史学雑誌
Online ISSN : 2424-2616
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124 巻, 12 号
選択された号の論文の4件中1~4を表示しています
  • 2015 年 124 巻 12 号 p. cover1-
    発行日: 2015年
    公開日: 2018/10/05
    ジャーナル フリー
  • 2015 年 124 巻 12 号 p. cover2-
    発行日: 2015年
    公開日: 2018/10/05
    ジャーナル フリー
  • IG.I³ 1032(Athenian Naval Catalogue)の分析を中心に
    岡田 泰介
    2015 年 124 巻 12 号 p. 1-36
    発行日: 2015年
    公開日: 2018/10/05
    ジャーナル フリー
    I G . I 31 0 3 2、いわゆる A t h e n i a n N a v a l C a t a l o g u e は、古典期アテナイの軍船乗組員の構成を詳細かつ具体的に伝える、現在のところほぼ唯一の史料である。この碑文は、乗組員中に奴隷(t h e r a p o n t e s)が高い比率を占めていることなど、前五世紀アテナイ社会の理解に深くかかわる可能性のある注目すべき情報を含んでいるが、保存状態が悪いうえ、比較すべき類例がほとんどないため、歴史的文脈への位置づけがむずかしい。そこで、現時点でもっとも信頼性が高いと思われる断片配置とテクスト復元にもとづいてこの碑文をあらためて吟味し、そこから知り得ることを確認するとともに、その歴史的意義をあきらかにすることが、本稿の目的である。
    まず、年代としては、碑文に内在する手がかりからは、前五世紀末、おそらく前四一二年以前という推定が可能だが、外部史料との照合によっても、それ以上の絞り込み、特定の歴史的 事件との関係づけはむずしいことを確認した。つ ぎに、この碑文から読みとれるアテナイ海軍の状態を一般化できるか否かを、多数の奴隷乗組員の存 在、海兵(e p i b a t a i )の社会的地位、乗組員の徴募方法という三つの指標にそくして考察した。その結果、奴隷と海兵の様態、乗組員の徴募方法のいずれにも、なんらかの特殊な事態を示唆する要素はみられないことがあきらかになった。以上から、この碑文は、例外的な状況ではなく、むしろ、ペロポンネソス戦争期アテナイ海軍の常態を反映した史料と評価することができるとの結論が導かれた 。
  • 明治前・中期の島津家の株式投資を通じて
    寺尾 美保
    2015 年 124 巻 12 号 p. 37-61
    発行日: 2015年
    公開日: 2018/10/05
    ジャーナル フリー
    本稿は、個別華族の実証研究を通じ、華族の側から華族資本の生成と展開についての研究をすすめようとするものである。その際に、華族資本を総体として扱うのではなく、他の華族と区別して大名華族資本として検討を行った。具体的には島津家を検討対象として、島津家が資本家となるまでの段階を追究することを通じて、大名華族資本の誕生の画期を探ることを目指したものである。
    明治十年に金禄公債を受給した華族は、岩倉具視の熱心な説得によって十五銀行の株主となった。これは、華族資本の生成のために政府が作った道筋である。しかし、島津家の帳簿の詳細な分析からは、十五銀行の配当が、大名華族としての基本的な生活を支えた反面、それだけでは次なる投資を行うための資金を持ち得なかったことが明らかとなった。このことは、十五銀行の配当が各家でどのように管理運用されたかを検証することなくしては、資本の誕生をここにおくことができないことを意味している。また、大名華族には、華族として求められる支出の他に、旧藩の発展に寄与することも求められており、後者の支出をいかに制限するかが該期の重要な課題であった。この点の克服期も大名華族資本の誕生を知るための視角となるであろう。
    島津家では、旧藩関係者への直接的な貸付を行わない代わりに、旧藩との関わりが深い第五国立銀行株を長期保有することで資産の保護に努め、会計管理体制の再編を行い、二四年に所有していた日本鉄道株を全て売却して資金を得たことを画期として、その後の積極的な株式投資を可能にしていた。本稿では、この時点を大名華族資本の誕生と捉え、次なる画期を株主に高額の配当をもたらした十五銀行満期の時であったと位置づけた。
    金禄公債(十五銀行株)は、大名華族資本を誕生させるまでの大名華族を支え、彼らが資本家となる体制を整えるための猶予を与えたと評価されよう。
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