わっていた。特権集団(privileged group)の彼らは、関係性を一方的に調整できる自らの持つ優位性を振りかざす形で、当事者である外国人の子どもや母親を屈服させ、意を貫いた。
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